politique:法の日、法相の認識が足りない
一部引用
・「法相の署名がなくても死刑執行できる方法を考えてはどうか」という鳩山邦夫法相の発言は軽すぎないか。
・法科大学院についても「質的低下を招く可能性がある」と言った。
それはともかく、ウェブ魚拓はリニューアルし、引用機能をつけた。
今回それを使ってみようと思ったのだが、サーバが込み合っているということで拒否されてしまい、従来型の魚拓となった。
いわゆる「引用」について、なかなか慎重に考えられているが、主と従の関係に・・というところは満たされていないような。
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コメント
他の件についてはともかく、死刑制度については賛成なんですけどね。
人権人権て法相の心次第で伸びたり縮んだりするほうがよっぽどおかしい。
死刑囚の再審がありえる件についても、法相が判断できるものではもとよりないし、だったら今の死刑執行までの平均期間程度猶予をおきますでいいんじゃなかろうか。
どうして法相ごときに(という言い方はなんだけど)、人間の命と罪状を左右させようとするの、と東京新聞にはいいたいところです。
責任者のサインはあるべきと言うポイントのみは納得できるものだけれど、定型処理としての枠内に署名を組み込んで、特別な理由ない限り執行されるとするという、「機械的」な進行に何か問題があるのだろうか。
投稿: サスケット | 2007/10/03 00:27
>サンスケットさんへ
私的見解ですが、、、、
死刑という刑罰執行については、司法3審+行政1審=(語弊があるかもしれませんが、、、)4審制度が採用されていると理解しています。
究極の刑罰である”死刑”に対する人間社会の畏れが、その理由であると理解しています。
「死刑の機械的執行」は「”死刑”に対する人間社会の畏れ」を否定する見解に結びつくような気がします。
私は、「究極の刑罰である”死刑”に対する人間社会の畏れ」は維持するべきだと思っています。
投稿: 弁護士五右衛門 | 2007/10/03 00:49
つまり法相に(ある種の)死刑か無期懲役かの4つ目の判決をさせるということですよね。あるいはもっといやらしい言い方をするなら、「今日殺すか明日殺すか」の判断をさせると言うことですよね。
最も無難な言い方を選択して発言しますが、人権を持ち出すならなおのこと、そこに基準が曖昧な「法相の判断」を介入させるのは問題ではないかと思うのですよ。
五右衛門さんの言うところの四審が仮にあるならあるとしても、その判断基準が「法相の個人的感情です」というのではなくて、「社会がこうなのでこれこれこういう基準で判断します」という「定型的(機械的でもいいけど)」であるべきではなかろうかと。
投稿: サスケット | 2007/10/03 01:04
サスケットさん、五右衛門さん。
五右衛門さんのいう四審というのは少々誤解を招くかもしれませんね。法務大臣は決して量刑の当否を裁判所のように判断して執行するかしないか決する権限を持っているわけではありませんから。
でも人間の命を奪う決定の重さとか、畏れから、特段の慎重で重い手続を置いているという説明は、全く同感です。
サスケットさんのいう法相の個人的感情が判断基準になるのはおかしいというのも全く同感です。
「法務大臣が個人的感情で、執行するかしないかを決める」ということと、「定型的・機械的に手続を進め、判断はしない」ということの間には、個人的感情とか死刑反対の信念とかとは別に、冤罪の可能性や死刑判決確定後の生活状況、もしあるとすれば恩赦の可能性、あるいは死刑囚個人の精神状態の変化などを勘案して、最も適切な時期といえるかどうかを判断する、そういう仕組みがあり得ます。
そうした総合的な判断を、「法相ごとき」にできるのかと問われれば、なるほど現法相を思い浮かべるとできっこないという気にもなりますが、だからといって上記のような、今執行して良いかどうかの判断を最終的にするのが適当な機関というのは見あたりません。強いていうなら天皇とか総理大臣とかかもしれませんが、それはまた別の意味で適当ではないように思います。
投稿: 町村 | 2007/10/03 09:34
死刑反対の人間は予算のことを出さないんですよね
純粋に死刑囚一人に1日いくらかかるか知りたいです
法務大臣よりももっと冷酷な、国の予算によって死刑執行が決まる方が国会の場でも議論できて良いのではないかと思ったり
投稿: sakimi | 2007/10/03 11:15
>死刑反対の人間は予算のことを出さないんですよね
そうなんですか?単に数字がないだけだと思いますけど。
死刑賛成・反対にかかわらず、たぶん数字を持っていないだけと思うんですけどね。
なんだったら、法務省あたりに照会してみてはどうでしょうか?
