arret:時効・除斥期間は正義に反する
asahi.com:時効殺人の賠償命じる 除斥を適用せず 東京高裁判決
時効、特に不法行為の加害者と被害者がはっきりしているところで除斥期間を持ち出されると、正義感情が著しく刺激されることは確かだ。
しかし、やはりこの判決が報道の通りだとすれば、やり過ぎだ。法律を無視して、個人的な正義に従って判決するのであれば、もはや司法とは言わない。
立法府がなんとかすべき領域であり、立法府がなんとかしようとしない以上、法律をオーバーライドできるのは憲法だけである。
ただし、法解釈論的にどうにかなるのなら、それはそれで妥当な判決だと思える。
この加害者は殺害した遺体を自宅に隠して長年いたらしい。その間、遺族に対する不法行為は継続していて、加害者が自首した時点で初めて時効・除斥期間が進行するとは考えられないか? あるいは犯行が発覚した時点ではじめて、遺族に対する精神的苦痛を与えるという不法行為があったと考えられないか? B型肝炎訴訟の最高裁判決は、B型肝炎発症のときを起算点として除斥期間を乗り越えたのである。
仮にそうでないとしても、遺体を隠して死亡の事実を発覚しないようにしていたのだから、時効・除斥期間を主張することは信義誠実の原則に反すると言えないか?
殺人犯に信義則を問うというのも変な感じがするが、殺人犯だからといって信義則違反が非難できなくなるというのはもっとおかしいであろう。
追記:この判決について、詳しくは民法学者のブログ民法教員のタテマエ? 2nd ed.を参照のこと。そう無茶な判決ではなく、きちんと考えられた内容だったとのこと。
| 固定リンク
コメント