Book:なぜネット社会ほど権力の暴走を招くのか
今年読んだ55冊目は、シヤンスポの先生であるJulia Cagéが書いたなぜネット社会ほど権力の暴走を招くのか
原題はSauver les médias ---Capitalisme, financement participatif et démocratie
直訳すれば、『メディアを救え--- 資本主義、参加型金融と民主主義』
内容は、メディアを救えという原題に忠実に、既存のメディアが、必ずしも紙媒体には限らないが主として新聞雑誌メディアが、資本の論理と競争で弱体化している現状を憂い、民主主義の基礎でもあるメディアを立て直すにはどうすればよいかを提案する本だ。
著者はピケティの妻ということでフランスでも話題になっていたが、日本語版では当のピケティが書いた評が序文になっている。
本書の問題意識には、もちろんネット社会におけるメディアの弱体化と言うことが入って入るが、それは安直に想像されるような、ネットで情報が流れているから新聞雑誌を人々が読まなくなってきているという話ではない。かえって、既存メディアのデジタルバージョンへのアクセス数は、従来の紙媒体へ人々がアクセスするのと比較にならないほど多くなっており、むしろメディアの隆盛という見方さえあるということだが、問題はそこではない。
一つには、資本の論理で、経費が切り詰められることにより、ジャーナリストの活動基盤が弱体し、取材力が乏しくなっていることが問題だとする。またネットメディアの登場によりジャーナリストの引き抜きもあり、従来のメディアが同一の紙面の量を保とうとすれば、内容が薄くなる。コピーも増える。そして株式上場により新聞の質を落として利益を追求する動きがより強くなり、ジャーナリズムの質は落ちる一方というわけである。
メディアの役割について印象深い一節を引用する。(訳書 149頁)
メディアは、他の分野の企業とは異なり、公共財の提供を第一の目的とする企業である。ここでいう「公共財の提供」とは、(中略)民主的な議論には欠くことができない、質が高く自由で独立した情報の提供を指している。
メディアの問題について、特にその解決策について著者は国際的に成功している大学のモデルに着想を得ているというのだが、そうだとすれば、少なくとも日本の大学の有り様は目に入っていないのであろう。日本の大学も質が高く、自由で、独立した情報の提供を目指す非営利の事業体だが、昨今の文科省はあたかも営利企業のようになれという方向を強いているようであるし、実際日本では株式会社立の大学というのがかつてもてはやされていた。つまり名実ともに営利企業たる大学というわけである。
という風に、ちょっと雑念が混ざりつつ、読んでしまった。
それにしても、邦題の「ネット社会ほど暴走」という話はどこから出てきたのだろうか?
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