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2007/01/14

juge藤山雅行裁判長のお話

昨日、南山大学法科大学院で、かの著名な藤山雅行裁判長が講演をされた。
事前の準備段階で、加藤良夫弁護士が聴衆の集まりを心配されていたが、杞憂もいいところで、80人教室に入りきれずに補助椅子を用意することになった。まあ大体現在の在校生に限っても入りきらないのだが、外部にも細々とながら公開していたので、当然といえば当然である。

講演の演題は「裁判所からみた医事関係訴訟」
東京地裁医療集中部におられる藤山部長だけに、現場のナマの話がビビッドに伝わった。

特に藤山部長が何度も強調されたのは、レベルの高い解決を目指すべきだということである。
構造的情報偏在(という言葉は藤山部長は使われなかったが)の典型である医療事故訴訟では、原告患者側に証明責任がある事項について被告医師側に情報が集中し、それを積極的に明らかにしていかないと、よく分からないまま終わりということになる。被告医師側が、原告側の主張は特定不十分だから明確にせよと求釈明するに終始して具体的事実経過を説明しようとしないと、具体的事実関係が明らかにならないまま、原告敗訴の結論だけが出る。それはとてもレベルの低い争いであり、それでは訴訟の目的を達したとはいえないというのが藤山部長の考え方だ。

もちろん原告患者側の弁護士にも、提訴前の準備の充実を説いていた。実際、患者本人や遺族が有する資料も、生前の写真とか問題治療前後の写真とか、あるいは元気な頃のビデオとか、メモとか日記とか、そういったものも裁判所が促すと「あるかもしれませんね、調べます」という弁護士がいるらしい。
前医・後医の診療記録が重要なことはいうまでもないが、搬送中の救急車内の記録も、一度文書提出命令がかかったことがあったが、その後はスムーズに任意提出が期待できるということのようである。

その上で、被告医療側代理人には顛末報告義務の訴訟上の実践として、診療経過の具体的説明を強く求めていた。
 正しい医療が行われていたのであれば、そのことを堂々と主張すればよいし、仮に間違った医療が行われたのであれば、その原因を明らかにしてどうすればよかったのかを考えることが、その是正を図る絶好の機会でもある。訴訟の場もそのような機会の一つだというわけである。
 さらに過失がない場合であっても、100点満点ではないということであれば和解による解決も考えられる。具体的事実が解明された上での最良な選択を模索するというのが、藤山部長のいうレベルの高い解決ということであろう。

後半は、医師の説明義務に関連する最近の問題を、これまた分かりやすく解説されていた。
その中で一つ強調されていた点は、患者の自己決定権のはき違え事例に対する警戒である。
最近の医療関係者の言動では、患者に選択を任せてしまって、医師の立場での最良の診療方針を示すことを怠る傾向があるという。下手に診療方針を示すと、思うような結果が出なかったときに責任を追及され、しかも患者から他の方法を選ぶ機会を奪ったなどといわれかねないので、考えられる選択肢をただ並列的に並べて患者に選ばせて、その選択結果には医師は責任を持たないという、そういう傾向である。

#サイバーノーガード戦法を思い出してしまったが、メディカルノーガード戦法とでもいうべきか。

このようなノーガード戦法は、それ自体、よりよい療法を患者に分かる形で説明すべき義務を尽くしたとはいえないというのが藤山部長の評価で、そのことを医療関係者に伝えたいということであった。

ちなみに、藤山部長の最近の編著書が50584判例にみる医師の説明義務である。

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法律・裁判」カテゴリの記事

コメント

ご高説尤もと言えなくも無いが,医療裁判の判事を行うなら最低限医師国家試験に合格し,10年程度の臨床経験を経てから行って貰いたいものです.
非現実的な100点満点を求められ,1日100時間あっても不可能な荒唐無稽な「説明義務」を課せられた上に,合併症とミスの区別も付かない判事に,後出しじゃんけん的な判決の連発で医療崩壊を日々促進している事も全国の判事には理解して頂きたい.
裁判官が常識に疎い事はつとに有名であるが,常識以前に理性を獲得する事こそ必要では?

投稿: BJ | 2007/01/14 21:15

そのように抽象的に論難されても、議論にはなりませんし、建設的でもないでしょう。
それに医療に限らず、専門的知見を要する裁判は当該専門家でなければできないとか、あるいは経験がなければできない(あればできる?)というのも、あまり賛成できません。

投稿: 町村 | 2007/01/14 22:36

 私のブログでこのエントリを紹介させていただきました。

 ところで

>さらに過失がない場合であっても、100点満点ではないということであれば和解による解決も考えられる。

 この点については町村先生はどのようにお考えでしょうか?
 過失がないにもかかわらず結果的に医師個人に名目は和解金であったとしても金銭支払いを求めるということは、常に医師に対して100点満点の医療を要求することになりますが、それでは医療側の納得が得られないように思われます。
 100点満点の医療というのはどういうものかにもよりますが。

投稿: モトケン | 2007/01/15 12:43

モトケン先生、ご紹介有り難うございます。怖くもありますが・・。

ところで100点満点でなければ、の件ですが、まあ和解ですからそれもアリかなという気がします。医療側に無理強いするという話ではありません。
それに、単純に和解金を出させるというだけでなく、予防接種における救済制度作りに結びつく和解もありうると思うのですよ。
医療ではありませんが、下記で紹介した動きもありますし。
http://matimura.cocolog-nifty.com/matimulog/2007/01/litigation_87af.html

投稿: 町村 | 2007/01/15 12:54

藤山雅行裁判長は、医療の専門家の間で有名な裁判官ですね。
どう有名かといいますと、「医療崩壊に手を貸している」ためだそうです。2006年度の「片岡賞」を受賞したようですよ。

