misc:働き方改革のギャップと就職活動
働き方改革という掛け声が大きくなっている。
これには色々な要素があり、正規・非正規の格差是正、労務評価と賃金体系などに絡むが、労働時間に関するブラック企業かホワイト企業かという点も注目である。
今朝のNHKニュースがこの点を特集していて、最初のシーンが笑撃的だった。
就職活動中の学生が、夜に志望先の企業を遠くから双眼鏡で観察し、残業をいつまでやっているかを確認しているのだ。
なんか、労働基準監督署にご就職ですか、という感じでもあるが、彼ら・彼女らは真剣なのだろう。
それにしても、労働時間の上限規制が新たに設けられ、それが過労死と認定できる一応の基準というのだから、素直に評すれば死ぬ一歩手前まで働かせようというのが使用者側であり、それを飲んでしまうのが労働組合というわけで、全く絶望的な話である。
もともと三六協定で残業が法定の基準以上に許されているのは、労働組合が従業員の立場に立ってきちんと交渉して、劣悪な(過労死が出るような)労働環境を許さない存在として期待されているのだが、企業別組合であり、使用者と一丸となって企業業績を向上させる存在となり、期待される抵抗勢力としての役割は果たせなくなったのが現状である。そのことは上部団体となっても全く同様ということが上記の妥結結果に如実に表れている。
それで、法律の規制が必要ということで、すでに存在する労働基準法の規制に重ねて刑罰の科される規制を重ねようというわけだが、その間はグレーゾーンとなる。
この構図、何かを思い出さないだろうか?
そう、高利貸付規制のかつての姿だ。利息制限法は20%を上限にして、刑罰のかかる規制は108%。このグレーゾーンを商売のネタに高利貸が跋扈し、多重債務が社会問題化した。
その後、最高裁の裁判による改革を通じてグレーゾーンは徐々に縮小したが、それでもなかなかなくならず、最後に最高裁が「任意」の意味を極めて厳しく絞ることで、グレーゾーン金利の存在は撲滅に至り、高利貸は倒産するかまたは銀行に吸収された。
いまなお銀行の傘の下で生き残って多重債務者を生み出しているのが問題ではあるが。
労働時間規制は、果たしてこの歴史を繰り返すのであろうか?
政治家の下でステークホルダーが交渉して立法しても、座視できない不正義が残り、最後は最高裁の鉄槌に期待するしかないというのが、この話の教訓だが。
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