Franceにおける中絶合法化40周年
ベイユ法と呼ばれる中絶合法化法(IVG)が施行されたのが1975年1月17日、その40周年を記念して、フランスの国民議会サイトは特集ページを設けている。
ベイユ法と呼ばれるのは、もちろんシモーヌ・ベイユが保健相として主導したことに由来する。
上記の特集ページによれば、フランスで中絶が禁止されたのは1556年にさかのぼるが、ナポレオン法典でも拘禁または罰金をもって刑法上の罪とされていた。
その後も、第一次大戦後の出産奨励により中絶禁止が強化され、Vichy体制下でも強化された。
戦後、女性の性的自己決定権が次第に承認されるようになった世界的な潮流の中で、ピルの解禁が1956年にドイツで、1960年にアメリカでなされ、1967年にはフランスでもloi « Neuwirth »がピルを解禁した。
このピル解禁は中絶の事前防止という目的もあったが、その当時、毎年30万人もの女性が非合法中絶あるいは隣国での中絶を行っていて、その防止にはつながらなかったという。
中絶解禁への歩みは、1960年頃からの女性解放運動の中で進み、1973年には中絶と避妊の自由化を求める運動が組織された。
1971年には« Manifeste des 343 »という、343人の女性たちが中絶経験を公にすることや、1973年には« Le Manifeste des 331 »という、331人の医師たちが中絶を施術したことを公にするというNouvelle Obsの特集が組まれた。これらはいずれも刑事罰を受けることを覚悟した告白である。
さらに、1972年、16歳の少女が強姦ののちに中絶したことを持って訴追され、無罪となる事件が起こり、Marie-Claireのボビニー訴訟と呼ばれた。彼女自身は無罪釈放されたものの、家族の中絶幇助は執行猶予付き有罪判決を受けた。
1974年7月、ジスカールデスタン大統領は中絶を理由とする訴追を行わない旨を表明し、恩赦法が制定されたが、なお刑事上罰すべきとの法制度自体を廃することが求められ、同年末に議会で中絶禁止の削除法案が可決され、40年前の1月17日に発効したのである。
実はこの当初の法律は5年間の時限立法で、最終的に中絶を自由化するかどうかはさらなる審理に委ねられていた。そして最初の10週のうちは中絶ができることを最終的に認めた法律は1979年に制定されている。
40年が過ぎて、女性の中絶に対する権利が基本的な権利であることの認識はすっかり定着し、2014年11月26日には、国民議会において中絶に対する権利が再確認される決議がなされている。
この決議を主導した議員グループの筆頭がカトリーヌ・クテル議員で、ポワチエ選出の下院議員さんだ。
個人的には、井上匡子・神奈川大学教授およびモネ・ポワチエ大学教授とともに、昨年春にクテル議員に面会し、フランスの女性と法の問題に関する意見交換を行えた。貴重な機会だった。
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