nuk:炉心溶融を隠すに至った経緯
総理大臣官邸は「炉心溶融」の隠ぺいを指示したのか? 元内閣審議官が明かす舞台裏と真相
堀潤さんが、「当時の内閣審議官で、総理や官房長官らの様子を総理大臣官邸で広報担当者として直接見聞きしてきた、下村健一氏」にインタビューして、当時のリアルな状況を明らかにした。
当時のニュースを見てきた記憶の中の印象と全く一致しており、まさにこの通りのことが起こったのだろうなと納得の記録である。
伝言ゲームと忖度の罠が結果として情報隠蔽につながったことは間違いない。
この限りでは、悪意の存在は見当たらない。
しかし、「不都合でも隠すな、不確かなら喋るな」という方針が正しいとしても、それを動かす人間がとにかく情報を出さなければ良いという方向に動くのなら、やはりその方針はワークしないのだ。
不確かなことでも不確かなこととして喋って良い、というか場合によっては喋るべきことがある。
不確かなら喋るなということを間に受ければ、およそ可能性としての危険の予告なんて出来なくなるし、危険が予告されれば人々がそれを避けようと行動する、それをパニックとか混乱とか呼ぶのなら、どんどんリスクを見てみないふりをすることになる。
でも一方で、大雨・集中豪雨の可能性が出て来れば、注意報や警報を出し、被害が出る相当前に避難を勧告したり指示したりする。その結果として何も起こりませんでしたということになっても、多くの人が避難所に来て結果的に何事もなくても、それは原則として仕方がない、ということには異論がない。
もちろん誤報だったり、あまりに危険を過大視したりすれば文句も出るが、それは具体的な基準の問題であり、危険が予測されれば警戒を呼びかけることには異論がない。
要するに、「不確かなら喋るな」というのは、それ以外の要素を加味して加減しないと適用できない原則であり、解りやすいけど単純すぎる。
このままでは、次のパニックとなりそうな大事故(原発事故とは限らない)に遭遇しても、同じことが起きるだろうし、その結果、予測できたことでも公表には至らず、避けられた危険を避けられなかったという事態が起きるかもしれない。
不確かなことでも、不確かなこととして公表することを原則としなければ、伝言ゲームと忖度の罠からは逃れられないだろう。もっと透明性が必要だということだ。
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