theatre:舞台:気骨の判決を見る
新宿紀伊国屋ホールで上演中の舞台「気骨の判決」を見る機会があった。
実を言うと紀伊国屋ホールには初めて入るのだが、実にレトロな雰囲気の劇場であり、それに集う人々の雰囲気も大半が60代か70代という風情であったせいもあり、昭和の雰囲気を満喫できた。
さて、題材は、このブログでも紹介した吉田久大審院判事の物語である。
既にNHKテレビでもドラマ化されていたが、舞台の演出はドラマとは勿論だいぶ違う切り口で、これはこれで楽しめた。
以下感想なのでネタバレあり。
さて、舞台バージョンでは、戦時下という時代背景の息苦しさの中でもがく人々というのを主テーマとしていた。法的な問題や司法の独立ないし裁判官の独立という問題も、戦時下の息苦しさの中に置かれて、強調して取り上げられていた。
非国民という言葉も、少し前までは頭のおかしな人々を除けば、ギャグ用語でしかなかったものが、大真面目で語られる時代。そのような時代の暗さ、生きづらさ、そして司法の独立を貫くことの困難さが非常に丁寧に描かれていた。
この舞台を見て自由と民主主義の時代を謳歌している現代からは別世界だと思う一方、今、非国民という言葉が、あるときは「反日」と言い換えられて、あるいは売国的ないし売国奴という類義語で、頭がオカシイわけではない人々がギャグとしてではなく口にするようになってしまったことを思い出した。
この物語が当然の前提としている価値観、すなわち政府の意向はどうあれ自主的に、自律的に、正しいと考えることを言い、自らの信念に従って行動する自由は尊重されるという価値観を、果たして今の社会でも受け入れられるのだろうかと、そんな疑問に取り憑かれてしまった。
そんな中で懸命に抵抗する吉田部長判事だが、印象に残ったのは、吉田判事と対立する帝大出身の大審院判事が自分の妻に、「吉田さんの奥さんと仲良く付き合うんじゃない、判事の妻としてふさわしい行動をしろ」と叱りつけたのに対し、奥さんが、その後で自分たちのお米を吉田判事の奥さんに分けてあげて、「私は主人に言われた通り、判事の妻にふさわしい行動をしたまでです。困ったときはお互い様」というセリフを述べるシーンである。
裁判官たるもの、あるいは人々全般に、時局に阿るべきではなく、正しいと思うところに従って行動せよということだ。
これに「法(律)」が絡むと、難しい話になるのだが、とりあえず違法な行為をゴリ押しする行政府に法の番人が抵抗するというのが舞台の筋なので、人々の正しいと思うところと法との矛盾可能性といった難しい話はスルーしておこう。
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