Book:ディープ・アクティブラーニング
妻の研究室に未開封で置かれていた本がディープ・アクティブラーニングという題名だったので、「うん? なんだなんだ」と手に取ってみたら、副題に「大学授業を深化させるために」とあり、要するにアクティブ・ラーニングで表面的な理解しかできなくなっている授業を、もっと深く学ぶように変えていくにはどうしたらよいかという本であった。
AIのディープ・ラーニングとは関係がない。
いわゆるアクティブ・ラーニングは、一方通行的な講義スタイルに対するアンチテーゼとして、日本では文科省が飛びついて狂奔している感があるが、実のところ文科省と傘下の教員たちが旗を振れば振るほど普及してないし、しかたなくやり始めても上手く行かないで撤退したり、形ばかりの双方向をちょっとやってみてアリバイ作りをしたりという事態に至るケースが数多く見られる。
もちろん学生の理解を向上させることのため、様々な授業手法にチャレンジしたり、あるいは自分なりの方法論を育てて、成果に結びつけている多くの同業者がいることは否定しないが、それが少数派であろうことは、当の成功者たちも同意してくれると思う。
そうしたアクティブ・ラーニングに対しての主たる反論は、大量の知識を教授することができなくなるというものであり、それはロースクール発足当初の双方向授業のすすめについても随分と言われたものである。
そうした「反論」は、大量の知識の教授を一方通行の講義スタイルで開陳したときに、学生がそれを受け取っていたのかという点を全く省みることなく、ただ双方向授業では大量の知識を教えられないというものだから、全く説得力がないのだが、しかしアクティブ・ラーニングが大量の知識を扱えないという事実は確かに存在する。
この本の最初に出てくる「双子の過ち」というのは、「網羅に焦点を当てた指導」と「活動に焦点を当てた指導」という両方で、網羅性を重視した授業が学習させるのに効果的ではないことから生じたアクティブ・ラーニングが、活動を重視するあまり、やはり学習させるのに効果的ではなくなってしまっているということをいう。
のみならず、アクティブ・ラーニングが多くなってきても、学生の受け身姿勢は変わらず、かえって単位取得が楽な方がいい、自主的に学習するより教師が指導してくれたほうがいいという傾向が強まっているという。その中では、特にグループ学習型のアクティブ・ラーニングではフリーライダーがはびこることになりがちである。
かくして、単にアクティブ・ラーニングというだけでなく、それによってより深い学習を可能となるようなディープ・アクティブ・ラーニングが必要だ、それはなんだ? というのが本書である。
最初の方だけでも色々面白いことが書かれている。
あとでテストするからといって論文を読ませると、学生には二通りの反応があるという。一つは、そのテキストが伝えようとする意味をしっかり理解するという反応と、もう一つは、そのテキストの中でテストに出そうなところだけ機械的に覚えようとする反応であり、後者の反応は実に浅い理解しかもたらさないというわけである。
司法試験突破だけを目的とした勉強をすると、どうしたって法学の学び方は後者の、試験に出そうなところを試験に対応できる形での習得になりがちで、そうすると前者の、法学の意味を深く理解しようとする学習態度には結びつきづらい。
そして前者の試験突破だけを目標としている連中に、より深い学習をもたらすような工夫をしても、うざがられるだけなのである。
それはともかくとして、アクティブ・ラーニングが浅い学習によってかわされてしまうのに対して、より深い学習をもたらす方法を、この本では論じている。
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