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2014/04/10

STAP細胞騒動に思う一民訴学者の感想

日本中から異常に注目を集めた小保方さんの記者会見から一夜明けて、さすがに興奮もおさまって来たようだ。
オリンピックの記憶も霞んでしまうようなマスコミの取り上げぶりで、iPS細胞の臨床応用騒動のときよりも凄いのはなぜかと思わないでもない。


ちょっと敷衍すると、世間的にはリケジョの星として持ち上げた段階ではしゃぎすぎたことへの反動が凄いということだろう。マスコミは例によって自分ではしゃいで自分でそれに煽られ、自家中毒でもしているかのようだ。そこに、2ヶ月という長すぎもせず短過ぎもしない小保方さんの沈黙があったものだから、最高にドラマチックとなったと思う。

学者と言われる人たちからすると、専門の近さによって違うかもしれないが、最も遠いところにいる文系法律学からしても、研究者としての振る舞い、研究費のあり方や研究環境、昨今の大学改革が「目立つ」研究をしろという圧力に単純化されている中でのもがきを自覚している人の自己投影、あるいは誠実な研究者であればあるほど、自分の教え子がコピペとかしてもらっては困るというところからくる落ち着かなさ、などが「人ごとじゃない感」である。

ということで、小保方晴子の業績はニセ物だと完全に結論づけている人たちでさえも、無視することはできないどころか、フィーバーしちゃう(1980年代)わけである。

そんな中で、私個人の感想は、彼女を全否定しちゃっている人たちの危うさが気になるところだ。

大学教員生活の中では、気の重いことに同僚の不祥事に対して処分する場に居合わせることがないわけではない。それ専門の委員会にいれば気の重い仕事が山ほどあるわけだし、そうでなくても、ヒラ教授であっても教授会の場で関わることになる。小さなところでは、教授会が処分の実質的な主体となるところもある。

そういう中で、処分対象者の行った処分事実に争いがあるときでも、本人が否定すれば見逃されるかというとそんなことはなく、ぎりぎりの証拠を積み上げて確認に至った事実を挙げて処分することになる。従って処分理由は些細に見える形式的規定違反(とはいえ懲戒処分に価するもの)とかになりがちで、悪意とか故意とかが問われるような事例に立ち入るのは難しい。
しかし本音では、本当にひどいやつだという確信をいだいていないと、重大な処分にはなかなか至らない。

そういうわけで、懲戒処分を下すときには、特に同僚の場合など、悪事を働いたことに確信を抱いているわけだが、そこで落とし穴がある。悪事を働いたことが明らかであれば、もうそれで十分で、本人の言い分とかを聞く必要がないとか、聞くとしても形式的に聞けばいいとか、そうした態度に陥りがちということだ。

処分対象者の非行事実が重大で、許せないと思っている場合であればあるほど、その処分を下すプロセスでは処分対象者の言い分を聞き、その言い分が認められる可能性を徹底吟味し、なによりも対象者が言いたいこと・立証したいことを、それが尽きるまで機会を与え、それらをまともに取り上げた上で結論を下すのがまっとうな手続というものである。

処分対象者が悪いことをした、悪いやつだという理解に確信を抱いてしまっている人には、なかなか理解されず、上記のようなことを言うと「お前はあいつの味方をするのか、金でももらってんのか」などとあらぬ非難わ浴びかねない。処分対象者が女性だと、それこそセクハラ的火の粉が本人にも上記のようなことをいう人にもふりかかる。

もうこれは、例の光市母子殺害事件に典型に現れたような、刑事事件における世間の反応と同根である。
事件捜査にあたる警察や検察の陥るワナでもあり、こいつが犯人だと確信した段階で否定的な証拠はすべて有害だとして開示しなかったり、被疑者をなんとしても自白させなければと使命感に燃えたり、場合によっては証拠捏造にまで走ったりする。
それが大半のケースでは結果的に正しいから、余計に始末が悪いのだが、誤った確信から暴走してしまった事例は、村木さんのようなケース、袴田さんのようなケース(これはまだ結論は出ていないが)など枚挙にいとまがない。

刑事裁判の例を挙げると、それと小保方ケースとは違うと言われそうだが、要は、こいつは悪いやつだと確信を抱いた人が処分決定過程において、どんな態度に出るかの例である。

そして昨日の記者会見で小保方さんが語ったことのうち、調査委員会の調査プロセスは、少なくとも処分対象者にあのような意見を言わせてしまったという時点で、適切な手続保障ではなかったと考えられる。

意見聴取の機会が5回なのか1回なのかと言われているが、単純に回数の問題ではない。小保方さんに一方的に質問をするだけで、本人の言い分を述べる機会を与えなかったとか、実験ノートを見てもはっきりしないという点も本人が記述について説明する十分な時間を与えなかったとか、そもそも二冊しかなかったのはその場にあったのをすぐ出せと言われた結果であって、ちゃんと用意すればもっとあったのに、とか、彼女の調査プロセスに対する異議自体が真っ赤なウソであるならともかく、時間的にも不十分だったようであり、完全に否定することは難しかろう。

要するに、彼女を調査の客体(情報源)のように扱い、一方当事者として遇していなかったように見える。

ただ、上で述べたように、懲戒処分の理由として固いところに絞るというのが調査委員会の前提であるとすれば、そうした態度も分からないではない。

小保方さんに突きつけられている問題は、私の思いつく限りは三点。
(1) 論文、特に早稲田の博士論文におけるコピペ問題。
(2) STAP細胞の実在性を報告する論文における主に画像の流用や切り貼り、改ざん
(3) そもそもSTAP細胞なるものの発見が事実であったか虚偽であったか

