blog:きっこのお詫びに見る萎縮効果
きっこの日記(ニフティのブログの方)にお詫びが掲載され、記事を削除したとある。
これは、J-CASTニュースのこちらの記事「「きっこ」ブログのすごい中身 石原都知事側「事実無根」と激怒」に関係するものだろう。
記事では、2007年3月28日付の「きっこのブログ」に掲載されたエントリが紹介されていて、「石原の家系が在日の血でけがされちゃかなわん」とか「こんなことあるわけない、ということばかり」とかの見出しが掲載されている。これではよく分からないので、いわゆるキャッシュないしウェブ魚拓などを参照すれば全文が見られる(今のところ)。
ここで言いたいことは、きっこのブログの内容そのものではない。選挙期間中は、選挙運動の規制のとんだとばっちりで、選挙区だろうがどこだろうが、選挙の候補者だろうが関係者だろうが一般市民だろうが、全くお構いなしに、みそもくそも一緒に、表現の自由が厳しく制限されるという憲法違反状態が現出し、しかもそれが当たり前みたいなことをいう人々が幅をきかせているという点だ。
だから、今回のきっこのブログの記事は普段の論調とほとんど変わらないのに、「該当する日記を公開してから、半日ほどの間に、数人の読者から、『今は選挙期間中なので、特定候補者についての記事は、どんな内容であっても公選法に触れるおそれがあるので、削除した方が無難だと思いますよ』という主旨のメール」が送られ、選挙期間中だからといって削除を余儀なくされるのだ。
もちろん公職選挙法違反で摘発されるおそれを慮ってメールを送ったり、削除したりする人々を責めるつもりはない。現に私だって萎縮している。
だから先頃のアメリカ旅行で、空港の広告板に前衛的な絵画と「art」「trash」と書いてあるポスターを見かけて、傲慢都知事のカルチエ美術展の時の発言を思い出したりしたのだが、そのことについてエントリをあげる勇気がもてなかった。
なお、このブログのかつての記事「no_action_letter総務省の迅速な対応」「election:総務省の回答」もご参照。
| 固定リンク
「ウェブログ・ココログ関連」カテゴリの記事
- matimulogのこの一年(2018.12.29)
- web:いらすとや(2017.04.22)
- Niftyの身売りでココログはどうなる?(2017.01.31)
- matimulogで昨年よく読まれた記事Best10(2017.01.07)
- matimulog:忘れられる権利〔削除権〕の行使を受ける(2016.11.09)
コメント