jury:裁判員のココロ(模擬)
「10月にサンダルを履く人は少ないはず。被告が怪しい」
「被告は基本的な社会規範を逸脱している。私は最初から犯人説だ」
「気が弱そうで実刑は可哀そう」
「被告の顔はとても強盗殺人を犯すようには見えない」
「遺族感情を考慮するということは、極端に言えば家族がいない人が被害者ならば被告の罪が重くならないということなのか」
「例えば親の不治の病の薬代のために盗むなどの事情でないと(情状酌量は)認めるべきではない」
証拠に基づく判断と市民感覚に根ざした判断というのは、時として乖離するものであろう。
この記事の最後に出てくるコメントがまた苦しい状況を示している。
先入観や見た目で判断するのではなく、法廷で取り調べられた証拠に基づいて事実認定をするのが鉄則だ。評議の場では遠慮なく質問して自分の意見を述べてほしい。
前半の鉄則と後半の「自分の意見」というのが、真剣勝負の場になればなるほど感情移入が強くなって、背反する可能性が高くなりそうだ。
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コメント
そういえば,著名な死刑囚再審事件で,画家某氏の「あんなに澄んだ目の人が無差別大量殺人をするはずがない」というフレーズが有名でした。
投稿: キメイラ | 2009/04/28 18:18