「新小児科医のつぶやき」というブログに、藤山裁判の一例が医療の専門家として分析していますので、寄せられたコメント欄もあわせてお読みください。

このブロクでは現在、医学的見地からの治療・検査方法ではなく、判例から談じられた治療法・検査法を集めているようです。

医学的に根拠がなくても、医療費が増大する結果になっても、かまわないから判例から出た治療法・検査法さえ行っていれば無問題だと、半ばやけっぱちになっている医療の専門家も全国には数多く存在するようです。

投稿: 医療崩壊を憂いている者 | 2007/01/15 12:58

医療には誤診がつきものであり、またもっとも正しいといえる医学「根拠に基づく医療(EBM)」でさえ確率論です。また、人はそれぞれ異なる生理と解剖を持っています。技術的な分野でも人間である以上は失敗はあり得ます。それだけ医療というのは未発達で確立していない学問なのです。また、現在の診療報酬体系では患者に十分説明する時間もありませんし、実際には理解力の悪い患者も存在します。理解力があっても患者の意志決定まで時間がかかることもあり得ます。
つまり、医療事故をレトロスペクティブにみた場合、100%正しい医療というのは今後もあり得ません。それをご理解しているという前提の元でご質問させて頂きます。

一つは100%正しいことがなされていないと裁判あるいは和解に持ち込むとのことですが、金銭のやりとりが発生します。医師のための保険というのがありますが、アメリカでは訴訟が増えた結果、保険自体も破堤し、心臓外科、産婦人科のなり手がいなくなりました。日本ではさらに刑事処罰されますからその傾向は強いと思われます。
医師希望が敬遠され、医師不足に拍車がかかることもあり得ます。これはまさに社会の損失であり、何か対応策はあるでしょうか?

もう一つは裁判所は目の前にいる患者(あるいはその家族)の利益を優先するのでしょうか?それとも日本全体の患者の利益を優先するのでしょうか?目の前の患者の利益優先は必要とはいえ、それで日本の医療は崩壊してとも言えます。
過去、マスコミや司法は目の前の患者の利益を優先し(医師叩きをキャンペーンとしてマスコミが先導し、司法がそれに追従した形です)、地方の医療が崩壊しています(と我々は理解しています)。自分たちの生活が脅かされはじめて、ようやくマスコミも自らの過ちに気づき始めました(謝罪は聞いたことがありませんが)。それでも医師の責任として押しつける傾向はあるものの、少なくともこのままではいけないと思い始めましたがまだ不十分と言えます。

インフォームドコンセントについて、患者に責任を押しつけると言いますが、全くその通りです。本末転倒な話ですが、そうでないと我々も犯罪者となってしまいます(今は医療事故は刑事で扱われていますよね)。医療者ですから本来はこのような形は望んでいません。しかし、現代社会がそのような社会を作っているのであって、医師だけが悪いことではありません。日本全体が考えなければならないことなのです。

投稿: yama | 2007/01/15 13:40

>怖くもありますが・・。

 申し訳ありません(^^;

>医療側に無理強いするという話ではありません。

 ここは若干問題かもしれません。
 裁判官(またはそのものの言い方)によるかも知れませんが、
 裁判官から強い和解勧告がありますと、事実上強制されたと感じる当事者及び代理人は決して少なくないと思われます。

 医療過誤訴訟が制度改革に繋がればいいのですが、一般的な医療過誤訴訟はご紹介の事例のような影響力はなさそうです。
 相当大きな病院(被告)でもトヨタほどの財力はありませんし、マスコミは医療過誤訴訟について強者医師対弱者患者の構図で報道するのが一般で、社会問題視しようとはしません。


>最近の医療関係者の言動では、患者に選択を任せてしまって、医師の立場での最良の診療方針を示すことを怠る傾向があるという。下手に診療方針を示すと、思うような結果が出なかったときに責任を追及され、しかも患者から他の方法を選ぶ機会を奪ったなどといわれかねないので、考えられる選択肢をただ並列的に並べて患者に選ばせて、その選択結果には医師は責任を持たないという、そういう傾向である。

 すでにご承知かと思いますが、私のブログでは、医師がこのような態度を取る原因は、裁判所の医療過誤訴訟に対する(医師に100点満点を求める)姿勢にあるという趣旨の指摘が繰り返し述べられています。
 そのような裁判所の代表格として藤山裁判官の名前が挙がっています。
 つまり医療側から「それはあんたのせいだよ」という声が聞こえてきそうです。

 医療側からの指摘の当否はともかくとしても、医療側からそのような声が上がっていることは認識されてよいと思います。
 声が上がっているだけでなく、最近の各地の産科医不足の報道に接しますと、医療崩壊は現実にかつ深刻に進行していると思わざるを得ません。

 ともかく司法の中だけで解決するのは困難な問題を含んでいると思われますので、医療崩壊問題の存在を広く知ってもらって、制度改革の動きにつなげていく必要を感じています。

投稿: モトケン | 2007/01/15 13:45

 過失の有無に争いがあり、かつ裁判所としては過失ありとの心証を抱いていない場合でも、被告が一定の金銭を和解金として支払うことで和解を推し進めることは、医療過誤に限らず結構ある(ex.製造物責任等)のですが、そういうことって裁判所は回避すべきなのかといわれると、被告側代理人に付くことが多い私でさえ、躊躇してしまいます。

投稿: 小倉秀夫 | 2007/01/15 16:00

医学は確率の学問です。天気予報と同じです。
明日が晴れになると予報して雨になった場合、その天気予報士が民事で訴えられる、あるいは刑事告訴される。そうなったら、天気予報のシステムは崩壊してしまいますよね。
日本のほとんどの医者は上記のような天気予報士の状況に近年おかれていると感じています。
これは日本でだけ進行中の(医学)文化大革命です。粛正の嵐、魔女狩り裁判からどのようにして身を守るか、多くに医者が恐怖におののいて仕事をしております。
医療が崩壊していくのも当然だと思いませんか。

