netlaw:総務大臣がフィルタリングサービス導入に3度目の要請
増田寛也総務相は25日、NTTドコモ、KDDI、ソフトバンク、ウィルコムの携帯電話・PHS4社の社長を呼び、サービスの改善と導入促進を要請した。要請は06年11月以降、3回目だった。
規制強化に向けて、高市私案が骨抜きになりつつあるという情報もあったが、それらの議論の渦中にいないと状況はつかめない。
その一方で、青少年をターゲットにした事実上の規制は、フィルタリングサービス導入の強い指導という形で進められている。
子供に悪影響があるものや危害が加えられるものから、子供たちを遠ざけるという発想は間違っていないと思うものの、フィルタリングの基準とその正当性には難問が山積している。
およそコメント欄のあるサイトはすべてコミュニティサイトで有害情報なんて荒いのは、もう脱却できたのだろうか?
その上でグーグル八分的な不公正さをどう是正していくのか?
また、フィルタリングサービスでは「氏ね」「卯ざい」「気もい」は排除できない。いじめ防止には、ウェブサイトや掲示板だけでなくメールフィルタリングも必要だが、それで解決するいじめなら話は簡単。
そもそもいじめ問題は、被害者を取り巻く集団で発生するのだから、不特定多数人と接触することの問題に対する対策であるフィルタリングサービスが有効なわけはないのだ。
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コメント
子供向けの携帯電話をインターネット機能無しを基準にしたら解決じゃないのかな?
素直に考えて、子供に万能の機械を持たせてから制限するというのが不自然だ、と思わないのかな?
文科省が携帯電話について放置しているところがそもそもダメなのだと強く思います。
だから学校が教育として携帯電話について積極的に指導できない。
ブラウザー機能は不要だし、メールはアドレスを制限できるようにすれば良かろう。
あまりに不自然な展開で「根本的にやり直し」の方が、ヘンにパッチワークするよりも良いと思う。
投稿: 酔うぞ | 2008/04/30 02:08
>ブラウザー機能は不要だし、メールはアドレスを制限できるようにすれば良かろう。
仮にブラウザ機能がなく、強制的に指定されたアドレスのメールしか受け取れない携帯を出したとしても
子供が普通の携帯を選んでしまったり、普通の携帯を譲り受けなどで引き続き使ってしまうと意味がないので
普通の携帯に年齢制限を加えないとほとんど実効性がありません。
さすがに通常の携帯に年齢制限を課すことはできないでしょうからああするしかないのでしょうね。
投稿: うにら | 2008/04/30 02:21
「およそコメント欄のあるサイトはすべてコミュニティサイトで有害情報なんて荒い」のが現状解決できていないので、すでにフィルタリング原則化された新規加入でも子どもが親に頼めばそんな欠陥サービスは使わない(フィルタリング解除)というのが結構な割合で存在している、ということが今回の要請の前提です。また、公式サイトのサブセットのホワイトリストでは18歳未満全体を対象とするには制限が厳しすぎるのと通信事業者としての中立性の観点から問題がある、という話もあります。
・デフォルトはブラックリストに
・民間第三者機関で監視体制がしっかりとしたコミュニティサイト等を認定してブラックリストから外す
・ユーザーごとにカスタマイズできるシステムにする(フィルタリングからの除外リストを作れたり、カテゴリのカスタマイズができたり、など)。
といったことが今回の要請の中身で、既存18歳未満契約者への原則化適用については、第三者機関の認定がそれなりにすすむのを待つ前提で延期、ユーザーごとの除外リストは工数も費用もかかるのでサービス開始時期を原則化適用時に明らかにする、といった話になっています(原則化を延期しないとユーザーの混乱を招くことが避けられない状況のためこうなった)。詳細は総務省の検討会の中間取りまとめに出ています。
http://www.soumu.go.jp/joho_tsusin/policyreports/chousa/internet_illegal/index.html
http://www.soumu.go.jp/s-news/2008/080425_6.html
投稿: 崎山伸夫 | 2008/04/30 03:24
>子供が普通の携帯を選んでしまったり、普通の携帯を譲り受けなどで引き続き使ってしまうと意味がないので
携帯電話の契約って、未成年者が勝手にできましたっけ?
