j-cast:井上トシユキさんのblog論
表題と中身はずいぶん乖離しているように感じられるのだが、真意は「チャレンジして欲しい」にあるのだろうか?
「言いたいことをきちんと言える人は、どんどん出てこなければいけない。いろんな人がいろんな意見を相手にわかるように表現する、というのは非常に大切。会社でも政治でも通用するスキルだからです。その最初の一歩としてブログにチャレンジする。
(中略)
ゲリラメディアであるブログで腕を上げ、既存メディアで活躍するような人がどんどん出てくれば、新しい視点が社会に反映されるという意味でも良いですよね。」
このような最後の部分が、結局トシユキさんの主張と言うことになろうか。
ブログについて思うことは色々あるが、誰がなんのためにエントリを書いて公表するのか、開設者が設定する目的に応じて様々なあり方があるとしか言いようがない。
ブログジャーナリズムを目指すのなら、J-Cast Newsがやっているようなところが一つの理念系で、要はそれなりに資本と人手をかけてジャーナリズムといいうる活動をする必要がある。もちろん新聞や放送といった生産手段は必要ないので、安価ではあるし、逆に現実のJ-Castの取材範囲でジャーナリズムといえるのかという批判はあり得よう。
ブログとは違うが、オーマイニュースやジャンジャンのような市民記者制度も、あるいはC-NET Japanの読者ブログのようなシステムも、CGM系のエネルギーをジャーナリズムにしていこうという試みと位置づけることができる。(CNET Japanはちょっと違うか)
個人や団体の専門的知見を明らかにすることで、そのテーマに興味を持つ人びとを引きつけて意見交換やコミュニケーションの場にしていこうというのは、ジャーナリズムと少し色合いが異なる。
この場合、専門家同士の交流にシフトしてSNS化したり、そこまで行かなくても利害関係ある人の集まりに自然に固まっていく傾向がある。葉玉ブログなどは自然に固まってきた好例であろう。
専門的知見をテーマにしても、専門家や利害関係人ではない広く一般の読者を対象とするブログもあり得る。それも一方的に教えを請う相談コーナーみたいなのから、そうではなく、それなりの意見交流が専門家と一般人との間に成り立ちうる例も見られる。
この場合、専門家であることを肩書きで示したり、あるいは実名を表示したりする場合と、そうでない場合とがあり得る。匿名でも専門性を活かした意見表明は可能であり、匿名ではやりにくい場面は内部情報の暴露とか、内部者しか知り得ない情報に基づく分析にとどまる。
専門性のそれほどない、一般的な感想にとどまる内容であっても、個人的な付き合いの範囲でのコミュニケーションには寄与するだろうし、趣味を同じくする未知の人との出会いも行えるだろうから、それがジャーナリズム的な機能を果たさないからと言って無意味とは言えない。玉石混淆型、つまりある時は専門性の高い内容を専門家向けに書き、あるときは一般向けに書き、またあるときは一般的な感想を書く、そういうスタイルのブログだって沢山ある。
キーワードの集積やブックマーク等の集積による注目動向だって、少量のアクセスながらもエントリを挙げ続けている無数のブロガーがいてこそ可能になる。
この点が、トシユキさんの主張を読んでの違和感のようだ。もちろん最初の問いかけが「ブログがつまらない」「読んでも面白くない」というものだったので、別の問題ということかもしれない。
| 固定リンク
コメント