court:最高裁が傍聴人に説明資料を配布(追記アリ)
裁判の公開は憲法が定めた原則であり、非公開審理は例外的にしか存在しないが、その公開というのは膨張したければしても良いという状況を最低限整えることにとどまり、傍聴人の数が多ければ席の分しか入れなくても誰も怪しまないし、レペタさんと日本の弁護団が状況を変えるまでは、一般の傍聴人にメモを一律禁止することも平気だった。
今でも、裁判を公開することの一つのルートである記録の公開については、制限しても憲法の公開原則には触れないと解されている。
要するに、憲法に書いてあるから仕方なく最低限の公開の形式を整えるが、それ以上のものとする気はサラサラないのが日本の裁判所であった。
公開原則の意義とか、それを実質化する必要性ということも考慮の外だし、ましてや法廷を傍聴することが国民の権利と考えることも全くしてこなかった。
ところがところが、突然上記記事のような傍聴することを実質的に保障するようなことをやりだすのだからびっくりである。
最近の傾向としては、昨年から最高裁が突然開廷予定をネットにアップするようになったことも思い出される。→最高裁判所開廷期日情報
このときは全国の地裁で行われている裁判員裁判の開廷予定もネット公開することがうたわれていた。→札幌地裁管内の裁判員制度関連情報
ついでだが、裁判員に対しては保育サービスの充実も図られているので、興味のある方は保育サービス情報もご覧あれ。
未だに裁判所の法廷開廷情報は一般には裁判所に行かないと見られず、札幌の場合は一覧表として張り出しているが写真撮影は禁止でメモとるのは良いという現代社会に適合的でない制約が課されている。少しでも情報を出し惜しみする姿勢というか、原則非公開、仕方がないところだけ例外的に公開という姿勢を象徴しているように思えるのだが、ところが上記のような開廷表のネット公開とか、傍聴人への説明文書配布とかを突然する。驚きだが、そういう方向は大歓迎である。
こういう、全体傾向からすると少し突出した感のある公開実質化の動きは、ひょっとしたら最高裁長官かだれかの意思が反映しているのかもしれないが、大きくいえば、司法権という独立した存在たるべき権力に民主的なコントロールを及ぼす一つの手段が公開主義であり、その点からすれば裁判の公開は主権者たる国民の参政権に属する具体的権利である。これを制約することは原則として許されないのみならず、裁判の傍聴を実質的に保障するための諸施策を進めていくべき責務が、司法府には課せられている。
今回の傍聴人への説明文書配布は、そのような責務をようやく果たす努力をする一環と位置づけられるし、単に権力者の気まぐれで親切でやったことというような理解はすべきではない。
今後、望まれるのは、傍聴券配布対象事件について、別室にモニターをおいて審理のビデオリンクによる中継を行い、可能な限りリアルタイムでの審理の視聴の機会を保障すること、開廷表のネット公開の全庁への拡大といったあたりである。
それを超えて、例えば米国で行われている裁判記録のネット公開とか、法廷審理自体の中継放送とかになると、その対象事件の限定具合にもよるが、プライバシーとの兼ね合いが難しくはなるかもれしないが。
追記:傍聴人として説明文書をもらった方に見せてもらった。
極めて分かりやすい。
事案の概要等では参議院議員選挙の過去の平成24年と26年の大法廷判決を簡潔に説明し、また争点及び原判決のところでは今回の選挙前の公選法改正を端的に説明し、16件の原判決を違憲状態か合憲か、それぞれの件数を示している。
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