投稿: 通りすがりの医者 | 2007/01/15 16:40

医療崩壊の原因が医療事故訴訟の多発にあるということでしょうか?
ずいぶん前のアメリカではそのように言われていましたが、その際の要素の一つとして、医療過誤保険の保険料の高騰で一般の医師が負担しきれないという点が挙げられていました。日本でもそのようなことがあるのでしょうか?
今の日本の医師不足は、それが医療崩壊だとしても、研修医システムが変わったせいだとか相変わらず医師の数が足りないのだとか、報道されていますが。

法的責任追及を恐れて防衛医療に走るという弊害はよく言われていますが、それこそ医師の行動倫理としての問題がありそうです。

それから、藤山裁判長は民事担当なので、刑事事件での医師の責任追及が医療崩壊を招いていると言うことであれば、彼とは関係のない話です。

投稿: 町村 | 2007/01/15 16:50

興味深く読ませていただきました。

藤山雅行裁判長は、
「医療 心に残る人物 2006」
http://ameblo.jp/med/entry-10022456418.html
で3位を取るほどのつわものです。

あだ名は「エース」「撃墜王」。現場からすると、どうして有罪になるのか分からないケースを次々と医療側敗訴にしているから。

エース健在 藤山雅行裁判長&毎日新聞 岡山 IVH 事件
http://ameblo.jp/med/entry-10020444281.html

多くの「トンデモ」判例が彼から飛び出しています。その異常さは現場からすると「萎縮医療」を導くもの以外の何物でもありません。これにより、「救急医療」を含めた多くの医療は、小さな病院では事実上行うことが出来なくなりました。リスクのある医療はすべて結果が悪ければ有罪になる可能性がある、ということを知らしめた有名な方です。

新小児科医のつぶやき
http://d.hatena.ne.jp/Yosyan/
で、判例に関しては多くが考察されておりますので、御参照下さい。


最後にタイトルの、jugeとはjuge d'instruction 予審判事のことでしょうか?
http://fr.wikipedia.org/wiki/Juge_d'instruction

スペルミスだとは思いますが…。

投稿: 中間管理職 | 2007/01/15 18:06

別に英語で書いたわけではないので、スペルミスというわけでもありません>Juge

しかし、こうして見ると、行政事件における官僚さんたちの怨嗟の声が彷彿とされますね。

投稿: 町村 | 2007/01/15 18:13

>jugeとはjuge d'instruction 予審判事のことでしょうか?

すみません、他の部分でもフランス語を使用されていたんですね。

私のほうが聞きかじりのフラ語で申し訳ありません。仕事で共同研究をしていて、ちょっとだけ知っていたモノですから、つい…。

訂正してお詫びします。

投稿: 中間管理職 | 2007/01/15 18:16

>医療崩壊の原因が医療事故訴訟の多発
一番の危機が言われている産科については、医療事故訴訟の多発が大きな要因のひとつです。
30年間産科をおこなうと、生涯訴訟率が30%。
産科の訴訟は脳性麻痺の事案での民事訴訟が多いです。
脳性麻痺は周産期の治療のまずさが原因と考えられていた時期もあったのですが、95%はそれ以前の胎児の時期が原因である事が世界中でデータで明らかになりました。
しかし、脳性麻痺の事案で医師への訴訟は増えています。
そして医学的に納得のいかない判例も増え続けていく。
このため徐々に産科のなり手がいなくなり、残された産科医は激務なる。
すると激務に耐えかねて産科を辞める医師が更に増えていく、という悪循環になっておりました。
民事訴訟の増加は緩やかな産科医療の崩壊を起こしかけていました。
福島の大野病院における医療事故も産科医を含む医師不足が背景にあります。
そして大多数の医師が事故調査報告書を読んで過失がないと判断したこの医療事故での刑事事件としての立件は、産科医療の崩壊の流れを劇的に加速しました。
臨床研修医システムの問題も言われていますが、これも崩壊を加速した要因に過ぎません。
それまでの産科の民事訴訟における医療崩壊の基本的な流れは藤山裁判長が作り出してきたのであり、刑事事件の責任追及はそれを早めただけに過ぎません。
藤山裁判長は正に医療崩壊における司法が果たした役割の中心人物です。

ただ、藤山裁判長の今後には個人的には少し期待をしております。
良くも悪くも裁判官の中では、医療事故について知識が一番あります。
もし「中立的な専門家等で構成される第三者機関の設立」が実現出来るのであれば、メンバーとして建設的な議論の出来る方でないかと考えているのです。
こんなことを言うと、医療者側から「甘い」という大合唱も起きそうな気もしますが。

投稿: オダ | 2007/01/15 18:17

当然といっては失礼に当たりますが、藤山裁判官の医療裁判に関する判決文の幾つかぐらいは目を通されてのエントリーと存じます。そうでなければ藤山裁判官が講演で述べられた、

 >レベルの高い解決を目指すべきだということである。

は確認しようが無いからです。ブログを読む限り法律に関わる業務であるようなので、それぐらいの裏付けはされていると考えます。それもせずに鵜呑みでのエントリーはされないかとも考えるからです。

その上でのご感想を頂きたいかと思います。医師から見た医学的な立場からの判決文の分析の一例は、拙ブログにもエントリーさせて頂いています。拙ブログで分析させていただいた結論は申し訳ありませんが、とても「レベルの高い解決」とはとても思えないものです。

