law:滝井元判事講演シンポの続き
昨日のエントリ「law滝井繁男・元最高裁判事の講演」の続きである。
当日Twitterで書きためたものを、改めて再構成した。
なお、イベント告知のページにも書いたが、滝井元判事の下記書物に大部分出てきていることである。
しかし、質疑となるのとなかなか迫力もあり、本音もちらほら聞かれるのが面白い。あと、京大の見平先生の分析で問題が非常に見やすくなった感がある。この点についての参考文献は以下。
見平典「司法積極主義の政治的構築(1)〜(3・完)」法学論叢163巻2、4、5号(2008)
見平典「『司法積極主義の政治的構築』とアメリカの司法発展(1)(2・完)」法学論叢165巻1号、2号(2009)
宍戸常寿先生の講演が始まった。宍戸先生はドイツ法専攻の憲法学者なので、憲法学としては辺境だそうである。
最高裁調査官の役割について、病理的なところがあるという。様々な見解をインプットする役割と先例重視傾向をインプットする役割とがあるが、先例重視の傾向が強いのではないか、もっと前者、様々な見解を最高裁判事にインプットする役割を果たすべきではないかという。
宍戸先生が滝井本を読んでビックリした点、司法制度改革審議会意見書の影響が最高裁の変化に及んだという指摘である。これとは別に、公法分野でも、民事の弱者救済の傾向が及んできたのではないかと指摘される。この部分はもう少し考えてみる必要があるだろう。
京大の見平典先生登壇。憲法と法社会学の専門だが、報告テーマは司法政治。
アメリカの連邦最高裁は司法積極主義であり、これをもたらした「資源」と「人」に着目して分析し、日本の最高裁の分析に役立てようというもの。
要は、裁判所が積極的に行政立法の施策にチェックを入れる場合には、それを可能にする資源が必要で、その資源とは法や理論などの規範的資源と、政治的支持を意味する政治的資源、さらに裁判官が時間的に余裕があるという実務的資源が必要だという。
唐突に出てきたといわれてきた公民権に関するブラウン判決は、実はトルーマン政権のアミカス・キューリアエによる法理論提供など、政治的な後押しがあり、アイゼンハワー政権でも冷戦激化の中で従前の合衆国政府の立場を支持することが必要であり、その中には連邦最高裁の積極主義支援も含まれた。政治的な後押しが継承され、判決の執行を実力で後押しするなどしたことにより、規範的資源、政治的資源を提供され、連邦最高裁が判断することが可能となったという。司法積極主義は政治的構築の結果だったわけだ。政権と対立する判決を出しても、司法積極主義の擁護・構築を基調とする中では、その場合だけ反撃することはできなかったという。人種対立や投票価値の平等など、政権の推し進める方向を司法府にも進めてほしい以上、司法積極主義の後押しを変えられない。
さて日本の分析。55年体制下では司法積極主義をサポートする力学がなかったが、積極主義の資源として、上告制限による実務的資源、司法制度改革による規範的資源、裁判員体験を通じた国民の司法に対する理解拡大、引いては政治的資源、その他、法曹内部でも法曹三者の協力体制が築かれ、さらに政治アクターとして人的に拡大した法曹集団が果たす役割も大きくなる。今の司法積極主義的な方向への変化が、将来定着する可能性があると指摘された。
なお、印象に残った点として、新憲法下の法学教育を受けた人が最高裁判事になったのが、90年代以降。これが近時の変化をもたらした可能性もあるという。最高裁判事の質的な変化としては、日弁連の推薦諮問委員会や任命権者の政治的変動などがある。
総合討論の時間が始まる。まずパネリスト同士の議論。最高裁判事は憲法裁判所創設論に危機感を抱いているのか、戦略として政治部門統制を働きかけるべきか、LS教育にアドバイスは?と宍戸先生が質問。これに対して、最高裁判事が憲法裁判所創設論にウェルカムなわけではない。憲法学として積極的な発言が必要。LSについては関心を持つが、調査官の判例解説偏重には危惧を持つというのが滝井元判事のお答え。
