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2010/11/21

politique:柳田大臣のピント

柳田大臣が大臣続投の意欲を示した。

その場で、国会答弁のあり方について、事務方に検討を指示したというのだが、そのこと自体が柳田大臣の限界を示している。ピントがずれているのだ。

国会答弁のあり方が問題だとして、もっと踏み込んだ答弁ができないかを検討するというのだが、彼がマジックワードとして挙げた二つの答弁「個別の事案に立ち入ったお答えはできない」と「法と証拠に基づいて職務を行っている」という二つは、それ自体としては正当なのである。

ある刑事事件について、捜査中であればもちろん、公判中でも、法務大臣がその内容に立ち入って見解を述べることは原則としてできない。それは捜査の密行性にも反するし、三権分立の機微にも触れる可能性が出てくる。そうした危ない橋の中で、どこまで説明責任を尽くすか、どこまで国民主権のベースとしての情報開示をするかが問われている。
これは個々の事案ごとに、高度な政治的判断を必要とする問題で、まさしく法務行政のトップの見識が問われる問題なのである。

ところが、そのような自覚がまだ無いらしい柳田大臣は、答弁のあり方に工夫が必要という技術的な話だと思っているのだ。
これがピント外れだという理由である。

加えて、上記のような自覚とぎりぎりの判断の上に出てくる言葉だという理解がないので、官僚から教えられたマジックワードを言葉だけ覚えて、分からないときはこれを言えばよいという態度で切り抜けてきたことが改めて浮き彫りになった。

さてこのような柳田大臣がやろうとしている検察改革は、どういうことになるのであろうか?
自ら素人であることを自認する大臣の下で、あり方検討委員会の人選は誰がしたのか?
その議事進行や、そもそも議題設定は誰が決めるのか?
柳田大臣はこれからが大事だと言うが、あり方検討委員会にどういう結論を求めるのか、そのリーダーシップをとるつもりと見込みが柳田大臣にあるのか?

こうした疑問には一切答えることなく、これからが大事だと言われても、せいぜい委員会の進行を官僚に指示するのが関の山ではないのか。

そして原則として現状が最善だと思っている官僚がすることは、特捜部の看板を掛け替えたり、人事ルールを多少いじったり、あるいは検察官倫理研修を義務づけましたという辺りにとどまるのではないか?

取り調べのあり方や可視化に踏み込んだ改革や、検察庁という官僚組織の全体の仕組みを再検討するなんてことはおよそ無理だろうなと、そう思うのだが、悲観的に過ぎるだろうか?

なお、今回のことで、大臣なんてもともとそんなものと言う人がいる。その人はリアリストのつもりなのかもしれないが、その実単なるニヒリストであろう。政治家に対してニヒリズムが蔓延すれば、それこそ青年将校の出番となることを忘れてはならない。
いやむしろ、官僚のレベルではずっと前からそうなっているのかもしれないが、いわゆる暴力装置が自分たちで変えなくてはと考え出す可能性もあるのだ。
そうなったときに、民主主義も国際社会もいかに無力かは、ビルマの今日がリアルタイムで教えてくれている。

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