Dubrovnik戦争記念館
この丘の記念館に上る前に歩いてきたのが、旧市街の目抜き通り。ご覧のとおり観光客がハイシーズンで詰めかけ、大変な活況を呈している。
しかしそれがたった20年ほど前には、右の写真に残されていたような死の街と化していた。
展示に混じってビデオも流されていたが、砲撃により破壊され、それを黙々と片付ける市民の姿がぐっとくる。
丘の上まではロープウェイで行くことができるのだが、その上の戦争記念館から見下ろすと、本当に旧市街とそれに隣り合う市街地がよく見通せる。そしてミサイルを撃ちこめば、それはそれは甚大な被害であろうことが想像される。
さて、こうした戦争を経験したクロアチアは、もちろん他国からの侵略を受けるきけんというものも肌で感じているわけだ。従って軍備は備えている。
しかし、隣国との緊張関係が、あるいは近くの国で繰り広げられるテロや、さらには経済危機に伴う不安定化があったとしても、軍拡に走るわけではない。
隣国が潜在的に脅威であるからといって、その隣国と軍事的に同等の能力を我が方も身につけなければ安心はできない、隣国が核兵器を保有していれば、自らも核武装しなければならないなどといった短絡的な発想で凝り固まっていれば、世界の軍拡競争は全くとどまるところを知らない。
それは理性というものの欠けた、子どもじみた発想である。
もちろんボスニアも含め、戦争が発生してしまった段階では、戦争に巻き込まれた他国を支援する軍事行動に出ることが必要な場合もある。しかし、すべての国々がそうした軍事行動に出るわけではないし、それぞれの国には特徴に見合った対処の仕方がある。人道的な軍事介入をする国もあれば、軍事にわたらない人道支援を行う国、軍事力を背景としないながらも紛争の調停を主眼とする国などもある。
緒方貞子さんのインタビューを見る機会があったが、緒方さんは決して日本が集団的自衛権の行使に積極的になるべきだと言っているわけではなく、紛争の調停役としての存在感をもっと発揮すべきだと言っている。そしてそれは彼女の年来の主張でもある。
「日本側の一部の層に安易なナショナリズムがある一方、中国側の一部にも傲慢な傾向がみられる。どうすればよいか、答えは簡単に見つからない。だが、日米関係を強めれば、日中関係も安定するというほど状況は単純ではない」
「軍事力を使って、他国の紛争に介入することはやるべきではないし、やれることでもない。日本にそんな人的な資源があるとも思えない。ただ、海外の紛争地で人々を守ってあげるという、警察的な役割は大切だ。自衛隊が海外で治安維持の活動を展開することもひとつの方法だと思う」
「自衛隊を出すにしても物理的な限界がある。日本はもっと紛争国間の調停に入り、和平を仲介する役割をめざすべきだ。」
G8でもP5でもない国、例えばノルウェーなどが国際紛争に調停役として果たす役割は大きいのであり、日本も、そうした外交努力を尽くす方向に注力すべきである。
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