Book:物語ウクライナの歴史
今年読んだ37冊目は中公新書の『物語 ウクライナの歴史 ヨーロッパ最後の大国』
ウクライナという国については、勝手に知っている気になっていたが、この本を読むとまるで知らなかったことが自覚されてよい。
私が知っていたと思っていたのは、他の東欧諸国などと同じで、ソ連が連邦傘下に置いていた共和国の1つで、ソ連成立前は独立した国家だったのではないかということだったが、全くそんなことはなかった。もう詳しくは本書を読めということになるが。
私が知っているウクライナというと、アリー・マクビールを演じたキャリスタ・フロックハートに激似の元首相で元大統領候補のティモシェンコ氏とか、ロシアにより毒殺されかけて相貌が激変したとされるビクトル・ユーシチェンコ氏とか、とかく攻撃の対象とされやすい政治家たちがたくさんいる国という感じだった。
写真はBBCのサイトと日本外務省のサイトから。
そしてソ連成立以前の歴史は、単に想像していただけだったが、これが全然的はずれだった。
そもそもコサックという言葉こそ知ってはいても、コサックがウクライナの戦士たちを意味するとは知らなかった。やや正確性を欠く言い方かもしれないが。
それ以前に、ウクライナという言葉でなにか特定の領域や民族・住民、国家を指すことができるのは、ソ連傘下とソ連崩壊後の独立によってであり、それより前はウクライナという国ないし民族があったわけではないというべきなのかもしれない。
今年のロシア・ウクライナ戦争で有名になったキエフ・ルーシ公国というのも、スウェーデンからサンクト・ペテルブルグ経由でやってきた民族が建国したものであり、その版図はキエフ付近が南端で北はバルト海に接するのであるから、今のウクライナよりはベラルーシとロシアに重なる。
その後、モンゴル=タタールによりキエフが落とされるが、それ以前に解体過程にあったキエフ・ルーシ公国の大公の末裔がハーリチ公国とヴォルイニ公国とを合併し、このハーリチ・ヴォルイニ公国が今有名なリヴィウの街を建設した。このキエフ・ルーシ公国からハーリチ・ヴォルイニ公国が連続しているものとして、862年から1340年代まで14世代続いた最初のウクライナ国家とされている。
その後は、リトアニア、ポーランド、ハンガリー、そしてロシア、ドイツなどが現在ウクライナと呼ばれる地方を取り合う歴史がずっと続き、その間15世紀ころからコサックと呼ばれる自治的武装集団が生まれてモンゴル・タタールに対抗したり、日本の倭寇のような略奪行為をコンスタンティノープル方面に対して仕掛けたりしていた。この集団を武士ないし騎士のような形で手なづけたのがポーランド王で、限られた数のコサックを登録によって公認することで、地主兼兵士のような地位を認めたという。このコサックの本拠地にできた会議体が現在ウクライナ議会を意味するラーダと呼ばれる仕組みで、そのラーダで選出されたリーダーをへトマン(初期にはポーランド王の任命があったという)といい、へトマンの下に長老グループが組織されて、それをスタルシーナというように、統治機構が出来てきた。
いわば、ラーダは国会であり、へトマンは首相・大統領・総督のいずれかの性格を有する行政府の長、そしてスタルシーナが内閣といったところであろうか。
このコサックの組織やリーダーを中心に、周辺の大国の間を移ったり、あるいは独立運動を行ったりしていた。その最初の英雄はサハイダチニーで、日本の江戸幕府初期の頃に活躍した。次に活躍したのがフメルニツキーで、ポーランド王に反旗を翻し、タタールと組んでポーランド軍を破ると、へトマン国家の自治を認める協約をポーランド王と結んで凱旋した。その当時のへトマン国家の領域は、黒海沿岸がオスマン・トルコ帝国に属していたので、東はサボロージェ・シーチ近辺、西はドニエストル川中流域を南端とし、北はキエフ、チェルノブイリ近辺よりも少し北側までの範囲であった。リヴィウなどはポーランド領であった。
その後、フメルニツキーはモスクワ公国と手を結び、ロシア帝国を引き入れることになってしまい、さらに西側はオーストリア帝国が台頭した。へトマン国家の東側はロシア帝国の支配を受け、西側はポーランドやオーストリア・ハンガリーの支配を受けることになり、間接支配やら直接支配やらが時代とともに動くが、ともかく第一次世界大戦後のロシア革命までその状態となる。そしてロシア革命の頃に民族自決ということで独立を何度か果たすが、結局ソ連を構成する共和国として、独ソ戦で主要な戦場となるなどの辛酸をなめることになる。
また、民族的にもウクライナ領内にウクライナ民族が中心的に居住しているということはあまりなく、ロシア系は大勢力であり、クリミア半島に至ってはロシア系が過半数を占めているという。それでもロシア語に完全に吸収されることなくウクライナ語は生き残って、生活言語としても教育や公用語での使用も、ソ連が何度か弾圧しつつも続けられてきた。
ソ連崩壊までのウクライナ社会主義共和国はロシア・ソ連の完全な傀儡だったが、ゴルバチョフがソ連を解体してしまったのに乗じて独立を果たしたので、そこでは革命的な政府転覆はなく、その後も結局その傀儡政権の支配層が残ったので、ソ連時代の影は残しつつ、冒頭に述べたような政治家の排斥なども続けられつつ、今日に至ったというところであろう。
というようなことを、本書で学んだ。
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