politique:表現の自由と名誉・プライバシーとの衝突の一コマ
政治家が不都合なことを書かれたくなくてメディアに圧力をかけると言う話はよく聞く。
通常ならば、圧力をかけたこと自体もネタとなり、ますます不都合な記事の内容が膨らむところだ。
そんな好例が報じられ、喝采を浴びている。
しかし、この種の問題はそう簡単には割り切れない。
アメリカ・メリーランド州の共和党で公職を務める人をめぐる出来事で、選挙による公職という以上の情報はない。
カービー・デローター氏は、地元紙フレデリック・ニュースポストに自分のことが書かれたと腹を立て、今後自分の名前を勝手に書いたら訴訟を起こすと宣言した。デローター氏は選挙で選ばれた公人。同紙は「前代未聞」と反発、六日には名前を伏せて同氏をどう表現するかを真剣に考える社説を掲載した。ユーモアと皮肉が詰まった記事には「カービー・デローター」と連呼する表題を含め、フルネームを二十八回織り込んだ。
両者の対立はソーシャルメディアを通じて全米の関心を集め、デローター氏への批判が高まった。同氏は七日、報道の自由を侵害し「不適切で間違っていた」と謝罪、白旗を揚げた。
ことの是非は、このデローター氏のどのような内容が報じられたのかによって異なる。
政治家は一般人と異なり、プライバシーにわたる内容であっても相当に公にされることが認められるが、全く無制限というわけではない。
名誉やプライバシー以外にも、例えば差別などの理由で言論内容が不適切とされ、場合により法的責任が問われることもありうる。
そうした問題を棚上げするとしても、訴えるぞと公に宣言した行為は、いわゆる政治家の不当な圧力と言えるかという点もある。
一般には、公の場であからさまな圧力を掛けてくることは少ない。大抵は非公開の場で伝えてくるだろう。
非公開の場で圧力をかけられた側が、上記のように、そのことを明らかにするのでない限り、圧力をかけられたこと自体も隠蔽されてしまう。
加えて、露骨な圧力でなくとも、経済的な圧力、スポンサーや印刷メディアであれば流通過程を通じた圧力がかけられれば、これまた表面化しにくい。圧力に屈してしまえばもちろん分からなくなるが、不当な圧力だと抗議したとしても、圧力をかけた側がシラを切ることでうやむやとなる。残されるのは、隠然たる圧力の存在だけである。
こうした隠然たる圧力、特に後者は経済的テロともいうべき手段であるが、そうした搦め手からの圧力に比べると、公の場で「訴えるぞ」というのはなんとも清々しい。
もちろん提訴リスクというのは経済的にもダメージだし、特にアメリカではディスカバリーなどの手続的負担が被告側に重くかかるし、いわゆるSLAPP訴訟は卑劣な攻撃の典型例でもある。
SLAPP訴訟、恫喝訴訟などともいうが、日本だと武富士の名誉毀損訴訟が典型例である。
→arret:不当提訴で損害賠償を認めた例
→SLAPP訴訟情報センター(ただし、個人的にはこのサイトの管理人のケースがSLAPP訴訟と言ってしまえば、裁判を受ける権利の否定になってしまうと思うが。→オリコンvs.烏賀陽弘道)
今回の場合はさらに、ソーシャルメディアで注目を集めて、デローター氏に批判が集まったことが同氏の謝罪をもたらしたという。
このこと自体も、新聞社の表現の自由を守る立場からすると喝采ものだが、銃口はどちらにも向くのである。
この種の問題、もやもやは晴れることがない。
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