医師からの立場で言わせて頂ければ、拙ブログで行なった程度の論議が医学的にはごく普通の論議です。そんなにレベルの高い論議ではなく雑談に毛の生えた程度のものです。「レベルの高い」と藤山裁判官が自負されるなら、最低限これぐらいの論議を踏まえた上で「解決」を考えて頂きたいと医療関係者は希望しております。

投稿: Yosyan | 2007/01/15 20:19

> 法的責任追及を恐れて防衛医療に走るという弊害はよく言われていま> すが、それこそ医師の行動倫理としての問題がありそうです。

もちろん倫理面で問題です。しかし、医師たちにこれは医師として倫理的に問題だ、というだけで解決はしません。医師だけでなくこの責任は欧米では当たり前の良きサマリア人的医療を提供すべく動かなかった日本国民全体にあるのです。良きサマリア人に関する法律が施行されない限り、普通の感覚の医師であれば防衛医療に走ります、というより走らざるを得ません。逮捕されてしまっても良いと思う医師か、正義感が強いだけでよほど無知の医師だけでしょう。逮捕されてしまったら医師生命はおしまいですから(逮捕が刑事的に有罪ではないという議論はここではナンセンスです。我々の認識では有罪=医師生命終わりではなく、有罪および逮捕=医師生命終わりです)。そもそも我々医療人も犯罪者になりたくありません。人を救おうとして行動しているのに結果責任でなぜ犯罪者になってしまうのでしょう?
また、同じ倫理を問うのであれば、マスコミや法曹の方々の倫理を問うことも必要ではないでしょうか。過失の有無を問わず医療事故の責任を刑事に負わすのであれば、警察に誤認逮捕で刑事罰、下級裁判所が上級裁判所と違う判断をしたときに裁判官は逮捕、マスコミが誤報すれば逮捕されなければなりません。しかし、免責ということがあるからこそ世の中はスムーズに成り立っているのです。医療も同じことです。
少なくとも社会的に責任を持つ方々(マスコミや法曹界の方々も含めて)は医師に単純に責任を問う前に医学の不確実さと、それによる社会的影響を勉強する必要があると私は感じますが、いかがなものでしょうか?

一方民事では私は過失がある限りは反対しません。しかし、あまりにも賠償額が巨額になったり、無過失でも医療機関が保証金を払う云々の話が出ていますが、それには賛同できません。近い将来確実に医療破綻を来します。それに後者は行政が行うべきではないでしょうか?

もちろん、医療崩壊は訴訟だけではありません。突然の医局解体や研修医制度改革など複雑な要素が絡み合っています。しかし、原因の大きな一面を担っていることだけは確かです。
残念ながらマスコミは医局の悪い面しか報道しません。我々は研修医制度改革や医局体制が崩壊したときにある程度医療崩壊を予想していました。当時は我々が現状を発信する場はほとんどありませんでした。しかし、最近は状況が変わりつつあり、理解も少しずつ深まっています。ます。

PS:変換ミスご指摘ありがとうございました。

投稿: yama | 2007/01/15 20:28

はじめまして。

藤山氏の判決と言えば、第三者機関による判断を元にした判決であるにもかかわらず、
医師の間から批判された府中市の肺がん訴訟などを思い出しますね。

>オダさん
2004年に医療集中部に赴任された藤山判事が、
産科の民事訴訟における医療崩壊の基本的な流れを作り出したと言うのは
それだけでは無理があると考えます。

藤山判事の産科におけるエポックメイキング的な判決を
引き合いに出した方が宜しいのではないでしょうか

投稿: しま | 2007/01/15 20:32

Yosyan さん
町村先生のご専門は民事訴訟とサイバー法らしいですよ。
ちゃんとプロフィールに書いてあります。
たぶん大野病院事件でさえご存じないに違いありません。

ところで町村先生
> 法的責任追及を恐れて防衛医療に走るという弊害はよく言われていま
> すが、それこそ医師の行動倫理としての問題がありそうです。
とお考えのようですが、現状は下に記すとおりです。
(Yosyan さんのブログから引用させてもらいました。)

>ある事象について二つの診療手段があるとして、どちらを選んでも司
>法的に違反し責任を問われる可能性があるとすれば、やがて誰も手を
>出さなくなります。そういう事例が生み出され広範囲に確実に影響を
>及ぼしているという事です。そういう閉塞され追い詰められた状態は
>とくにここ数年で著明となっています。

町村先生。
もし現在でも米が配給制であって、闇米を手に入れなければ餓死するとして、
あなたは絶対に闇米を口にしないほどの倫理観の持ち主なのですか?

投稿: arupapa | 2007/01/15 21:09

医療関係者の皆さまへ
 
 「元検弁護士のつぶやき」の管理人です。
 やや私が心配していた状況が生じつつあるようですので、コメントさせていただきます。

 町村先生が現在の医療崩壊問題についてどのような認識をお持ちであるのかよく分かりませんが、ある意味で医療崩壊問題における重要人物と目されている藤山雅行裁判官の講演内容をここでご紹介いただいたということは、医療関係者にとって大変有益であったと考えられ、町村先生には感謝申し上げなければならないと思います。

 私から申し上げるのははなはだ僭越ですが、町村先生にはくれぐれも失礼のなきようお願いいたします。

 私のブログの常連の皆さまがコメントされているようですので、普段のご交誼に甘え、でしゃばったことを申し上げました m(_ _)m 

投稿: モトケン | 2007/01/15 21:25

一昨年・昨年に起きた医療裁判、事件を紹介している一般人のブログです。
大野病院の件も簡単に紹介されています。
町田先生、ご一読下さい。

投稿: 医療崩壊を憂いている者 | 2007/01/15 21:27

はじめまして。
正直町村先生のおっしゃりようには憤りを隠せません。


>法的責任追及を恐れて防衛医療に走るという弊害はよく言われていますが、それこそ医師の行動倫理としての問題がありそうです。


それでしたら、町村先生自身はどのような方の裁判も弁護されるということですね。
相談に来た時点で「これ勝てっこないよなあ」というものでも必ず弁護を受けると。そして裁判に負けて依頼者より損害賠償請求されたり逮捕されたりしたら甘んじて受けると。

こんなことになったら弁護士はその仕事を続けられますか?


