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2017/08/16

AIとロボットは人の仕事を奪うか〜法事

Pepper導師が読経や説法を担当 SF感ある“IT葬儀”登場

これは意外性のある展開で、あちこちで話題となっている。概ね不評なのだが、みんなが飛びつくところを見ると(私もだが)、案外目の付け所は良いのかもしれない。

よく、AIロボットが人間の仕事を奪うかということが話題となるが、果たして僧侶はロボットが取って代わることのできる職業だろうか?

人の僧侶がやっている具体的な作業は、決まりきったものと会葬者や弔われる対象ごとに異なるものとがあり得るとして、昔は決まりきった作業なら機械で代替可能だけど人を相手にする作業は無理と言われたものだ。しかし、今は、ディープラーニング僧侶がどこまでできるか、はっきりしたことは言えない。人とのコミュニケーションが機械にできないとは言い切れない段階に来ていそうではある。

それに対して、僧侶の場合は信仰がネックになるという反論があろう。
しかし、現代人の「信仰」というのがどこまでネックになるのかは疑問だ。人間の僧侶が執り行う儀式に対して、参集者が宗教心からそれをありがたがっているのかというと、そうは言えないような気がする。

そもそも信仰心が鍵であれば、宗派の異なる葬儀、場合によっては神式やキリスト教式でも執り行われる葬儀に、多くの人が違和感なくどれにも参列することなどあり得ないはずだ。信仰心をもつ人は、しばしば他の宗教による儀式に参列を拒んだりもする。ただし、最近では法王クラスが他の宗教指導者と儀式を共にしたりするので、なんとも言い難いのだが。

葬儀にデジタル技術やITが入り込むのが違和感ということも言えなかろう。すでに遺影はデジタル技術が大幅に取り入れられて、華やかな背景付きとなっているし、装飾というかお供えというかも、ITによる高度化が提案されれば、受け入れられるかもしれない。

読経だって、宗教心のない者にとっては、音声データにより流されることもあり得るところだ。もうそこまでくれば、ロボット型のスピーカーがお経らしき音声を流すのだってありかもしれない。

時間になったので、ここで終わり。結局、そうまでして仏式の葬式にこだわるのもわからなくなってくるのだ。

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