law:三権分立の形
行政府の長、というよりは大統領の場合、国家の長でもあるが、とにかく行政府の長が司法府の最高機関の決定に対して、正面から批判する。日本では考えられないことである。
例えば鳩山首相が先日の最高裁違憲判決に対して批判して住民の信教の自由を奪うものだと語ったならば、日本的には三権分立に反するとして総攻撃を受けるに違いない。さすがの宇宙人もそうはいわない。
ところがアメリカの大統領は、連邦最高裁を公然と批判する。
アメリカ型の三権分立は、チェックアンドバランスであり、行政、立法、司法がそれぞれの権力基盤を元に互いの行動を批判し、抑制し、あるいは促進すらする。
オバマ大統領が連邦最高裁の判決を不当だと考えれば、これを批判するのは当然であり、過去の歴史をひもとけば、最高裁裁判官の人事から手をつけることも辞さない。それが最も顕著に表れたのがルーズベルト大統領によるニューディール政策とこれに対する違憲判断、そして最高裁改造計画と言われている。
ただし、連邦最高裁判事は終身職であるから、死ぬか自発的に辞職するかの機会を捉えての人事しかできず、また大統領の一存ではできずに議会の承認が必要となる。その意味で、チェックアンドバランス暴走自体を防ぐ機構が、三権分立の中に組み込まれている。
これに対し、日本の三権分立は、ながらく三権遠慮主義であった。もちろん議院内閣制の日本と直接選挙の大統領制の国とは行政立法の関係は全く違うが、司法との距離の取り方は相互に批判すら許さず、互いに尊重するという分立主義だった。
一方では司法消極主義が蔓延し、これはつまり行政・立法府の判断に盲従するということを意味する。
他方では裁判所の個別の判断に対する批判は、少なくとも行政府の一員としては控え、裁判官人事も、連邦最高裁人事のような改造計画などはもってのほか、最高裁の提出した名簿にメクラ判を推す。その結果、司法官僚による司法官僚昇進プロセスが出来上がってしまった。
こうした日本の三権遠慮主義が変わってきたのは、冷戦構造崩壊が1つと、それに起因するものかもしれないが、司法制度改革の成果であろう。特に後者は、裁判官人事の方法改革や行政事件訴訟の機能拡大に取り組み、ロースクールや裁判員のような派手さはないものの、着実な改革を成し遂げてきた。
その成果は、アメリカのようなチェックアンドバランスを取り入れるにいたるまでは十分でないかもしれないし、そもそもそれが日本になじむのかという問題もある。しかし、本来憲法が予定した三権分立とチェックアンドバランスが少しづつ実現する方向にあるように思えるのだ。
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