censure:東京都現代美術館の企画展示会問題
「おとなもこどもも考える ここはだれの場所?」展という夏休み向けの企画で、以下のような展示があった。
会田さんは、妻の現代美術家岡田裕子さん、中学生の長男と「会田家」として参加。3人が学校生活で感じた不満などを、白い布に毛筆で「文部科学省に物申す」と大書し、「もっと教師を増やせ」「教科書検定意味あんのかよ」などと訴える「檄文(げきぶん)」という作品を展示していた。
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市民からクレーム
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都生活文化局の担当者は「会田さんの展示全体として小さい子どもにはどうなのかという声が美術館と都側から上がり、展示内容の見直しを要請した」としている。
まず基本的に美術館側が、表現者に対して、その表現はヤメろということ自体に違和感を覚える。
表現の場を提供する役割の美術館は、むしろ表現の幅・自由を最大限保障することが任務であって、それをむやみに制限するのは任務違反だ。
制限して良いのは、表現それ自体が犯罪ないし権利侵害となって、座視すれば幇助ないし共同正犯となってしまうような場合だけだ。それも犯罪ないし権利侵害になるかならないかの判断のところを過剰防衛的にならないようにすることが要請されるが。
次に、市民からクレームに応じて、美術館と都が口を出し始めたところ。
そもそもの企画の趣旨に合わないということであれば、初めからご遠慮いただく。それは美術館であっても有り得る話だ。しかし一旦受け入れた以上は、市民からクレームに屈してはならない。そのような成功体験はろくな結果を産まない。
もちろん批判の自由はある。会田誠の表現に批判的な意見の表明は、このインターネット時代、いくらでもあるだろうが、美術館が批判意見の表明に場を提供するということもあり得た。
しかし、元の表現を改変したり削除したりすれば、もうそのような発展性は望めず、閉塞だけが残るのだ。
最後に、
会田さん自身が首相に扮し、たどたどしい英語で演説する映像作品「国際会議で演説をする日本の総理大臣と名乗る男のビデオ」も、問題視され、日本語字幕を外すことも検討されている
これは記事だけでは問題の所在がわからないのだが、いずれにせよ表現方法の当否はこれに対する批判と半批判によって片を付けるのが原則で、字幕を外すとか、表現内容に手を付けることを安易に考えるのはやめてもらいたい。
東京都の機関が行う行為である以上、正面から、表現の自由に対する侵害となる。
なお、以上のことは、犯罪や権利侵害に至らないヘイトスピーチであっても同様だ。
追記: この問題に関する会田さんの本人の見解が明らかにされている。また、その後の経緯が報じられている。→変更なく展示続行決定
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