Air Franceキャンペーンが差別的表現だとされているが。
あのANAの広告が差別だと攻撃された件からそんなにたっていないが、今度はエア・フランスの広告が差別的だとして攻撃されているらしい。
英語版はこちらで、表題にハッシュタグが出ているように、Twitterでの反応を取り上げている。
Air France's Ads Blasted As 'Racist', Twitter Responds With #FixedIt4UAF
記事の中では、アジア系アメリカ人の活動家ジェン・ファン氏がフェティシズムのオリエンタリズムだとして、特に北京のポスターに次のような非難を加えている。
「エールフランス航空を売り込むために、モデルの女性はアジア風の目元を再現すべく黄色のメークを施され、レンズ以外のところをうつろに見据えている。頭には、身の毛もよだつ血まみれの冠さながらとなった、我が中国文化の無残な残骸を、さも誇らしげに載せている」
もっともハフィントン・ポストの記者(カナダ)が最も感銘をうけたのは東京のポスターらしく、一言で言ってモダンなゲイシャの写真が冒頭に掲げられ、かつTwitter上でのパロディのネタにされているというのが記事の主体になっている。
ということで、差別的表現が問題になっているという点よりもむしろパロディのネタにされているというのが注目点なのかもしれない。
それはともかく、世界各地を題材とする広告では違いを強調するわけだし、その違いを単に事実として写すのみならず、見る人の感情を掻き立てるような形で強調したりデフォルメしたりする。笑いを取ろうとすることもあれば不気味さの魅力みたいな線を狙うところもある。
エキゾチックな魅力というのは、そういうものだ。
そういう線を狙う限り、差別との批判を向ける人が現れることは不可避的で、やむを得ない軋轢というものなのだろう。表現は自由だし、表現行為に対する批判も自由なのだ。
そしてこれをもって個人的に気になるとか気にならないとか言ってみても、それ以上のものではない。
個人的な感情で許せないと思ったというだけでは、他人の表現を圧殺する理由にはならない。差別的で嫌いだ、いやだと非難するのは自由だが、だからといって消せとか撤回しろとか表に出すなというのは自由の濫用というものだ。
他人の表現行為をやめろと言えるのは、それが誰かに対する具体的な権利侵害となっている場合が典型的であり、特定の集団に具体的な不利益を課す行為も同様だ。ヘイトスピーチデモなどはまさにこれに当たる。
あと、政策的に一定の差別的表現を許さないとすることも、立法政策としてはありうるところだ。例えば民族融和が必要な社会において、あるいは過去の民族差別・人種差別を克服しようとしている社会においては、差別的表現を法的に禁止することも考えられる。
浦和レッズのケースは、立法によってではないが、この文脈で理解できるものである。
また表現行為にとどまらないが、ポジティブアクションなどもこの文脈に位置づけられる。
上記のエールフランス航空の広告表現は、こと日本に関して言うと、今でもまだゲーシャですか、と呆れてしまうのだが、それなりに美しく仕上がってもいるし、少なくとも日本人に具体的な不利益を課すような表現とは言いがたい。
賛否両論あっていいが、許されざる差別というわけではない。そしてまた、パロディのネタにされこそすれ、撤回しろとか削除しろといった議論にはなっていないようなので、その点は一安心であろうか。
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