あるいは、学生の不勉強で落第した際に、生徒から損害賠償請求が来たり、逮捕される可能性があっても良いという事ですか?
教え方が悪かったから落第したんだと学生が言ってね。

そして、そんな損害賠償請求が来たら困るので、どんな成績でもみんな「優」をつけてしまう。
しかしそんなことをしたら、何処かの企業から
「優だと判断されているから採用したのに全然知識が無いじゃないか。こんないい加減な成績をつけたお陰で変な学生を採用してしまった。損害賠償だ。公文書偽造で告訴する」なんていわれても甘んじて受けると。


それが嫌なら寝る間を惜しんで、それこそ何日も付きっ切りで学生さんにお勉強を分かりやすく教えてあげてください。

もしもこんなことが現実になったら、先生は先生を続けられますか?

ダブルスタンダードはいけませんよ。人に要求するなら自分でも必ず実践してくださいね。

投稿: 暇人28号 | 2007/01/15 21:50

町村さん はじめまして。都内でまったり内科医をやっております。

● 『問題は医者が理不尽な目にあっていることではなく、その結果医者が逃げ出して患者に被害が及んでいることです。』

医者が医療現場から逃げて出していることが医療崩壊ですが、その一因は訴訟にもあります(医療界での定説。訴訟が占める重みについては論者により差があります)

1)民事訴訟が増えていること 2)医者から見て理不尽な判決・和解が多いこと 3)刑事訴訟の対象となっていること

いずれも医者のやる気を失わせ、現場から逃げ出す原因です。
もちろん、患者に被害が及ぶようになったことを医療者の倫理が低いせいだというのは簡単です
ですが、もはや事態は医者に倫理に頼って解決するのは無理なところまで来ています。
藤山さんや貝阿弥さんが批判されているのは2)ですね。

● 『怨嗟の声、と解釈するようでは道を誤る』
怨嗟の声なのではないのですよ。このまま崩壊が進むと一般の市民の命が多く失われる。それに対する警告、現場からの警告なんです。

投稿: 立木 志摩夫 | 2007/01/15 21:53

医者の立場を強いて、貴業界に喩えるとするならば

刑事弁護で判決の後、「お前がここで、こうこう論を張っていれば死刑だけは免れたはずだ」とか「無罪になったはずだ」とか言う文句が多発、被告から賠償と謝罪を要求されることが増える。
しかも、特別制度ができて、現場を知らない有識者会議にその決定権を持たせ
「なるほど。ならばA弁護士は1億円支払え」とか納得できない決定が頻発する。

こんな状況ですかね。

投稿: 立木 志摩夫 | 2007/01/15 22:09

三連投申し訳なし。
でも町村先生とモトケン先生にはこういう場所を紹介してくださってありがとうございますです。

お互い医療裁判とその実態・効果・認識にはずれがありますので、ゆっくり共通の認識ができるような点に立てればいいなぁとおもいます。
これからよろしくお願いします

投稿: 立木 志摩夫 | 2007/01/15 22:12

町村先生。

一部感情的な表現がありましたことをお詫びします。

先生とは関係の薄いと思われる「2ちゃんねる」では、数年前より藤山判決を含めた、医師側からすれば「不当な判決」に対する論評がなされていました。そして、その判決の医療への影響が予想されていました。当初は「まさかそんなことにはならないと思うし、そこまで言わなくてもいいでしょう」と落書き程度の認識でしたが、残念ながらそれから数年経過した現在では「2ちゃんねる」の掲示板に書いてある通りの医療崩壊が展開されています。

医療崩壊への司法の影響は甚大だと思います。司法を担う皆様はそういった影響を考慮した上で職務を全うしていただきたいと思います。

「患者=善、弱者」「医師=悪、強者、金持ち」といった一歩的なレッテルを張って、「患者・遺族はお金に困っているし、医師側は少し援助をしてあげてほしい」などという弱者救済的感覚で判決をしているとなれば、それは医療崩壊を進行させることになると思います。
(今の医師の力は普通の国民レベルです)

(そういった話もちらほら聞きますので)

投稿: 暇人28号 | 2007/01/15 22:43

 自分は常識に欠けるところがあるので、あるいは失礼に当たることを申し上げるかも知れませんが、悪意があるわけではありませんのでご容赦下さい。

 さて、医療経済学では、医療制度は社会的共通資本、医療資源・サービスは私的財であると言われます。…裁判制度と訴訟・法曹がほぼ同じようなものだと考えていただければ、当たらずと雖も遠からずであろうと思います。

 また、医師等の医療専門職にはわが国に於いて応召義務が課せられています。(医師法第19条、など)よほどの事がない限り、医師は患者の求めがあれば診療を拒否することはできない仕組みです。

 さらに、医療行為は結果不確実かつ結果不可知の確率論的世界の存在ですから、事前の結果予見は確率的にしか可能でなく、具体的回避行為の必要性も事前には定かでありません。たとえば手術をすれば術中死や術後死亡の発生が一定の確率で必ず発生しますが、手術を希望する患者さんに対してすら一切手術をしないなどとするならば、患者さんが失う延命や生活の質改善効果は社会にとっての新たな重荷となることは明らかであると考えます。

