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2015/02/26

Lawyer:最近の若い弁護士さんは法廷で起立しないで発言する

昨晩は、家庭裁判所裁判官のお話を伺う機会を得た。
このブログもご覧になって頂いているとのことなので、ちょっと書きにくいのだが、メモということで。

講演の主題は家事事件・人事訴訟一般についての幅広なものだった。しかしその裏側にはもうひとつの主題があった。新人弁護士向け講演ということで、法廷でのお作法について話してくれと主宰者側から頼まれたということである。

いくつか法廷のお作法という言い方で述べられていた指摘があったが、一番印象的だったのは、法廷で発言する時は起立しようと指摘され、起立することのメリットが説明されていたことだ。

何故驚いたかといって、学生時代から数知れず法廷を傍聴には行ったし、弁護士さんとの同席の会議も無数にあったが、一般的に弁護士さんといえば発言するとき立ち上がるというのが一種の習い性ともなっているという印象を持っていたからだ。
例えば教授会に特任教授として弁護士さんが参加した時とか、発言を求められると思わず起立して発言される方が多いし、法廷では短い発言機会でも立ち上がるのが普通の情景であった。

どうも最近の若い弁護士さんには、そうした習慣というか慣習というかが失われているようなのだ。

裁判官いわく、裁判官と当事者(側弁護士)という非対称な関係の中で、それを態度に示すことを潔しとしないといった、いわばイデオロギー的な反発から敢えて着席のまま発言するのかもしれないと。
しかし、そんな子どもじみた反応って、私達が若者だった70年代には、世間的にも良くあったが、今ではちょっとビックリするような昭和的な考え方に思える。イマドキの若い弁護士さんが突然、権威に挑戦的に振る舞うというのも、あまり想像はできない。

単に、法廷では起立して発言するのが当たり前という意識を身につける機会がないということであるとすれば、責められるのは法科大学院の教育で、もっと法廷実務に実際に触れる教育をすべきではないのかという話になる。ま、そのためには実務基礎科目が司法試験にでない、軽視する、ないしは実務基礎科目をマジメに取り組む余裕がない、という構造を何とかしなければならないのだが。

裁判官と、主宰者側の弁護士さんが上げる、起立発言のメリットは、法壇の上に座る裁判官と目線が同レベルになりアピール力が増すというものと、立ち上がっている側が発言の機会を確保していることで、相手方が途中で口を挟むのを防ぐことができるというもの。

そのメリットが説得的かどうか、法廷での経験が皆無の私には判断がつかないが、知らないうちに法廷での振る舞い方が変わりつつあることを改めて感じさせられた。

さて、昨晩の講演の最後に紹介されていた、若手弁護士さんに読んで欲しい本。割りと最近のものとしては以下のものがあった。私のTLでも話題になっていたものである。


このうち、実践 訴訟戦術―弁護士はみんな悩んでいるは、4人の立場の異なる弁護士がそれぞれの見方をぶつける座談会方式で、悩みどころがわかるということである。


Kindle版のものとしては、以下の弁護士研修ノート: 相談・受任~報酬請求 課題解決プログラムが紹介されていた。

追記:
こんなに反響があるとは思わなかったのだけど、書き忘れていた点を補足。
弁論準備とラウンド法廷の影響で、起立して発言する習慣が失われるというのはコメント欄のご指摘にもあるが、私も確かにあると思う。

それと、TLでのご指摘によれば、結構同年輩の人でも起立はしないという人はいるし、宣誓時の起立の有無も色々と面白かった。
昔は宣誓の時に民事では法廷内全員が起立し、刑事では証人だけが立つというスタイルが一般的だったが、それは東京地裁の荒れる法廷の影響の名残だという話や、地方では刑事でもみんな立つという話とか、裁判官により流儀が違うとか、まあいろいろ。

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コメント

裁判が弁準主体になった影響ではないでしょうか。弁準では着席のまま延々議論していたのに、法廷に入った瞬間、「陳述します」の一言のためにドタバタと起立して着席するというのは、当たり前な人には当たり前でしょうが、どこか滑稽でもあります。

制度導入を境に、弁論と弁準での発言時の振舞いの使い分けを無意識にできる層と、意識しないとできない層が生まれ、時がたち、「意識しないとできない層」の人が指導弁護士の多数派になってきた結果ではないかと、私は推測します。

投稿: とおりすがり | 2015/02/26 09:37

はじめまして。拝読しました。

最近の弁護士が起立しない背景について法科大学院の教育を挙げていらっしゃいました。
安易に個々人のせいにしたり最近の若者論に持ち込んだりしないのはいいと思うのですが、(司法試験の前段階である)法科大学院の問題だとすると、旧試験経由の先輩法曹は司法試験の前段階でどうやってそのマナーを身につけていたのかということになりませんでしょうか(まさか司法試験予備校ではないでしょうし笑)

もちろん、法科大学院で今後そのようなマナーを教えるなり、そこまではいかなくても、法廷での振る舞いについて考えたり触れたりする機会を持たせるなりすべきだということの提言はありうる思います。
しかし、法曹の間で共有されていたマナーが現に失われて行っていることの説明としてはどうなのだろう、との思いを抱きました。

スマートフォンから取り留めなく書いた乱文で恐縮ですが、感想まで。

投稿: MM | 2015/02/26 10:07

MMさん
法科大学院で起立するマナーを教えろということではなくて、先輩法曹の立ち居振る舞いはやはりOJTとか実務修習とかで身につけたと思いますし、そこで伝承されてきた習慣なのだとすれば、OJTや実務修習の失われた部分を担うべきだった法科大学院が、役割を果たしていない現れではないかということを言ったまでです。

でも、環境が変われば、つまり弁準が多くなり、ラウンド法廷での弁論も行われるようになれば、習慣は変わりうるでしょうし、起立の意義に対する考え方も変わる可能性はありますから、起立して発言するのが当たり前のマナーと考えているわけでもありません。

投稿: 町村 | 2015/02/26 10:29

東京の61期の弁護士です。発言時になんとなく立ってしまいますが、裁判官は立たないのに、なぜ自分だけ立つ慣習になっているのか、結構な抵抗感を感じています。

裁判官と弁護士が法律家として対等と思っているのが間違いなのでしょうかね。。
それか、裁判官と弁護士は対等でも、代理人と裁判体としての裁判所とは対等ではないと考えるべきなのでしょうか。

今でも「結構です」とか一言しか話さないときには中腰くらにしかなっておらず、自分でもみっともないなと思うので、今度から立たないで発言してみようかとも思います。

投稿: DW | 2015/03/03 19:37

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