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2014/02/09

Olympic代表選手だからといって、日本を背負う必要はない

全く世の中にはバカバカしい言説がまかり通っている。

日本人、日本、国の代表とかいうことに過剰な思い入れをしているのも、自分自身にそういう意識でいるのならともかく、他に人に勝手な思い入れを強制するのは愚かだし、害悪ですらある。

四年前の国母制服着崩し事件でもそういう傾向があったが、オリンピックの代表選手だからといって日の丸を背負っただの、国の代表だのと、勝手に決め付けるべきではない。

その意味で、「負けたのにヘラヘラと『楽しかった』はあり得ない」 竹田恒泰氏の五輪選手への「注文」が賛否両論という記事で取り上げられている言動は全くとるに足らないものであって、選手諸君はこんな雑音に耳を貸す事無く、のびのびとソチ五輪を楽しんてきてもらいたい。

もちろん、個々人が国を背負う覚悟でとか、日の丸を背負ってとか、負けたら悔しいとか、思うことは全然不思議ではないし、それはその選手個人の意識だし、自分の能力を引き出す一つのやり方だ。
しかしリラックスして、自分だけのために全力をつくすことで、能力を発揮できるのであれば、全く否定されるべきことではない。

そして、結果がメダルという形にならなかったとしても、あるいは上記のバカバカしい記事では一位=優勝という結果でなければヘラヘラできないことになりそうだが、ともかく世間の期待は期待として、自分の出した結果が自分にとって悔いのないもの、すなわち、全力を出せた成果であるならば、何恥じることなく満足を口にしていいし、楽しめたからよかったとニコニコ笑って全然構わないし違和感もない。

そのときに、上記のバカバカしい記事をチラッとでも脳裏に浮かべて楽しめなくなってしまえば、台無しだ。
そういう意味で、全くもって害悪を撒き散らす言動だと思うのだ。

なお、個人的に好き嫌いはあって、私もメダルを噛むのは気持ちが悪いと思ってはいる。しかしだからといって、品格だの何だのと難癖をつけ、国の代表だからと大時代的に構えることがいいのかといえば、そんな理屈を付ける必要はない。嫌いなものは嫌いでいいし、それ以上のものではない。

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