UNIV:新聞を読めるようになるのが法学部教育
ボツネタで紹介されていたダイヤモンドonlineの記事だが、大要次のような内容だ。
・AO入試の名を借りて、学力試験をしない入学試験がまかり通っている。
・「定員割れが深刻な底辺校ともなると、入学意思だけ示せば即合格。やりたい放題だ」と呆れた内実を解説するのは、ある大学関係者。
・そんな入学者は学力が低いので、授業レベルも低い。
・そして出てくるのが冒頭のお言葉。ある底辺校の学長の正直な言葉だそうだが、「うちの法学部は、司法試験に合格させるのではなく、新聞を理解できるようになるのが目標」
・結論として教育再生の道のりは果てしもなく遠いというわけだ。
しかし、この記者の考える「教育再生」とはなんなのか?
少子化という現実と、大学教育の大衆化という現実あるいは理念を所与のものとして受け入れると、入試はざるにならざるを得ず、従って学力の高い学生をセレクトする機能はなくなる。
AO入試は学力ではなくやる気とか才能とかバイタリティとかでセレクトしようというものだから、本来の目的だって学力は劣る学生が含まれて不思議はない。AOに対する主な批判は、単なる青田買いだというところにあるが、一般入試がざるになりつつあるで青田買いだってざるになって当然である。学力をセレクト要素にしないという批判は、AOに対しては的外れなのである。
学力不足に対する対策としては、初等中等教育からの教育の質の向上と、大学自身の教育能力の向上しかあり得ないのであり、入試で学力を高めることができるのは「大学全体」としては無理である。
もうひとつ、大学に限らないが、高等教育機関(高校卒業後の教育機関)がもつ機能を再検討すべきなのだろう。伝統的な大学が伝統的な機能を保持することは重要なのだが、そのような伝統的な学問研究を中心とする教育とは異なる機能も必要になっている。単にレベルが低くなるというだけでなく、それなりの特徴を持った教育機能であり、そうした機能を追及して変わろうとする大学があってもよい。
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コメント
イメージとしては、入学試験で直接的に測る学力(学科の学力)を縦にして、その他を横に取って考えています。
Tをひっくり返した棒グラフというか、統計グラフのような感じです。
それで、学力の到達度が縦長の長さで定義されているとして、横が「あれも知っている、こんなこともできる」といった「その他の能力」となります。
これが、縦横がトレードオフであればまだマシなわけです。
「勉強はダメだけど、色々出来る」ですからね。
それが、最近では「全体が縮んでいる」としか思えない高校生に少なからず出会います。
さらに、社会としては縦も長さも横の幅もいわば最低限はあるわけで、いくら色々出来ても、字が書けないなどだとどうにもならない。
学科の成績が良くても、お金を見たことがない、というのもダメ(小学校だと実例があります)
ここらヘンの、程度問題としての最低線を具体的に考えないとまずいように思います。
投稿: 酔うぞ | 2008/10/11 13:39
「新聞を理解できるようになるのが目標」って,実は途方もなく高い目標だと思うのですが。新聞を行間も含めて正確に深く読むことは,少なくとも今の私にはできません。
それはともかく,ここであげられている「(底辺)大学」というものが,そもそも「高等教育機関」ではないというだけの話のような気がします。その中で,これらの大学が徒に高等教育を施そうとするのではなく,本来大学生がもっているべき基礎的な話をたたき込む姿勢は,教育として妥当なものだと思います。
投稿: <う> | 2008/10/11 14:34
三代全国紙に載る著名な事件・判例を知らない(「そんなの聞いたことがない」等と断定する)法律実務家もいますから、一概に大学だけを責められないと思います。
投稿: ハスカップ | 2008/10/12 02:40