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2011/04/26

PLと原発事故

昨日のゼミでは、先週みんなで見た映画「クラスアクション」の内容を踏まえて、まず実体法としてのPL法について日米それぞれを検討した。
学生の報告を聞いているうちに、どうしても原発事故の責任問題を思い出さずにはいられなかった。

映画自体は、欠陥車の事故責任を追及する集団訴訟の話で、被告の卑劣な証拠隠しに原告側が禁じ手で逆襲するというストーリーだ。
そしてPL、つまり製造物責任立法は、メーカーの過失を積極的要件とせず、欠陥から因果関係ある損害を賠償させようというものだ。原賠法は欠陥すら必要とせず、事故から生じた全損害を原発利用者に賠償させる立法なので、PLより徹底した無過失責任立法だ。

さて学生の報告でも正しく指摘されていたが、一見無過失責任立法のように見えるPL法も、実は欠陥概念の中に過失責任の要素が相当入り込んでいる。安全性を欠いた製品は欠陥かといえば、必ずしもそうではなく、製品の種類によって違う。不用意に触れば指を切っちゃうシュレッダーは欠陥だが、切れ味鋭い包丁は欠陥ではない。
安全性をどこまで備えなければならないかは、様々な意味でのコストから決まってくる。製品の効用、安全措置を施すための費用、危険回避を誰が行えば費用が低くなるか、事故処理費用と事故予防費用の比較、危険の分散の可能性など。

これらの要素は立法論でも勘案されるが、解釈論としても取り入れられる。
端的な例を挙げれば、車の安全性は戦車みたいにしてしまえば乗員にとって万全だが、効用も製造コストも考えてソコソコの頑丈さとソコソコのスピード性能を備えている。つまりコストのため人命が失われるのは許容しているし、利用者もそれを承知で買って使う。

で、こうした議論は欠陥を要件とするPLならではなのだが、これを原発事故で東電の免責に使う人がいて困ったものだ。過失責任や欠陥の要件のない原発事故責任は、どこまでを想定すれば良いかをそもそも超越した責任だ。想定外かどうかは責任の有無に重要ではない。

なお、原発のコストとして今後は今回の事故処理費用を考慮して、経済学者の好きなモデル化がある程度可能だろう。といっても爆発により高レベルの放射能を帯びた瓦礫が飛び散り、熔融炉芯に直接注水して日々生み出している高レベル汚染水の処理、そもそも溶けて落ちた燃料自体の処理は、いくらかかるか検討も付かず、とりあえず石棺とかにすれば25年建ってもいくらかかるか見当つかない状態となるが、ともかく現実化したもの、先行例で現実化したものをもとに計算し、原発のコストを算出してみよう。安いエネルギーというのはそれからである。

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