article:裁判官統制の憲法問題 #岡口基一分限
同僚から抜き刷りを頂いたのでご紹介。タイトルからわかるように、裁判官の行動に対する公的な規制について、憲法学的な考察を加えたもので、現時点でのイシューとしては当然ながら岡口基一裁判官の問題がテーマとなる。この論文も、それを前面に押し出してはいないが、岡口問題を論じたものと位置づけても良さそうである。
松田浩「裁判官統制の憲法問題」憲法研究第7号(2020)61頁
松田教授は、プロフェッション論について先行する論攷があり、この論文ではその成果が土台となっている。すなわち、医師、弁護士、研究者の3つを代表的なプロフェッションとして、その団体による自律を構成員相互の自己規律、組織の自由と自律、内部規律の司法による受容と執行という3つのサブレベルの自律に分析し、その前提としてプロフェッションが備えるべき特性を、知的科学的技能、公益・利他性、高度な職能倫理、職能団体性の4つ挙げられた。
これを土台として、裁判官をプロフェッションの一つと位置づけ、しかし現在の(特に岡口分限事件における最高裁の)裁判官統制のあり方にはプロフェッション性という前提が欠けているが故に大きな問題を孕んでいるというのが、全体の趣旨である。
松田教授の論旨はなかなかオブラートに包まれている感じがするが、司法の危機の時代に日本法律家協会法曹倫理研究委員会(発足当初の委員長は団藤重光)が作成した「法曹倫理に関する報告書」において、裁判官倫理の原理の部分が掲げられたものの、当時も具体化してルールに落とし込むことが出来なかった。しかし、裁判所法に基づく二件の分限懲戒処分(寺西事件と古川事件)に際しては抽象的な法律文言の解釈にこれらの原理が持ち出されていた。ただし、それには具体的な判断の考慮要素や外延を示す手がかりとなる許容されるケースの例示などを伴い、また反対意見がその無限定な拡大に警鐘を鳴らすなど、最高裁自身の見識も示されるものであった。
ところが、岡口判事に対する懲戒処分では、そのような限定の芽は摘み取られ、「裸の『原理』にすぎない規範内容がそのまま法として『実定化』され、具体化のための何の指針もなくあたかも『規則』であるかのように扱われる」ということになってしまっている。 これは、団藤委員会の報告書も予測していなかったところだという。
さらに手続問題について、裁判手続の基本である公開・対審性を欠いた手続は、プロフェッション規範の妥当性についての十分な吟味が行われないという。結局、岡口分限裁判は「悲喜劇」と評され、「裁判官は目立たぬように息を殺して生活していかなければならなくなる」という市川正人先生の評釈(民商155-4(2019)-133)に行き着いているという。
今後行われるべき作業についても、松田教授は、1977年報告書が掲げた原理の現代における具体化が必要で、そのためには比較法的な考察からも学ぶべきとされている。
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