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2018/12/23

privacy:大屋先生の「忘れられる権利」考について

大屋先生は、忘れられる権利の概略についてわかりやすい説明をした後に、広告規制としての広告表示義務や判例の変更後の注意記載などを例にして、忘れられる権利の対象となる過去のネガティブ情報も昔のことだという表示があればいいのであって、表現を消すことまでも求められるべきではないと論じる。

だいぶ乱暴にまとめたが、その際、大屋先生は次のような前提をおいているのだ。

過去のものは過去のものであり、現在のものとは限らないという当たり前の判断力・評価力を我々が持っていることを前提として

しかしながら、この当たり前の判断力が期待できれば、この世の中の偏見に関する問題はかなりの程度なくなってしかるべきだ。問題は、こうした判断力が期待できないところにある。

忘れられる権利として日本で問題となっているのは、殆どが、前科情報である。前科、すなわち犯罪を犯して刑事処分を受けたという事実が、日本社会でどのような重みを持って影響してくるかは言うまでもないと思うのだが、上記のように書かれると、改めて書いておく必要があるのだろう。

 まず、犯罪者を身内に出した家族とか場合によっては親類も、いわれのない責任追及と偏見とにさらされ、差別を受ける。端的に言えば、村八分に遭うのだ。日本国という巨大な村社会で。
 刑事処分を受けた当人ももちろんその村八分の対象となり続け、それは実刑となって罪を償っても、あるいは執行猶予となってその期間が経過しても、もちろんなくなることはない。スティグマであり、江戸時代に入れ墨を入れたのと同じ永久処分である。
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 そして逮捕情報が実名主義で報道され、それがネットに転載されて拡散される構造がある以上、いわばデジタル入れ墨を加えられたようなものである。

 こうした偏見と差別の下では、よほど運が良くない限り、前科者はまともな仕事に就くことはできず、過去を隠して、あるいは雇い主が過去を承知で雇ったとしても、誰かがググってしまえば、たちどころに、過去の出来事が現在に蘇る。そのとき、現在の日本社会が「過去のものは過去のものであり、現在のものとは限らないという当たり前の判断力・評価力」を持っていれば、前科のスティグマが再犯に追い込むことなどなくなるか、少なくとも例外的な事となるのだろうが、残念ながらそうではない。

 大屋先生の上記の記事には、こうした認識が欠けているのではないか。

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