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2015/10/01

conference:法、言語、ディスコースに関する国際学会

第5回 法、言語、ディスコースに関する国際学会 at Örebro

9月の終わりに、スウェーデンの南西部にあるÖrebro 大学を会場として、The 5th International Conference on Law, Language and Discourseが開かれた。統一テーマはCommunication and Fairness in Legal Settings。

 この学会は、中国の香港を第一回として、今まで中国での開催が続いてきたが、初めてヨーロッパでの開催となった。従って中国の実務家や法学研究者、言語学研究者などが参加者の3分の1ほどを占めているが、ヨーロッパ各地からも法律と言語の両面の専門家たちが集っている。

 基本的なコンセプトは、法廷における言語の問題一般、あるいは法実務における言語の問題一般を研究するというもので、今回のテーマは比較的法廷における言語の問題が中心となっていた。
 具体的には、法的文書の翻訳、法廷通訳の問題、法廷における言語の使用、実務家と一般人との法的言語上のギャップと理解可能性、調停における言語的な分析、EUのようなマルチリンガルな立法・行政・司法を余儀なくされている場合の問題点などである。コミュニケーションということで、脆弱性をもつ人々とのコミュニケーション課題というのもテーマ例に掲げられていた。

 以下、印象に残ったところを列挙してみよう。
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 最初のキーノート・スピーチは法的言語がそれぞれの文化的背景を根としていることから、本質的に文化的な衝突に巻き込まれるという趣旨のものであった。
 これに対する質疑がカオスで、司会が指名している質問者と違う人がマイクを取って喋り出すのが二人続き、司会に指名され先生たちも司会者も憮然。
 もう最後だからと司会者が指名した先生が話しているうちに、別の方で会場にいるある先生が別の先生にマイクを回すように学生に指示している。その学生が指示に従って、もう次の発言希望者がマイクを握りしめているが、司会者はもう終わりだと言っていた。さあどうなると思ったら、もう諦めたらしく、次々指名し始めた。

 本題としては、法文化により法とコミュニケーションの状況が異なるということをめぐっての議論が続いている。米国法文化とヨーロッパの法文化との差異、そしてこの学会の特徴をなす視点だが、そこに人口的にも大きな領域としての中国法文化の存在が指摘されている。
 法文化といっても、その内容は法それ自体に規定されているのではなく、法を動かす人、法律家≒法曹の意識や伝統、そこに20世紀末の冷戦終了と壁崩壊、そして民族主義の高まりなどの社会変化(革命的ともいえる)が問題を複雑にしている。
 また、糾問主義的手続と弾劾主義的手続との対比も持ちだされ、後者が必ずしも優れているとは言いがたく、社会が司法を信頼している場合には糾問主義的手続のほうが良いことがあり得る。同様に、国家裁判所と仲裁裁判所との存在感の違いも社会的背景に依存している。そうなると地域ごとに異なってくるのではないかとの議論に発展していった。
 これに対して、普遍的な公平fairnessというものはないのかとフロアから別の指摘があり、これに対して均一化への疑義もあり、議論は白熱した。

以後は、全体セッションがいくつかと分科会がいくつか設けられ、それぞれの参加者がもつ問題意識が比較的自由に提示されるので、実に幅広いテーマが並ぶ。
【法廷通訳・翻訳】
 全体会でも分科会でも法廷通訳の問題や翻訳の問題は大きなテーマであった。法廷通訳の不安定さは、誤判に直結する問題だけに、関心も高い。
 通訳だけでなく翻訳としても、例えば、EUディレクティブのconsumerという言葉でも、その定義規定のオランダ語訳とドイツ語訳とでは異なる意味が含まれ得る。
 各国のそれぞれ異なる理解を有する法的概念で近いものを訳語としてせんたくするよりも、法的意味の付いていない言葉を訳語に採用し、その内容をシェアしていく方が違いが少ないともいえる。しかしその訳語の意味をどうやって決めるのか、脚注などにコメントを付けておくことも考えられるが、それはだれか読むのかという皮肉な意見もあった。
 正攻法的な意見としては、比較法、法人類学、そして言語学などの所産を活用するというもので、まあこれは当然のことである。

 ちなみに、香港のバイリンガルな状況は翻訳という観点から見ても興味深い。
 香港では、長い英国統治の下で英語が公式言語であったが、住民に広まったわけでは必ずしもなく、中国への返還後は英語と中国語とが両方とも用いられる状況になっている。
 法廷で、英語「も」使うことができるというのが現在の体制だが、香港の法令は現在も英語中国語両方で公布される。その両者の乖離や誤訳問題が生じて実務でも理論でも混乱が生じているという。
 判決文も英語中国語両方が使われ、全部ではないにせよ翻訳が行われるが、次第に中国語で判決を書く例が増えている。しかし英語の判決のみが海外に報じられるという点も問題を複雑にしている。
 結論として、法廷では中国語が使われることが原則とはいえ、英語が今でも使われることが多いということのようである。

