news:尼崎事件を題材にしたメディアリテラシーの勉強会
センセーショナルの一言に尽きる尼崎の事件は、今のところ、「S.M.被告」という女性をシンボルに、底知れない不気味な事件として伝えられている。
しかし、こういう時ほど、普段のメディアリテラシーや犯罪捜査に対するモノの見方が試されるときはない。
警察発表ジャーナリズム、あるいはリーク報道の問題性を今こそ思い出そう。
警察発表は、捜査側の一方的な主張に過ぎず、メディアが警察発表を無批判に垂れ流すことは発表ジャーナリズムと批判されている。正式発表ではなくリークの積み重ねにより事件の「真相」が次第に明らかになるように見える報道は、正式な発表よりももっと質が悪い。
このことは、列挙すればキリがないほどの冤罪事件(広義)に触れて、世間に周知のこととなったはずだが、喉元過ぎれば熱さを忘れるの理どおりである。
上記の被告人がもっぱら主役として扱われているこの事件は、北九州で起きた一家監禁殺人事件を思い起こさせる。そしてその事件では、当初、男性と女性の2人の主犯格のうち女性の方が主犯として前面にでて報じられていたものだ。女性の方も実は被害者であったということは、後に、刑事裁判になってからようやく知らされたといっても過言ではない。
そのことを思い出すと、上記の被告人の真の役割が報道から想像されるようなものと断定することは、現段階ではできない。
現段階では、特に警察発表だけがほとんど唯一の情報源で、周辺住民などへの取材でも基本的な事件の構図を警察発表に依拠してなされる以上バイアスもあり(一説には警察の構図に逆らう報道はできないともいう)、結局、警察の一方的な見方、しかも捜査途上の未確定な見方が拡大膨張し、ひとり歩きする状態だ。
もちろんそれが正しい場合もあるかもしれないが、そうと限ったものではない。
メディアを受け取る我々の問題というだけでなく、メディア自身の問題でもある。
現在まだ進行中のPC乗っ取り事件で、無実の人が何人も虚偽自白に追い込まれたのを目の当たりにしているのだが、上記警察発表の事実が真実だと信じてしまう無邪気さは、全く救いがたい。
たまたま朝日新聞サイトが目に入ったのだが、PC乗っ取り事件で自白を強いられた大学生について、下記のように報じられている。
横浜市のホームページに市内の小学校に対する襲撃予告が書き込まれた威力業務妨害容疑事件で、神奈川県警の捜査員が、容疑を否認していた東京の大学生(19)に対し、「名前が公に出る心配はない」「早く認めたほうが有利だ」といった趣旨の発言で、自供を促していた疑いがあることが警察当局などへの取材でわかった。
犯人決めつけ報道も警察発表に基づくなら、冤罪発生過程の調査も警察への取材に基づく。発表ジャーナリズムの真髄発揮である。
犯罪報道において、容疑者をつける様になってからかなりの年数が立つ。しかし、そろそろ原則匿名報道として公人は例外とする方針に切り替える頃合いではないか?
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コメント
何であなた方はあんな極悪人をかばうようなことをするのですか?
ああいう極悪人は極刑に処さないと社会の安寧は図れないのです。
投稿: むの | 2012/10/28 12:14