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2018/12/11

edu:順天堂大学に見る公平と差別

「大学受験時点では女子のほうが精神的な成熟が早くコミュニケーション能力が高い傾向にあり、判定の公平性を確保するため男女間の差を補正したつもりだった」

順天堂大学が女子受験生を不利に扱っていた理由として、記者会見で説明したこの発言、あまりのことに呆れる声が大半だが、公平と差別の関係を考える絶好の素材ではないかと思うようになった。

NHKニュースによれば、順天堂大学がやったのは「具体的には、1次試験で成績が下位だった受験生のうち、女子と浪人生がより不利になるよう合否判定を行ったほか、小論文と面接を行う2次試験では、女子の合否判定の基準を厳しくしたということ」だ。

そして上記の発言だ。順天堂大学 女子や浪人生に不利な合否判定認め謝罪

通常、公平と差別というのは反対語といっても良いような対極的な概念だが、機械的な平等ではなく実質的な平等を目指して操作し始めたとき、その操作に合理的な根拠が認められないときは差別となる。

小学生とか、せいぜい中学生までは、女子の方が発育も早く精神的な成長も早いというのは経験則として私も賛同するところではあるが、成人年齢となる頃まで成長に一般的な差が男女の間にあり、それは男子に下駄を履かせなければ不公正と言えるほど定型的かつ顕著なことだと、順天堂大学はいうわけである。

そういえば、東京医大の事例でも、外野からは、成績順に合否判定すれば女ばっかりになって男性医師の激務に頼っている医療が崩壊するというのが擁護の声だった。流石にそれを公平だと言い張るのは初めて聞くのだが。

よほど、医者とか医大の先生とかは女性に学力でコンプレックスがあるのであろうか。
女性は情緒的で論理的思考ができない(から重職にはつかせない)的な物言いは分かりやすい差別だが、逆に女性は一般的に出来がいいので不利に扱うのが公平だというのは分かりにくいが、結局女性というカテゴリーで不利益を押し付けていることに変わりはない。

勉強ができるとかできないとかいうのは、性差ではなく、個体差であり、しかもたかだか大学受験で判定される学力差は生来の才能の差ではなく個人の努力の差によるところが大きい。そして個人の努力は、それを可能にする経済的な環境とか、努力して難関を乗り越えようとすることを親とか先生とか社会が後押しする環境にあるかどうかということによっても大きく左右される。
難関を乗り越えようとする子供を応援しようという社会の態度は、男子の方が女子より一般的に有利であることはいうまでもあるまい。そうした社会構造が変わらない限り、女性に有利な仕組みを組み込むことはアファーマティブアクションとして是認されても、その逆は正当化の余地なく不当な差別なのである。

そういうわけで、順天堂大学の冒頭の発言は、実質的な公平と差別との関係を考える教材として、長く語り継ぐことにしよう。

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