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2019/11/04

国際訴訟法会議2019・2日目

国際訴訟法会議2019 2日は「民事司法の説明責任と透明性」と題する総括報告を中国の先生が行っている。
興味深いフレーズがいくつか。スペインでは、「司法の説明責任は司法の独立の自然な帰結である。裁判官は独立しているがゆえに、説明責任を負う」と言っている。
日本の法曹に聞かせたい。

日本では全く正反対の考え方がしばしば公然と主張されている。

そもそも、司法の独立は、裁判官の独立ではなく裁判所の独立だと思い込んでいるところがあるが、それはいずれにしても、司法が独立しているがゆえに説明責任があるということなど夢にも思っていなさそうだ。

憲法には公開原則が定められているが、憲法解釈論として透明性というのも恥ずかしくなるような最低限の「公開」だけ、すなわち傍聴の物理的に限界のある可能性を開くことだけが憲法の要請だと考えられていて、記録の公開は裁判の公開のコロラリーとは言われていても、決して憲法上保障された権利だとは考えていない。

ましてや、説明責任などということは夢にも思わず、裁判官は語らずが良いこととして言い伝えられている。最高裁が世論の批判に「雑音に耳を貸すな」と裁判官たちに訓示した時代すらあるし、その時代のことはまだきちんと清算されてはいない。

要するに、裁判官は語らずと言っておいた方が楽なだけだなのである。

世界の常識は日本の非常識とさえいえる。

判決の公開も、裁判の透明性を確保する上で重要なポイントであり、他の国ではウェブサイトでの公開を言っている。

ところが、日本の国別報告者は「判決は記録閲覧により誰でもすべての事件について公開されている」と法制度を報告したらしい。

総括報告者はそれを真に受けて、日本でも判決の全面的な公開がされていると考えたようだが、それは公開の名に値する方法ではない。実際には、ネットでの公開は最高裁判決すら一部に限られ、知財と労働、行政を除くと下級審は本当に僅かである。紙媒体や有償DBをいれても、判決の公開は2〜3%から多くて5〜6%に過ぎない。

なお、国際会議の常で、各国とも、理念や規範の報告と現実の報告とが様々な濃度で含まれている国別報告をしたのであろうし、総括報告においてはそれらがあまり明確に区別されないで表現されているのかもしれない。さらに翻訳を介して、曖昧化に拍車がかかっているのではないかという疑問も生まれる。

なお、日本の司法が透明性とか説明責任とかをためらっているうちに、世の中はネット時代に突入した。

これで公開の可能性が飛躍的に増えるとともに、その反面で公開のリスクもまた高まってきた。

インターネットを通じた一般大衆の圧力が、かなりアンコントローラブルな形で司法に対しても襲いかかるので、その影響、それを考慮した公開のあり方など、考えるべきが点が多い。裁判過程すらいくつか非公開による保護を必要とする時代に、判決文の全面的な公開をネットを通じて行って良いと無邪気に考えることにはためらいが大きくなっている。

とはいえ、司法の独立は透明性を当然に必要とするという考え方は忘れてはならない。

総括報告者のいう「司法の独立にはそれを担う裁判官の能力に依存している」ということも示唆的である。

裁判の独立と裁判官の養成・継続的研修の必要との緊張関係も、フロアからの質問に出ていた。

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後、日本における裁判官の表現行為の自由、裁判公開の問題と関係者の感情に基づく圧力などの問題をともなった岡口判事事件を抜きにして、司法の独立を語ることはできない。

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