親権者に対し、携帯電話でネットやメールが自由に出来ることの弊害をきちんと説明すれば、子供に使わせる機種は自ずと
>ブラウザ機能がなく、強制的に指定されたアドレスのメールしか受け取れない携帯
を選ぶようになると思いますが。
投稿: エディ | 2008/04/30 03:29
>酔うぞさん
「子供向けの携帯電話をインターネット機能無しを基準」にすることは、多くの親も求めていないでしょう。求めない親はけしからん、というご主張になるのでしょうか。
投稿: 崎山伸夫 | 2008/04/30 03:29
>求めない親はけしからん、というご主張になるのでしょうか。
いつもこういうご意見はどなたかが言うのですが、ちょっと考えていただきたいのです。
「現在、文科省は携帯電話についてどう指導することにしているのか」
文科省は「携帯電話は教育に不要である」とだけ言っています。
つまり、「親が」という意見は「学校は無視して」と同義語になってしまいまた。
「学校に従う」なら携帯電話を持たせたら校則違反です。
しかし、それは現実的ではない。
つまり、矛盾というかダブルスタンダードです。
これを交通整理しないで、一方の立場からだけの意見を双方から出しているから、非現実的になっています。
簡単に言えば、携帯電話については「親が」「学校が」という以前に放置状態です。
放置状態をどうするのか、という議論が先になりますよ。
さらに、現実問題としては学校(文科省)が何らかの携帯電話ルールを決めて、親がそれを破れば、それは親のの責任であり、リスクであり、事件があったときには親が責められるのは当然であるとなります。
投稿: 酔うぞ | 2008/04/30 09:27
>酔うぞさん
「携帯電話は教育に不要である」とのことですが、不要であることと禁止の間には距離がありますね。親子で生活に必要と思えば教育で不要かどうかは関係ないですし、娯楽であっても「教育に不要だから」といって何でも否定・禁止できるわけではないでしょう。また、学校が学校生活の外のことまで拘束できるものではないし、そうするべきでもないでしょう。
携帯電話をどうするか、という以前に、学校に家庭内のことまでの口出しを認めるのかという問題で酔うぞさんは極端な主張を続けているとしかいいようがないです。文科省が指示したところで、児童・生徒の学校外での携帯電話所持を禁じたり機種制限する権限はないですし、全ての学校の校則に反映させられるものでもないでしょう(地域によって差はあるでしょうし、私立学校までを縛れるとも思えない)。
それとも、酔うぞさんは「教育に不要」であえば、マンガ・ゲーム・ポピュラー音楽・通俗的な小説などに子どもが享受することを徹底禁止すべき、というお立場でしょうか?現状の青少年条例でさえもそういう立場ではないし、そういう学校も多くないと思いますが。
だいたい、学校に規制権力を求めたところで、人数は少ないとはいえ高校に入学しない、あるいは中退する18歳未満というのもそれなりにいるわけで、そうした人達が定職についているかフリーターになっているのか単に親の扶養のもと遊び暮らしているのか、はたまたアンダーグラウンドな領域にいっているのかはまちまちでしょうけれども、校則を云々しても意味がないことだけは確かです。また、正式にはやめていなくても、不登校の場合も実質的に意味がないですね。
投稿: 崎山伸夫 | 2008/04/30 17:09
>崎山伸夫さん
>それとも、酔うぞさんは「教育に不要」であえば、マンガ・ゲーム・ポピュラー音楽・通俗的な小説などに子どもが享受することを徹底禁止すべき、というお立場でしょうか?
酔うぞさんではありませんが一言。
「ネットやメールができる携帯電話」を「マンガ・ゲーム・ポピュラー音楽・通俗的な小説など」と同レベルに考えるのはすり替えだと思います。
例えば、児童・生徒は盛り場のようないかがわしい場所や、いかにも危なそうな暗い裏道などには行ってはいけない・行かないように家庭や学校で指導される筈ですが、インターネットであればそういういかがわしい・危ない場所(サイト)に容易くかつ大した危険も感じずに行けてしまいます。テレクラへ行かずに出会い系サイト、歌舞伎町へ行かずに薬物が手に入るサイトなど。
子供に「ネットやメールができる携帯電話」を持たせてしまえば、通学途中、学校内、自宅にいながら簡単に犯罪に巻き込まれてしまう可能性が生じてしまいます。そういう可能性があることを家庭や学校は十分自覚すべきです。
投稿: エディ | 2008/04/30 20:42
>携帯電話をどうするか、という以前に、学校に家庭内のことまでの口出しを認めるのかという問題で酔うぞさんは極端な主張を続けているとしかいいようがないです。
この点はキッパリ言いますが、
「学校は家庭の延長ではありません」
つまり、家庭が無制限に学校に介入できるものでもないですよ。
それが「モンスターペアレント問題」とされるところそのものです。
学校の側から見ると、建前上は携帯電話を持ちこむことが、文科省の見解からすると、完全に校則違反です。
事実、わたしが3年前に経験したある高校では「授業中に携帯電話を学校が預かって、休み時間には返す」というどう考えても極端なムダをやっていました。
今ではこんな事をやっている学校はないと思いますが、文科省はこの間なにも見解を変えていない。
その結果が、総務省が子供の携帯のあり方だけの観点でフィルタリングの話を出してきた。
さらには、高市議員は情報を国家による格付けのようなことを言い出した。
どこに「教育上はどうする?」という議論があったのでしょうか?
