Franceのブルカ禁止がスペインに飛び火
反イスラムというか、反移民というか、要するに国内経済がうまくいかないときに排外主義が流行り、政治家もそれに乗りやすいという、日本でもよく見られる現象である。
フランスの場合は、もう少し複雑で、要するに国家の無宗教化 Laicite、日本の政教分離の原則に一応相当する原理に基づいていて、従ってキリスト教会に対する政治的な制約にもなっている。
これに対してスペインは、そのような背景があるかどうか知らないのだが、上記記事の下記の記述はLaiciteとは関係のない意図に基づくもののようである。
社会労働党政権のカアマーニョ法相も先月半ば、ブルカを「人間の尊厳とは相いれない」と批判。政府は秋にもブルカ禁止を含めた「宗教の自由法案」を出す意向だ。
ここでは、宗教の自由の名を借りた宗教活動制限法になっていて、多様性尊重とか寛容の精神とかよりも独善的な価値観の押しつけが勝っている現象である。
ブルカにせよ、スカーフにせよ、禁止するなら一切の十字架を身につけることも同時に禁止してはどうかと思うのだが、そうはしないあたりが底の浅さを露呈している。
日本の排外主義者はこういう現象を見てどう感じるのであろうか?
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コメント
日本では、朝鮮学校生のチマチョゴリが登校中に切り裂かれた事件がありました。イスラム系女学生のスカーフは特に問題にならなくて、チマチョゴリが反感を買うというあたりが、日本人の対アジア意識を表していると思います。
投稿: 井上 晃宏 | 2010/07/03 21:55
ブルカやスカーフくらいならともかく、割礼や纏足だったら、どうなのか。寛容さを発揮して容認するというわけにもいかない。「女性を虐待する民族文化」というものが、確かにある。
ブルカを、当の女性はどう思っているかについても、考慮する必要があるでしょう。嫌がっているのに、周囲が強制しているのかもしれない。
投稿: 井上 晃宏 | 2010/07/03 22:11
割礼や纏足、女性器切除などは明らかな暴力であり、児童虐待でもあります。
宗教を理由に許される限度を超えているでしょう。いわば祈祷師が素人治療をするようなもので、犯罪です。
被害者が大人で、かつ承諾している場合も、それで法的に許容される場合は限界があります。
そのような肉体的侵襲とは異なり、衣服やシンボルの着用は自己を傷つけているわけではないですから、その選択に干渉する権限は本来社会の側にはないはずです。
もっともここでも限界はあり、草彅クンの公園でのご乱行が限界を超えたとされますが、ブルカはその意味での反社会性もありません。
イスラム社会に属しつつ、ブルカは嫌がっている女性は、その自己決定を貫いて自己の帰属する社会の規範に反するか、それとも社会の規範に従うという形の自己決定をするのか、いずれにしても自由です。イスラム社会の外の勢力は、その女性の自己決定を尊重することしかできないはずです。
# もちろんイスラム社会といってもブルカ着用義務づけはごく一部にすぎないですが、さしあたりそういう社会を前提にします。
国家権力が出来ることは、イスラム社会が社会規範に反して自身の価値観を貫こうとした女性に私的制裁を加えようとした場合に、それを抑止することぐらいでしょうか。
投稿: 町村 | 2010/07/03 23:47
肉体的侵襲といえば、児童に対する性的虐待犯に対して
薬物による性的コントロールを施す刑罰を韓国が導入するとか。
う~ん、一昔前は各国の刑罰文化として突き放して見ている
こともできましたが、ネットによりグローバルに市民感情が
均質化してきているだけに、何か嫌な方向に突き進んでる
気がしますね。
投稿: passenger | 2010/07/04 06:28
イスラム女性の服装も色々あるので、どこまで社会的に許容できるかは、議論の余地がありそうです。全身を覆うブルカではなく、アラブ諸国で一般的なスカーフのヒジャブであれば、あまり大きな問題はないように感じます。
投稿: uncorrelated | 2010/07/29 20:33