Book:日本神判史--盟神探湯・湯起請・鉄火起請
日本の近世以前の裁判において行われた「神判」をたどったテーマ史である。
著者は、明治大学商学部の日本史の先生であり、法制史ではないが、中世史の専門家である。
副題に示されている盟神探湯から湯起請、鉄火起請という筋とは別に、鎌倉時代には参籠起請という神判の一種が行われていた。
このルールが興味深い。
紛争当事者や被告人が起請文を書いて、一定期間、神社の社殿などに監禁され、その期間中(たいていは7日で延長あり)に本人または家族に何らかの良からぬ出来事(失という)が起こらなければ、その者の言い分は真実と認められるというものだ。
何らかの良からぬ出来事としては、鎌倉幕府の法令によると、鼻血、下血、病気、飲食時にむせることといった身体的変調に加えて、鳶やカラスの糞を受けること、ネズミに衣装を食われること、身内に不幸があったり父や子どもが犯罪を犯したこと、乗っていた馬が倒れることが定められていたという。
なるほどカラスの糞がかかるなんていうのは、ついていないことこの上ないわけで、それが神様に言い分の真偽を問う時に起こるなんて、悪意の証明にほかならぬと思う。
他方で、社殿に籠っていた女性が神前に供えられていた神水を誤ってこぼしてしまったときは、「これ以上の失があろうか」と捕まりそうになったという逸話も、フィクションとして紹介されている。
この参籠起請に比べると、熱湯に手を入れて火傷の具合で勝負をつける湯起請は、それで身の証を立てるというのはかなり絶望的だし、真っ赤に熱せられた鉄の棒を手で棚に乗せることが出来れば言い分を聞いてもらえる鉄火起請はもっと絶望的だ。
それによって白黒つけた例もあるが、チキンレースとして、つまり紛争当事者の一方が湯起請や鉄火起請を言い出して他方に迫ることで勝ったり、裁定者が鉄火起請を迫って逃げたほうが負けとしたり、という例もあるとのことだ。
現在の横浜市青葉区と川崎市宮前区との境界線も、江戸時代初期に鉄火起請で決められ、その記念碑が今も残されているというのである。桐蔭横浜大学の近くのようであるので、時間がある時に訪ねてみようとおもう。
なお、神判がヨーロッパでは形を変えて決訟宣誓に発展していったのだが、日本ではそうした発展がなかったということも、分析に加えられるとさらに興味深いのではないかと思った。
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