学校教育という観点から、携帯・インターネット論争を観ると、無政府状態?とでも言うべきでしょう。
だから何でも言えてしまう。
しかし、近代の学校教育は基本的には産業革命以来の300年間の実績があり、学校教育が必要不可欠であることは世界的にも合意されています。
それを変えるほどの意味が携帯電話にあるのか?というとさすがに無理でしょう。
しかし、非常に大きな力を持っているのだから、文科省が主導して子供のネット利用についてルール化するべきだ、と言っているのです。
携帯電話やネット利用が個人・家庭の問題であり、学校が介入するべきではないというのは無理ですよ。
投稿: 酔うぞ | 2008/05/01 09:42
> わたしが3年前に経験したある高校では「授業中に携帯電話を学校が預かって、休み時間には返す」というどう考えても極端なムダをやっていました。
登校時に預けて下校時に返すのであれば、そんなに大きな無駄でもないのでは?ロッカーに入れさせるとかでもいいのだし。あるいは、公立の小中学校のように家と学校が近いなら、学校に持ってくるのは禁じることはできても、帰宅した後まで学校が干渉できる根拠がどこにあるのでしょう?
校門の外についてまで学校が介入するのはおかしいですよ。
酔うぞさんのお話と、愛知や千葉のかつての(現状は知らない)管理主義教育で子どもの自宅の本棚まで検閲していたような話と、どこが違うのでしょうね。
> 例えば、児童・生徒は盛り場のようないかがわしい場所や、いかにも危なそうな暗い裏道などには行ってはいけない・行かないように家庭や学校で指導される筈
いやぁ、そんなこともないですよ。私の出身高校は、六本木から結構近いのですが、ジャズバーやディスコに入り浸っていた先輩や同級生もそれなりにいた(推奨はされていなかったにしても、同窓会誌や在校生向け講演で公然と語られる程度の話)し、私は、どっちかというと盛り場よりは塾に通った口ですが、渋谷・新宿・青山・原宿といったエリアでしたので、下校から塾の授業までの空き時間や終了後の夕食などといえば、自然と盛り場で過ごしていますが、とくに指導されたことはなかったですね。パーティー券押し売りなどの不祥事を起こした生徒は、そりゃ指導されていましたが。
渋谷駅から歩道橋を桜ヶ丘町に渡ったところにゲームセンターがあって結構通ってゼビウスをやったし、そのあたりのビルの上のほうの階にはコンピュータプログラムについての著作権法改正前のレンタルソフト屋時代のソフマップがありました。東急プラザの裏手と道玄坂には古本屋があり(後者はまだあるかな?)、道玄坂の古本屋の先にはヤマハ楽器があって新製品のシンセを触ったりして結構遊びました。渋谷でも、百軒店商店街や円山町となると、高校生一人で面白いような場所はなかったし、女の子と行こうにもモテなかったので関係なかったですが。
桜ヶ丘町には英語塾に通っていたのですが、中学のころ、経営者の息子である講師が生徒の売春斡旋をして逮捕され刑事処分を受けたという事件があり、それでしばらく禁足令が出た女子校もありましたが、全てではなかったですし、まして男子校ではたいした話題にもならず(問題の講師も、当時の経営者兼塾長も、すでに故人)。
一時、大久保の塾にも通って、いまいち内容がよくなかったのですぐやめたことがあったのですが、そこへ行くには、ラブホとも呼べない連れ込み宿の横を通って通いましたね。
まぁ、20年ぐらい前の話と今とではまた状況は違うでしょうけど。今どきは、社会の許容度が下がって学校側も厳しめの指導をせざるをえなくなったというのは耳にしていますし。
ただ、いまどきの高校生でも、グループでカラオケ屋通いとか多そうですが、条例規制のかかる深夜ならともかく、早めの時間の利用について全ての学校が「盛り場に行ってはいけません」という指導をしているともいえないですよね。
投稿: 崎山伸夫 | 2008/05/02 02:24
休み時間に毎回返すからムダだ書きました。
おかげで、休み時間つまりつぎのじゅぎょうのために準備が出来なかったのです。
済みませんが、わたしは「学校教育」の観点での話をしているのであって、家庭内のことはまったく論じていませんよ。
さらに、仮定の問題として学校が生徒用に携帯電話を指定しても、親が私用の大人用の携帯電話を子供に持たせるのはなんの問題もないと思っています。
それこそが、個人の自由であり、何か事件があっても親の責任であることがはっきりします。
そして、そういう手段で連絡を取り合うと子供は、学校では少数派になりますから事件があっても対処しやすくなる。
必要に応じて複数の携帯電話を使うとか、連絡手段について、色々なルートを用意しておいて、相手応じて教える連絡ルートを変えるのは、普通のことでしょう。
それを一つの手段に限定して議論したら議論のための議論、極端な特殊例だけ話になって、全体像を議論することはにはなりませんよ。
投稿: 酔うぞ | 2008/05/02 09:51
>極端な特殊例
酔うぞさんのblogも拝見しています。
崎山伸夫さんはよく自身の経験(都内の私立中高一貫進学校)を例に持ち出されて「問題ない」と結論付けますが、私には「極端な特殊例」にしか見えません。
投稿: Enzo Romeo | 2008/05/02 19:17
>崎山伸夫さん
>まぁ、20年ぐらい前の話と今とではまた状況は違うでしょうけど。
相変わらず愛知・千葉の「管理教育」を持ち出されるところなんかが、崎山さんの認識が20年前のまま(進歩がない・現状認識が甘い)だということなんでしょうね。
投稿: エディ | 2008/05/04 00:39