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2009/08/04

jury:裁判員制度反対を叫ぶ

こういう出来事は、マスコミが取り上げず、黙殺されてしまう。
その点で、産経新聞サイトは貴重である。
iza:【裁判員初公判】注目の初質問なし、不規則発言の中で初日の幕閉じる

 《裁判員が退廷しようと立ち上がったとき、突然傍聴席の後方から、白いシャツを着た女性の大きな声が響いた》
 女性「公判前整理手続きで裁判の筋書きが決まっているのになんで裁判員裁判をやる必要があるんですか!」「労働者人民を裁く裁判員制度に反対します。裁判員の人たちは人を裁くことを拒否してください!」
 《不規則発言にざわつく法廷内。裁判員らもあぜんとした表情で女性を見つめる》
 裁判長「傍聴席から傍聴人を退廷させてください」
 裁判所の職員「不規則発言で退廷ですか」
 裁判長「いえ、全員を退廷させてください」
 女性「裁判員制度に反対します!」

裁判員制度反対はまあともかくとして、「労働者人民を裁く裁判員制度」というのは意味が分からない。
裁判官裁判は「労働者人民」を裁かないのであろうか?
職業裁判官(=司法官僚)が表決権を有する制度に異議を唱えているのなら、「労働者人民」という言葉遣いと適合的なのだが、「裁判員の人たちは人を裁くことを拒否して下さい」という話とは全く一致しないのである。

不規則発言をすること自体、裁判所側の態度を硬化させ、必要な制度改正すら拒否する反応を引き出す近道だろうと思うが、それはともかく、上記の矛盾を裁判員制度反対論者たちはどう評価するのだろう?

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コメント

アメリカの陪審は、「被告人の人権を守る」という意識で参加するという話を聞いたことがありますが、日本の裁判員で「素人が被告人を処罰するのは…」という議論ばかりのようです。

投稿: Toshimitsu Dan | 2009/08/04 15:13

やっぱり我々下々の者を処罰できるのは、お上に限るっていうのが裁判員反対論者たちの意識ですかね。

そういえば、裁判「官」による裁判を受ける権利が日本国憲法に書いてあると言う人も結構いるのだけど。そういうのを元裁判官とかがいうのは、それなりに筋が通っていますが、生粋の弁護士さんや市民団体の人たちがいうかな。

投稿: 町村 | 2009/08/04 15:19

    >やっぱり我々下々の者を処罰できるのは、
    >お上に限るっていうのが裁判員反対論者たちの意識ですかね。

え~とですね。
裁判員裁判反対論に色々あるのは分かっているのですが、意外な巨大な盲点があるのではないか?と半年ぐらい前から思っています。

一言で言うと「神の視点がある」という盲信、とでもなりますかね。

わたしも神の視点はこの世には存在しないのだ、頭の中では理解していたつもりです。
が、昨年の「高校生模擬裁判選手権」を、東日本大会と東西対抗決勝戦と二回見て、初めても「神の視点は無い」と実感しました。

裁判を題材にしたミステリーを読むときには、読者は神の視点を与えられているわけです。
そのために、報道ではもちろん、実際に傍聴しても「神の視点」で見ているところがあるし、ミステリー作家が読者を操る神であるのと同様に、裁判官などを「神としてみている」ところがあると実感したわけです。

高校生裁判選手権では、二校が先攻・後攻で検察役と弁護役を交替して二回の「法廷の攻防」を見ることになります。
だから、3試合を見ると「同じ事件を6回説明され傍聴人」となってしまいます。

当然「さっきの論告ではここは出てこなかった」などと別の裁判での検察・弁護双方の意見が見えてきますから、正に「神の視点」になったと実感したわけです。
そこで「普通の裁判では神の視点はあり得ないのだ」とやっと理解と実感が繋がりました。

そこで、裁判員裁判反対派の意見を改めてみてみると、本質的に「裁判とは神の領域であり、素人が参入するのは畏れ多い」と考えていると感じてしまいます。

裁判員になりたくないという人の意見も「自分が間違えたら・・・」であるから、前提としては「他の人(職業裁判官)は神で間違えることがない」ということなのでしょうね。

つまりは「裁判官」=「神」と考えてしまえば、その後は「神様のやることは知らないもんね」と放棄してしまうことできる。それが気楽だ。
こんなところがどこかにあるから、反対はするけど意見は述べない(神に対して意見はない)ということだと感じています。

投稿: 酔うぞ | 2009/08/04 16:19

発言された方はプロレタリアート革命の立場から、裁判という権力的構造自体に反対しているのではないでしょうか…

投稿: aaa | 2009/08/04 17:12

確かに「プロレタリアート革命の立場」的なニオイがしますが、「プロレタリアート革命」の結果裁判という権力構造がなくなることはあり得なかったし、今後もあり得ないでしょうから、せいぜい裁判権力をプロレタリアートの手に取り戻すことが望むべき最善であって、従って裁判員制度万歳とならなければおかしいはずです。

もちろん今の政府権力に協力する権力の犬として裁判員を非難するなら、それはそれで想定できますが、でも自分たちが権力を握ったら、やっぱり犬は必要とするんでしょうにね。

投稿: 町村 | 2009/08/04 17:23

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