Book:それでもボクは会議で闘う #人質司法 はこうして残った
今年読んだ15冊目は、周防正行監督のそれでもボクは会議で闘う――ドキュメント刑事司法改革
村木さんの事件に対する反省と改正の必要性が認識されて始まったはずの刑事司法改革が、どうして頓挫して、むしろ焼け太り的改革になっていったのか、有識者委員として法制審議会の部会に参加した周防監督が赤裸々に内実を語っている。
来月から始まる司法制度論の授業では、刑事司法の話にはなるべく立ち入らないつもりなのだけど、二年ゼミでは法制審議会の役割に焦点を当てるので、この本は必読本とすることにしたい。
正直言って、この本を読むまでは、やはり周防監督とか村木厚子さんとかでも、法制審の現場では妥協的に振る舞ってしまうのかと思っていたが、そうした評価は不当なものであった。
驚きと呆れと怒りがよく伝わってくる第一級のドキュメントであり、リアルタイムで議事録とか見ていたときの感じがまざまざと追体験できる。
それにしても、あの新時代の刑事司法制度特別部会が始まる前の村木さん冤罪事件から部会の進行中に起こったPCなりすましウィルス事件のあたりの反省で、検察のあり方会議とかを設置するとか、「検察の理念」を発表するとか、そういう動きはすべて世間の批判をやり過ごすためのポーズに過ぎず、実際にはそれまでの刑事司法実務に悪いところがあるなどとは一つも思っておらず、冤罪とか誤認逮捕とかはまあ必要悪くらいに認識していれば良い方で、むしろ治安維持とか犯人処罰のためなら少々の冤罪や誤認逮捕は仕方がないくらいに思っているということが、この本を読んでもひしひしと伝わってくる。
とりわけ、この本でヒールとして登場する刑事法学者、井上正仁先生とか、酒巻匡先生、そして少ししか登場しないが椎橋隆幸先生など、もう絶望的な刑事司法の守護神ともいうべき役割を存分にふるっている。
取調受忍義務をめぐる神学論争をやりたいのかと言って、身柄拘束の要件見直しも中間処分にも議論自体を立ち入れなくしたり、証拠開示の現在の制度に問題があるというなら具体的に言ってみろといってまるでとりあわなかったり、人質司法何が悪いということを事実上、別の言葉で言ってみたり。
警察や検察がそういうのであればまだしもだが、まあ既存の制度を作り上げてきた人たちに、その制度が生み続けてきた誤認逮捕から誤判にいたる冤罪事件に対する反省がないというのか、冤罪はあってはならないとまでは思わないという姿勢、より正確に言うと、「冤罪はあってはならないが、真犯人の処罰もなくてはならない(ので冤罪事件がでてきても仕方がない---私の付加)」という基本認識が変わらない限り、この国の刑事司法は中世を脱して近代になることはない。それは装備品がいくらハイテク化しても、相変わらず中世並みと嘲笑される世界なのだろう。
そして、実のところ、刑事法学者や警察検察だけがこのような思考だというわけでもない。一般大衆も、「治安維持とか犯人処罰のためなら少々の冤罪や誤認逮捕は仕方がないくらいに思っている」という点ではどっこいどっこいだろうと思うのだ。それはやはり、素朴な正義感情からして、社会が安全であればよいし、悪いことした奴は厳罰に処すべきだと思うし、それができなくなるというのは困るというのが一般的な認識だ。
結局、自分が刑事司法の対象となってみないと、なかなか実感はできないだろう。周防正行監督のような存在は例外的に違いない。
しかし、刑事司法の研究者までが、そうした素朴な正義感に囚われていて良いはずはない。どうすればこの国が変わっていくのか、なんとなく暗澹たる気分の残る本ではあった。
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