【レトリック】
 キーノート・スピーチの中でも取り上げられ、またワークショップでも取り上げられていたキーワードとして、レトリックが挙げられる。
 法と言語という観点では当然のことかも知れないが、Chaïm Perelmenなどの議論が改めて注目されているということである。レトリックはある種の合理的な論証提示であり、単なる演述ではなく思考方法でもあるといったあたりから語り起こされているので、30年前に大学院でならったレトリック法学とかペレルマン、フィーベクなどが思い起こされて興味深い。
 コーディネータに聞いてみると、今、レトリックは流行りの議論なのだそうであり、何回目かの波が来ているというところらしい。

【糾問主義と弾劾主義】
 糾問主義 inquisitorial systemと弾劾主義 accusatorial systemあるいは当事者主義adversary systemとの対比という興味深いテーマも取り上げられている。コミュニケーション論の角度から言えば、裁判官と当事者との関係において問題提起のイニシアティブの所在が問題となる。また、証人尋問における交互尋問制と裁判官尋問制と対比においては、証言という情報伝達は証人と裁判所(陪審なども含む判断者)とが送り手と受け手であり、その両者間での質疑という形になる裁判官尋問制が自然な形であるのに対して、交互尋問制は、情報の引き出し役と送り手とのやり取りを、情報の受け手が傍観するという奇妙な構造になる。その結果が、弁護士代理人が当事者席から質問し、質問者の方を向いて答える証人に対して「裁判官の方を見て答えなさい」と叱責するという不自然さである。
 ただし、陪審制の下では、たとえ裁判官が尋問したとしても、結局情報の受け手が質疑の埒外で傍観する構造になってしまう。
 そして、糾問主義と弾劾主義的手続との対比においては、とかく糾問主義が中世的な古い手続で近代は弾劾主義的手続だという理解で物事が語られるが、糾問主義的な土壌に無理やり弾劾主義的手続を移植しても、実質は何も変わらないだろうと言う、まるで日本を名指ししているかのような指摘もあった。

【メディエーション】
 メディエーション(調停)については、ヨーロッパでブームが続いている。そしてメディエーションの過程こそ、言語が問題となるところである。報告ではプロの議論と素人の議論という形で対立図式を作り、法廷ではプロの議論が中心で進められても調停ではそうは行かないことが指摘されていた。
 また、興味深かったのは、メディエーションを直訳すれば仲介ということになるが、法律上の言語を他国の法律用語に翻訳する作業も、元の国と翻訳された先の国との間の仲介を行うことであり、そのことは逆に、メディエーションも一方の立場と他方の立場とのすり合わせ、調整という過程が翻訳と同質だという指摘がなされていた。

【周知商標とポーランドの執行士制度】
 言語の問題とは直接関係ないテーマでも、いわば法律用語の翻訳のミスリードという観点から、中国の周知商標の問題とポーランドの執行士Bailiffが取り上げられていた。
 中国の周知商標は、馳名商標と訳されていて、これは「名を馳せる」だから、要するに良い、訴求力のある商標と理解されて、いわばポジティブに理解されている。従って、周知商標の勝手な使用は不正競争という意識が生まれにくいのだという。
 これに法制度の遅れが拍車をかけて、中国では他国の周知商標が国内で乱用される事態を招いたというのが報告の趣旨である。
 もう一つの、ポーランドのBailiff執行士問題というのは、差し押さえ・競売の額に応じて手数料を得る自由業としての執行士が、その報酬を過大に取立てたり、あるいは債権がないのに執行を行う不当執行に加担して報酬を得たりという問題が生じているというのである。
 執行士、日本では執行官であってつまり公務員なのだが、その日本でも手数料は競売代金から得るという仕組みであり、これはフランスの自由業としての執行士制度がドイツで公務員制度となったものをさらに導入したという沿革の名残である。つまり、手数料制を取るのはポーランドだけではなく日本もそうだし、フランスはもっとポーランドに近い。
 かくして、執行士の不正が問題となっていて、それが競売額に応じて収入を得られる構造に原因があることは確かだと思うが、同じ構造を持つ他の諸国でなぜ不正が問題とならないのか、その抑止機構の方に目を向けるべきである。

 以上の他、Justiceとは何か、Fairnessとは何か、結果の正しさと手続の正しさという意味で両者は区別されるのではないかなど、基本的ながら重要な問題を20カ国から来ている法律家・法曹が意見を出し合う様は極めてエキサイティングであった。

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