 あるいは全例において過度な回避行為を行うことは、投入されている物的・人的資源量から現実には実行不可能です。強行するなら患者の自己負担を数倍に引き上げることが必要で、政治的に困難です。

 医療行為の意図しない結果責任を医療専門職に刑事罰の形で問うことは、かつての交通事故刑事裁判が運転者等に対して過大な結果予見及び回避義務を課していた一時期を彷彿とさせるものです。過失による医療刑事訴訟については、許された危険の法理がある程度拡大された方が、長期的には社会全体の利益に繋がるのではないでしょうか。

 現に、私的財である医療専門職を罰することによって、社会的共通資本である医療制度全体を毀損する結果となっています。…すでに東京、神奈川、大阪等では分娩予約の取れない妊婦が発生していると報道されています。

 また、医療行為は直接に生命・身体に侵襲を加えるものである以上、短期的な生命・身体のリスクは必ず上昇します。長期的には延命や生活の質改善によってこれを取り返すことを目論むわけですが、短期的にリスクを乗り切れなければ障害が残り、あるいは死亡に至るわけです。

 医療行為に内在するリスクは確率的なものであり、確実な結果回避は望むべくもありません。この場合、医療専門職に対して片務的に賠償責任を課すのは公正であるとは考えにくいのではないでしょうか。

 簡便に金銭化して表現する例を探すのであれば、わが国に於いて年間出生数100万あまりについて、正常分娩の単価はおよそ30万円前後であることが多いのですが、この年間総額3000億円あまりの分娩費用に対して、年間200件の新訴が発生して示談等と合わせて総額300億円あまりが支払われるとするなら、利益率5%に足りない日本の医療機関、分配率15%の産科医にとっては苛酷に過ぎます。

 公平性の観点から、患者側もリスクに対する何らかの負担を考えていただかないと、民事訴訟もまた、経済的適者生存の法則の力によって、医療制度を毀損していくことは明白であると考えます。

投稿: rijin | 2007/01/16 01:33

>暇人28号さん
 私は弁護士ではありませんので誤解なきよう。学生の例は複雑なものを感じます。もちろん学生の顔色見て単位認定左右するなんてのは論外だし、可能な限り学びたい学生に答えてあげるべきだと思いますが、それが出来ているかどうか、有効かどうかは忸怩たるもの。
 でもお医者様に期待されている役割と只の教授の役割とは、やはり同列には論じられないでしょうね。

 あと、患者=弱者、医者=強者という構図は、診療の現場でも紛争の場でも、それほど間違ってはいないと思います。しかし、強者をくじき弱者を助けるというような行動原理で司法が動いているというのは、やや司法を過大評価しているような気がします。また医者は金を持っているから少しくらい出せという行動原理も、司法には全くといっていいほどないと思います。
 ただ、法と経済学の観点からは、保険などで危険が分散できる側がリスクを負担すべしといった議論も出てきますけど、日本の裁判所はそうした発想にあまり影響されていません。

>立木 志摩夫さん、
こちらこそよろしくお願いします。
医療崩壊を憂うべきという認識は、あるいは産科医の地方での欠乏状況の深刻さは、報道を通じて知っておりました。ただ、それが民事裁判で医師の責任が理不尽に追及された結果だというようには思っていません。
確かに最近は、医療事故訴訟が多くなってきていますが、まだまだ長期の審理で、原告側に事案解明手段が十分でなく、原告勝訴率も他の事件類型に比べて低いままです。

>Yosyanさん
藤山裁判官が言うレベルの高い解決というのは、医療事故訴訟で、事実関係が十分明らかにならずに、よく分からないという理由で原告敗訴というのではなく、両当事者とも手持ちの資料を十分に開示して、可能な限り事実関係が明らかになった上での解決という意味です。
Yoshanさんのおっしゃる「レベル」の意味とは違うでしょう。
問題にされているのは、医療側が事実関係を明らかにするのに必要な資料の提出を拒んだり、事実関係の説明を拒んだりされていることです。
同じ原告の請求棄却になるとしても、よく分からないという理由での請求棄却はレベルが低く、事実関係が可能な限り明らかになった上で、過失とは評価できないという理由で請求棄却になることをレベルの高い解決といっていたのでした。

あと、オダさんほかの皆さんのご指摘の大野事件というのは刑事で立件された事例ですよね。新小児科医のつぶやきブログで拝見しました。
刑事事件としての立件は、確かに医療の萎縮を直接招きやすく、それだけに謙抑主義ということが刑事法ではいわれています。
でも正直言って、刑事事件に全くしなくてよいかというと、そうも断定できないのですが。

それと、みなさんの中で藤山裁判官は特に注目の人のようですが、医療事故訴訟を起こしやすくする制度的な改革は、もちろんずいぶん前から考えられていました。
大きな力となったのは、前に東京地裁の医療集中部におられ、今は奈良地裁所長になっている前田判事が中心となった平成10年度司法研究で、その当時の医療事故訴訟の現状と改善方向について研究をまとめられています。司法研修所編『専門的な知見を必要とする民事訴訟の運営』(法曹会)=司法研究報告書第52輯第1号。
ここから、集団鑑定とか、鑑定人リストの整備などが運用として進められ、やがて平成15年民訴改正で専門委員制度が導入されるに至りました。またその前後は、特に医療関係訴訟の統計が充実しています。
また、記憶が曖昧ですが、概ねその頃の最高裁判決が、いくつか集中して医師の過失責任を認めなかった高裁判決を破棄差戻して、医師の責任を厳格に問う流れが始まったように思います。
そういう経緯ですので、藤山裁判長が現在の流れを作り出しているというのは、彼が特に目立つ存在だからそう見えるかもしれませんが、買いかぶりすぎでしょう。