見平先生の質問は、調査官に関連して、若いロークラーク導入の是非、アミカス・キューリアエによる法理論提供の是非、今後の方向でも最上級審としての役割を重視していくべきか、憲法学説は最高裁で使いやすいものなのか、3点。滝井元判事は、調査官の意見以外で参考にしようと思うときは、親しい元裁判官とか親しい弁護士などの意見を非公式に聴いたことがあったと。しかし若いLS卒業者活用やアミカス・キューリアエには懐疑的とのことであった。加えて、最高裁の最上級審としての役割は、高裁が審理省略的な傾向にある現在、ますます手放せないという。最高裁本来の機能は憲法判断と法令解釈統一にあるが、この機能を十分に果たすのはなかなか難しい状況が続くという。
一般のフロア参加者から質問。
LS学生より、国際人権法が最高裁で軽視されているのは問題ではないかという趣旨の問いかけがあった。滝井元判事は法曹の間に国際人権法に関する理解が低く、従って国際人権法上どうなっているかを持ち出しても説得力が高くないという。それに比べれば、憲法に基づく議論の方が影響力が高いという。最高裁で多数意見を形成するにも、説得力が必要であるため、議論の仕方も大切になるし、多数の裁判官に受け入れやすいということが重要だと。
裁判員制度を勉強する留学生が質問。代用監獄に関連して裁判官にアンケートを採った経験から、日本の裁判官は他の意見を聴かず、国会でも本音に基づく議論はせず、建前のみで、とても傲慢に感じられるが、これは一般的なのかと。滝井元判事も、そういう傾向は一般的でなかなか直らないと答えていた。
桐蔭横浜の河合先生は、刑事事件関係の変化について質問した。滝井元判事はメモの開示などの変化に関連して、冤罪を破棄した裁判官が民事出身だという点を指摘されていた。質問自体、司会にかなり切り詰められた関係で、質疑の焦点はよく分からなくなっている。
阿部泰隆先生の質問も多岐にわたった。印象に残ったのは、めちゃめちゃ判決を下した高裁判事の出世を止めてはどうか。学術調査官を入れてはどうかなど。滝井元判事は、無任所調査官を入れて裁判官の個別求意見に対応する制度がよいと主張しているのだけど、受け入れられていないとお答え。
LS学生より。判決を出すにあたり、社会的事実はどれほど重視するのか。社会的事実を重視した利益衡量をするなら、最高裁に調査能力はあるか。滝井元判事は、社会的事実が重要なことを認めるが、当事者が出してこないと調査できない。説得力があるのは、社会的事実よりもむしろ解釈論や、先例の趣旨と結びつけた議論をする方だという。なお、後で再質問の機会があり、同じ学生が社会的事実をきちんと調査できない最高裁が積極的に振る舞うことは危険ではないかと指摘したのに対し、太田勝造先生が、司法積極主義かどうかの問題ではない、たとえ消極的に振る舞うとしても、それは行政府の政策を支援するという積極的判断を下していることになるのだから、と指摘された。
時間が余ったので、次々と質疑が自由に出された後、宮澤先生が指名されて大演説。特に司法制度改革に対する熱気は冷めて、むしろ反動が来ているのではないか、日弁連もそうではないかと問いかけた。
その後、パネリストから最終コメント。見平先生は、規範的資源の重要性を強調。宍戸先生は、下級裁判所裁判官の人事権を最高裁が握るのがおかしいと、高裁裁判官会議で人事をすればよいのではと提案。そして滝井元判事は上告審の役割に再度言及し、解決困難な状況にあると語る。
このシンポジウムを通じて、滝井元判事の伝えたいコンセプトは、ここに凝縮されたように思われる。
以上は聞き書きであり、また網羅的な録取でもなく、あくまで私の主観的なメモである。趣旨を間違えて理解していることもあるかもしれず、その場合はご指摘いただければ幸いである。
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コメント
阿部泰隆先生と宍戸先生に一票!
(^o^)丿
投稿: かおる姫 | 2009/11/29 12:36