例えば、無期懲役で20年近く入っている場合と、死刑囚が収監後5年程度で執行される場合とでは、予算の比較ということ自体が無意味のような気がします。
死刑囚の平均収監年数を知らないのであくまで仮定の話に過ぎませんが、比較できるような話なんでしょうか?
死刑制度の問題と予算問題は、今の日本では余り関係がないと思いますが。
投稿: こう | 2007/10/03 13:58
法的な手続き論以前の問題として、死刑を国家にとってのルーチンワークと考えるか、例外的事務が発生していると取るかによって、考えるべき方向が異なってくるかと思います。
ルーチンワークであれば、透明性と手続きの明文化を通して、誰がやっても同じ結果が導出されるように設計すべきでしょうが、あくまで例外的な事務であると考えるならば、事前に手続きを決めるのは逆に好ましくありません。
投稿: rijin | 2007/10/03 16:05
>例外的な事務であると考えるならば、事前に手続きを決めるのは逆に好ましくありません。
Due Process of Lawということを考えると、例外的であっても、刑罰の執行には、事前に手続き規則を決めるべきだと思います。また、法相の判断規則なしに「法の下の平等」を守り通せるでしょうか。
投稿: とおりすがり | 2007/10/03 18:43
ちょいと調べてきました
【法廷から】血税浪費? 服役繰り返す被告
http://news.goo.ne.jp/article/sankei/nation/m20070914028.html
囚人一人に一日1310円ほどのようです
>死刑囚の平均収監年数を知らないのであくまで仮定の話に過ぎませんが、比較できるような話なんでしょうか?
比較ではなく、法務大臣の個人的主義主張で国家財政が無駄に使われるのが個人的に嫌なだけです
>死刑制度の問題と予算問題は、今の日本では余り関係がないと思いますが。
だから法務大臣も含め、立法機関である国会で議論の俎上に乗るべきだと言いたいだけです
こんなのを個人で背負えるとは思ってませんし、死刑執行人が一人に対し複数居るのも同じ理由ですから
投稿: sakimi | 2007/10/03 22:09
>法務大臣の個人的主義主張で国家財政が無駄に使われるのが個人的に嫌なだけです
といわれても、と思うのが正直なところですが・・・
死刑の執行、という点に焦点をあわせるにしても、財政の無駄の捉え方にもよるのでなんともいえません。もっと他に無駄なものはあるような気がしますし。
>だから法務大臣も含め、立法機関である国会で議論の俎上に乗るべきだと言いたいだけです
う~ん?なんというか、主張の輪郭だけを聞いていると、究極的には民主主義的多数によって死刑の執行が決まってしまうようなお話なので、それはちょっとどうかと思えるような気がしますが。
投稿: こう | 2007/10/03 22:43
あ、付言を。
もちろん、あやふやな執行規範が存在するということは問題があるような気がしますよ。法務大臣の主義主張で執行状況が大いに変化するというのは、重大な問題だと思います。
投稿: こう | 2007/10/03 22:47
一点だけ、国会というのはどうしてでしょう?
刑の執行は行政機関の役割だし、どの死刑囚をいつ執行するかは議論と投票でよりよい決定が得られるとは思えないのです。
投稿: 町村 | 2007/10/03 23:18
とおりすがり さん、こんにちは。
だから、法的な手続き論以前の問題として、と申し上げております。
投稿: rijin | 2007/10/04 00:41
>一点だけ、国会というのはどうしてでしょう?
死刑含めて一回刑罰のあり方と法律を考えるべき、と思ったので
投稿: sakimi | 2007/10/04 13:17
なるほど、制度論をするなら確かに国会が主戦場ですね。
投稿: 町村 | 2007/10/04 16:42