むしろ藤山裁判長は、2004年以前は行政裁判担当で、行政庁側にことさら厳しい判断を重ねたことで著名です。

投稿: 町村 | 2007/01/16 01:35

>rijinさんのおっしゃることは概ね納得です。
特に「医療行為に内在するリスクは確率的なものであり、確実な結果回避は望むべくもありません。この場合、医療専門職に対して片務的に賠償責任を課すのは公正であるとは考えにくいのではないでしょうか。」という部分は、その通りであり、だからこそ診療債務は結果として治す義務ではなく、治すよう手を尽くす義務で、治らなかったからといって直ちに債務不履行とはならないと考えられてきました。
問題は、手を尽くす義務をどこまで厳格に問うかというところで、個別の事件では無茶な判断をしていると思われるものもあるかもしれません。また裁判はどうしたって過去を振り返っての評価しかできませんから、後出しジャンケンのように見えることもあるでしょう。
悪名高いのは輸血梅毒事件と称されるS36.2.16の最高裁判決ですが、問診で梅毒罹患を疑わせる性交渉の有無を聞き出さなかったのが過失だとされた例です。当時の東大の先生達は司法に二度と協力しないと怒ったそうです。
でもそんな無茶な判断で過失を認定するのが司法の一般的姿勢かというと、むしろ全く逆というのがこれまでの常識でした。

おっしゃるように医療専門職に対して片務的に賠償責任を課すというのであれば、問題ですが、はたして現状が一般的にそのように評価されるのかというと、そうとは言えないように思うのですが。

投稿: 町村 | 2007/01/16 01:55

町村さん どうも。

医療崩壊が「民事裁判で医師の責任が理不尽に追及された結果だというようには思っていません。」とのことですね。

これは実際に医療の最前線を支え、そして辞めていく者たちの認識とは乖離しています。

辞めていく彼らに聞くと、労働条件の過酷さ、患者の無茶な要求と並んで、訴訟リスクを必ずあげます。
実際に全うな医療をやっている医師がいいがかりといえるような訴えを起こされるのを見て、周囲の勤務医が辞める例はやまほどあります。

喩え裁判が長期化していようと(長期化することはそれ自体被告にも負担が大きい)、原告勝訴率が低かろうと(高いか低いかが問題なのではなく、外野の医師から見て納得行く判決かどうかが問題)
現在の傾向が続く限り、医師が自分が訴訟に巻きこまれるリスクを考えたときに辞める選択をする可能性は高いですよ。

投稿: 立木 志摩夫 | 2007/01/16 08:16

>むしろ藤山裁判長は、2004年以前は行政裁判担当で、行政庁側にことさら厳しい判断を重ねたことで著名です。

で、煙たがられて医療裁判へ左遷されたという風評がたっております。

投稿: 通行人 | 2007/01/16 08:25

町村先生:
駄文に御丁寧な御意見をお返しいただきありがとうございます。

まず、私のコメントについて。

「「優」がとれないから」、と学生を連れた教育ママが教授室を訪れ、
「うちの○○ちゃんが何で優を取れないの?あなたの教育が悪いんじゃありませんか?損害賠償します」
なんて言って来る事が何度もあると、そのうち教えることに対しモチベーションが下がるはずです。一度下がったモチベーションはなかなか戻りません。そういうことがあっただけでやる気が削がれますが、それだけではなく、司法でもその損害賠償が認定されてしまうとしたらどうでしょうか。

現場の全ての医師・医療従事者はこういった状況で診療しているのです。(あるいはそう感じているのです)

それを単に「倫理云々」などと言っても解決は全くしません。

それから、

>しかし、強者をくじき弱者を助けるというような行動原理で司法が動いているというのは、やや司法を過大評価しているような気がします。

これについては、裁判官の多くはそうではないでしょうが、「一部」の裁判官は明らかにそうです。いや、実際にネット上では「裁判の際にそういう感情が(多少なりとも)働いているのも事実だ」とコメントする司法関係者も少なからずいます。
(まあ、ネット上の発言が本当に「司法関係者」から出ているのかは調べる由もありませんが)

(色々な判決を見ていると、いつも奇抜な判決をしている裁判官がいますが、司法はなんでそういった「問題裁判官」を排除することが出来ないのでしょうか。よその業界には「問題人は排除されるべき」などというくせに)

多くの裁判でそのような感情で動いていないといっても、一部でその様なことがあるのではないでしょうか。現状では、そのような判決がひとつでもあれば医療崩壊は一気に進みます。


最後に、医療には100%を要求し「たら、れば」論で断罪するのに、自分たち司法は「多くは大丈夫だからいいでしょ?」というのはどうかと思います。自分たちに対して甘いのは問題ではないでしょうか。少なくともまず自分たちの襟を正した上で他者を正してほしいものです。

投稿: 暇人28号 | 2007/01/16 08:28

ブログ主は完全に間違っている。

医療崩壊が「民事裁判で医師の責任が理不尽に追及された結果だというようには思っていません。」 だってさ、、、。

私の良く知っている医師は「民事裁判で医師の責任が理不尽に追及されるのは勘弁して欲しい。」 と考え第一線を離れました。同期に聞くと、全く同様の理由で同年内に彼らも勤務医を辞めました。彼らに共通する考えは、

「手術・分娩をやっていれば必ず一定の確率で不幸な事例がある。その度に裁判沙汰では(無罪であっても)やってられない」
「開業で、経済的に失敗するリスクと、勤務医で裁判沙汰になるリスクは変わらない。むしろ開業が人間らしい生活ができて吉」
「子供、妻を犯罪者の家族にしたくない」
皆、中心的な高次施設に勤務する優秀な産婦人科医であり外科医でした。彼らの離脱は潜在的に数十万人の住民にとって不幸でした。

