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2016/03/16

misc:ショーンKの学歴詐称と言ってることがまともなら評価されるべき論

ショーンKという人は、残念ながら見たことがないのだが、センテンススプリング砲のおかげなのか、学歴や職業活動の実績が嘘だったとして、糾弾されているようだ。

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どこかのテレビ局の報道番組でキャスターなんだかそれに準じる扱いの出演者なんだかを任されたということだが、それが学歴等詐称していたことで降板したのだとか。

これに対して茂木健一郎氏が面白いことを言っているので、メモしておきたい。

学歴詐称していてもステキ!?ショーンKを擁護する茂木健一郎の発言に賛否両論

要するに茂木さんは、言っていることややっていることそのものが評価の対象で、それが高く評価できるものであれば、それ以外の個人の属性は関係がないし、その部分について嘘が混じっていたとしても今やっていることを否定するには当たらないというわけだ。

これはそのまま正論だと思うが、それが通らないのが日本社会でもある。

それ以前に、ショーンKこと川上さんの言動自体に批判的だった人もいるので、「高く評価できる」という部分については賛否がある。そしてショーンKという人を見たことがない私には、その点はなんとも言えない。

しかし仮に茂木さんが言うとおり、高く評価できる言動だったのだとすれば、議論は分かれる。

例えば、就職の選考において、応募学生の出身大学をわざと書かせないようにして、出身大学の評判にはかかわらずに本人の能力を見ようと試みることは、一般的に好意的に見られている。

これは正義の女神に目隠しをしたり、板倉勝重が障子の陰から裁きを下したのと同根の発想だ。

他方で、マスコミ、特にテレビの登場人物が能力本位で選ばれているかというと、そのように信じているのは世間知らずだということになっている。そうだとすると、ある人の言動そのものが評価されるべきだと言っても、実際にはその人の様々な側面・属性を踏まえて評価がされているのだから、その部分に嘘が混じっていれば、こりゃもうダメだろということにもなる。
これは、そういう選択の仕方自体に議論の余地があるところではあるが。

この問題、差別の厳しい環境では、その差別の要因を隠すことも許されるではないか、という話ともつながりそうではある。

ただし、ショーンKという人の詐称したのは、差別に対抗するのではなく、普通に自分をよく見せようとする経歴詐称だったようなので、その点では弁護の余地はない。

問題は、彼のいうことを有難がって聞いていた人たち、その言動を評価していた人たちが、経歴詐称が明らかになった途端に怒りだす理由だ。ショーンKさんの言動を評価していたわけではなく、そんな評価能力はなく、詐称された経歴に騙されてありがたがっていたに過ぎなかったことが、いわばバレてしまったから、それで怒り出すのであろう。
自分の評価能力のなさを直視しないで済む方法は、「嘘はいけない」という正論にすがるのが一番である。

そういうわけで、茂木さんのようにいうのはほとんど受入れられないことだろう。

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