この内、(1)は否定しようのない悪事であり、研究倫理のみならず法的にも問題がありそうだ。しかしこの点は、理研の調査対象ではないであろう。
(2)は、今回の疑惑調査の中心で、調査委員会の任務はこの点に限られたもののようである。そして悪意ある改ざんだと結論づけ、これに不服申立てがでている。実験ノートの数とか不備とかも、この部分に関係するところがある。
そしてこの点も小保方さんは事実として認めるところであり、それは未熟さであって迷惑をかけたが、だからといって捏造とされるのは承服しがたいというわけだ。捏造かミスかは、法的な評価の問題という面もあるから、立場によって結論が分かれうる問題でもある。

処分事由の調査はこれで尽きているようだが、彼女が捏造と決めつけられて反発するのは、それによって実験全体の正しさまでも否定されるから、要するに(3)の問題としても虚偽だと決めつけられるから、だからこそ実験のプロセスにミスはあったが捏造して結果をでっち上げたわけではないというのであろう。
そして世間の興味もそこにある。正直言って、研究者としての倫理とか未熟さとか(2)の問題は、それが結局全体のSTAP細胞ってあったのか、壮大な虚構なのかという点につながるからこそ問題視されるのであり、(2)の問題それだけであれば、あまり興味はないのだ。
小保方さんが悪者と確信している人たちも、そもそもSTAP細胞の発見ということに懐疑的だった人たちが、(2)の問題を手がかりとして、やはりウソで塗り固められた虚構だったなとして非難している。200回成功したというのも、かえって火に油というか、ウソにウソを重ねる典型のように見える。

ということで、懲戒処分の事由の特定という調査委員会の任務の範囲はともかくとして、問題の中心はやはり(3)にあるのだ。

そして、(3)の問題であるとすれば、立証責任がある小保方さんには時間と研究環境を用意して、実験の過程と結果とを証明してもらう事こそが求められることであろう。なにしろコツさえ掴めれば簡単に何百回と再現できるというのであるから、野依さんの見ている前でも明らかにできるのではないか?
 逆に、今の彼女の状況、すなわち理研の研究施設で十分実験を行う環境にないということでは、それは望めないからすぐに証明できないというのはもっともな言い分であるように思われる。

そして調査委員会の任務は懲戒事由として適当な(2)の問題に限るという前提も、それを認めたとしてもなお、十分な言い分を彼女が言えるような、少なくとも数ヶ月は時間をかけた手続を重ねることが必要不可欠だ。
それを怠って、(2)の点についての攻防で泥沼の法廷闘争になってしまえば、喜ぶのはイエロージャーナリズムとそれを無批判に消費する大衆だけ。そして本当はSTAP細胞ってあったの?という疑問は満たされないまま、ゲスい憶測だけがひとり歩きすることになる。

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コメント

突きつけられるべき問題3点のうち(3)がおかしいのだと思います。 (3)を変更してみます。

(1) 論文、特に早稲田の博士論文におけるコピペ問題。
(2) STAP細胞の実在性を報告する論文における主に画像の流用や切り貼り、改ざん
(3) 実在性を立証するに足る、本来論文に使用する筈だった正しい画像、データの存在

小保方さん会見の骨子も「正しい画像はあるのに、忙しいので違う画像を誤って使ってしまった(だけなので悪意ではない)」というものでしたが、じゃあ何でその「正しい」画像を提出しないの?というのが素直な疑問です。
それを出せば解決するのに。 そして、ネイチャー向けには差し替え画像をすでに提出し、それにも疑義が生じたのに。

これまでなかったものを作り出したことを立証したい、というのが本来の論文提出の意義なのだろうから当然その立証データを出すべきで、そこに疑義が生じたのが今回の問題。だから問題の核心もやはり立証のためのデータでしょう。
「でも、真実はどうだったの?」というのは疑問のテイを成さないし、そこに話を持っていくと批判者に不在証明を求めるような非科学的な話になってしまいます。

投稿: tomo | 2014/04/11 06:11

1ヶ月も前のエントリーへのコメント失礼します。
既に再調査をしない決定も出ていますが、今回の騒動でずっとおかしいと思っていたことがこの点です。

「処分対象者の非行事実が重大で、許せないと思っている場合であればあるほど、その処分を下すプロセスでは処分対象者の言い分を聞き、その言い分が認められる可能性を徹底吟味し、なによりも対象者が言いたいこと・立証したいことを、それが尽きるまで機会を与え、それらをまともに取り上げた上で結論を下すのがまっとうな手続というものである。」

この論文に関する科学者の指摘などから、過去の類似の論文不正事件と重ね合わせた先入観で予断を持って断罪されている可能性もあり、まったく聞く耳を持ってもらえなかった小保方氏にしてみれば、万引きで捕まったはずなのに強盗殺人で起訴されたみたいな感じなのではないかと思います。しかも判決を下したのが当の検察で、世間にも強盗殺人の有罪確定と認識されてしまったという。

小保方氏は冤罪を訴えていますが、それを晴らす場はあるでしょうか。科学コミュニティの信頼を完全に失ってしまった以上、若山教授のようなトップクラスの科学者の協力が得られるとも思えず再起は難しい気がします。

投稿: 山田三男 | 2014/05/12 18:19

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