politique:自民党の参加しない討論会は開けないの?
公職選挙法でも放送法でも、選挙報道については公平中立な取扱いをしないと行けない。
そのせいで、外山恒一とかマック赤坂とかと安倍晋三とかとが同列に扱われるというのは、それはそれで面白いのだが、公平中立は適正さと時として対立する概念だ。
そんな一端が、時事通信社主催討論会の中止という事態に現れている。
朝日新聞の記事でも結構ナーバスになっているのか、はっきりとは書かれていないが、次のようなことらしい。
討論会が予定されていたある選挙区の自民党候補の陣営は「党本部の指示で参加を断った。司会者の人選に問題があったと聞いている」と明かす。
問題のあった司会者は、「司会は、三重など3会場はジャーナリストの下村健一さんが、滋賀は元NHKアナウンサーの堀潤さんが務める予定だった。」と。
なるほどと思わせる人選ではある。
ここで問題だが、特に自民党に限ったものではなく、候補者の一人が参加しないというだけで討論会自体がオシャカになってしまうのは問題がある。
法的には、全候補者に公平に発言の機会が与えられることが重要なのであって、実際にそれを使うかどうかは候補者側の判断なのだから、出席して黙っていようと、そもそも欠席しようと、主催者側の公平中立には影響しないと考えるはずだ。
ただし、一部の政治勢力の参加ができないような仕組みにしておいて、巧妙に排除して討論会を開くということが横行すれば、公正中立は損なわれるかもしれない。極右ないし極左の活動家が入り込んでいる討論会に同席すること自体問題ありと考える立場ももっともだ。
でも全候補者に討論会を開くこと自体の拒否権を与えてしまえば、候補者に都合の悪いことを隠蔽する討論会ばかりになってしまって、何の意味もなくなる。街宣車から名前を一方的に連呼し、街頭演説でも自分がしゃべるだけ、批判的な意見は聞きたくなく、場合によってはプラカードで抗議の意思表示をしようとしても妨害して取り上げてしまう、そんな選挙運動と何ら変わらないことになる。
SNSを活用したネット選挙が始まると、一方では候補者の本音に触れることができるかもといった淡い期待があったが、他方で最も懸念されたのが誹謗中傷に晒されるということだった。ここで恐れられている「誹謗中傷」には、まっとうな批判とか、答に窮するような鋭い質問とか、そのようなものも含まれているのではないか?
それでもネットを通じて動画配信は可能になった(本当は文書図画ではないから前から可能だったはずだけど)し、ウェブページやSNSを通じた選挙運動も可能になった。そしてそれらの選挙運動は不特定多数に支持を呼びかけるものだから、予め批判勢力をブロックするということができるはずもなく、厳しい批判や鋭い質問、価値観の対立に晒されることは止むを得ない。民主党代表が今まさに味わっているようなことは誰でもありうる。
ネットメディアも、公正中立に縛られることなく、実質的な価値選択をした上での情報発信が可能になっていて、現にそうしている。
公平中立に拘泥して言論・表現の量を萎縮させるよりも、多様な、つまり必ずしも公平中立とは言い難い言論・表現が氾濫する方が、表現の自由市場という考え方にも馴染む。
自由な言論が当たり前になる社会が到来することを望む。
しかし、それでもマスコミは別かもしれない。電波を独占する放送メディアはもちろんだが、大資本と販売店網に裏打ちされた伝播力をもつ新聞も、これに乗せられるルートを持つ通信社も、公平中立に縛られるべきかもしれない。外国ではそうではないし、マスコミのレベルでもかえって多様性が保障されたほうが言論が豊かになるかもしれないが、スポンサーを通じた隠秘な言論圧力とか、それに輪をかけるクロスオーナーシップ問題とか、番組と広告の峻別もできないような現状では、多様な言論の担い手として期待できるものではないのだ。
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