ことここに至っても、法律を教える立場の者がこの程度の認識なんですよ。ネットで30分もあれば手に入れられる情報の取得の努力もせずに、こういう偉そうなご高説を垂れ流すんですよ。
医師にできることは只一つ。

速やかに逃散し、第一線から避難し、絨毯爆撃を生き延び、医療完全崩壊後に備えることです。優秀な医師ほど(医局に頼らなくてもいい医師ほど)既に逃散したようですが、、、。

投稿: みんな、逃げろ!!! | 2007/01/16 11:21

 町村先生、コメントありがとうございました。

> 問題は、手を尽くす義務をどこまで厳格に問うかというところで、個別の事件では無茶な判断をしていると思われるものもあるかもしれません。また裁判はどうしたって過去を振り返っての評価しかできませんから、後出しジャンケンのように見えることもあるでしょう。

 訴訟というのは個別具体的なものですから、被告側・原告側を問わず、自らの意に沿わない判決が出れば不当判決であると感じるのは当然であると思います。

(法曹の方とお話ししていると、あまりにもその点についてナイーブであることに驚かされることがあります。)

 さはさりながら、医療専門職制度や法曹制度が拠って立つところの専門職システムというのは、本質的に解消不可能な情報の非対称性が存在することが前提になっております。であるからこそ、インフォームド・コンセント(の努力)を含めて、良好なプリンシプル・エージェント関係が重要視されるのも当然です。

 その中で、医療行為の結果については、さらにしばしば専門職自身にすら原因特定が困難であるのに、情報の非対称性の解消を基盤とした解決を求めるというのは、むしろ実効性に欠けるように思います。

 最近、医療訴訟に於いて法曹や裁判所が、原告の本当のニーズに応えているのかどうかが漸く問題とされてきています。こんな事を言うと失礼かも知れませんが、法曹の考える真実究明の方法論自体に、専門職システムと相容れない論理が存在しているのではないでしょうか。

 医療訴訟の原告は、しばしば真実の追究を望んで訴訟を提起しますが、確率論を無視した後出しジャンケン的な判決では、被告側はもちろん不満ですし、その不満を見て取った原告にとっても、ニーズが満たされたという評価はできなくなっています。

 この方法論にしがみついていくのであれば、裁判の公正に関する国民の信頼が、医療側と患者側の双方から徐々に失われていくのではないでしょうか。

> おっしゃるように医療専門職に対して片務的に賠償責任を課すというのであれば、問題ですが、はたして現状が一般的にそのように評価されるのかというと、そうとは言えないように思うのですが。

 「そうとは言えない」というのは便利な言い回しですね。では、想定される「一般的」なオーディエンスは果たしてどんな人々なのでしょうか。訴訟の評価に於いて「一般的」存在というのは誰なのか、法と訴訟に携わる皆さんには、是非、自問していただきたいと考えます。

投稿: rijin | 2007/01/16 11:21

 患者側は、医療過誤訴訟は今でも医師側に有利すぎると思っているので、今よりも医師側を有利にする改革をしたら、むしろ不満がたまるでしょう。例えば、「医療過誤訴訟においては、判事は医師としての資格を有し一定の経験を有する者に限定する」というルールを定め、その結果医療過誤訴訟における原告勝訴率が著しく低下した場合には、患者側はもちろん、一般世論としても、その改革の結果医師側に偏った裁判が行われるようになったとの不満を持つことでしょう。

 で、誰がそんな提案を公的にすると期待しているのですか?

投稿: 小倉秀夫 | 2007/01/16 11:48

小倉さんへ
>「医療過誤訴訟においては、判事は医師としての資格を有し一定の経験を有する者に限定する」というルールを定め、その結果医療過誤訴訟における原告勝訴率が著しく低下した場合には

とありますが、実際には原告勝訴率が低下するのでしょうか?この点については疑問だと思います。藤山氏の訴訟について現場の医師が抱く不満とは、医学的に妥当でない論拠での医療側敗訴に尽きると思います。逆に言えば、医療事故の生じた状況(人員、設備といった医療のリソースや地域的特性など)を踏まえた上で、明らかに医学的におかしな対応がなされた事例で医療側敗訴の結果が出たとしても、医師は納得します。これは、同僚と日々の診療を進めていく際に強く感じることです。職人肌の気風の強い医師は、一般に他の医師の診療に厳しいのです。

糖尿病性昏睡の大学生が無くなった下記の例は、原告敗訴となっていますが、これは明らかにおかしい判例だと思いますし、このようなトンデモナイ鑑定をしたこの教授の発言は、日常診療で無視することとしています。医療に無知な裁判官では、この例のように、不当な原告敗訴も導いてくるのです。医療をよく分かった人員が裁くことにより、医学的に妥当な原告勝訴例も増加するのではないでしょうか。
http://homepage2.nifty.com/MECON/

投稿: 岡山の内科医 | 2007/01/16 12:50

小倉さんへ

あなたのように医師に挑発的な言動をしても事態は改善されません。っていうより、現状の医療崩壊ではほとんどの医師は困っていませんし、ネットや知人の医師たちと話していても「どうぞ崩壊してください」という意見が大勢を示しています。

ですから、御自信の意見を貫かれてもいいですが、そうなったときに困るのはあなたを含めた利用者・国民なのです。私も労働者という観点からしたら崩壊してもらっても全く問題ありませんし、実際に現在は有利になっています。給与も休暇も。

多くの医師がなぜ医療崩壊を世間に訴えているか。それは明らかに利用者としての立場から発言しているのです。自分や家族が病気になったらいったいどこで医療を受けたらいいのか心配だから訴えているのです。義侠心に駆られて訴えているのです。

医療崩壊の議論をしていると一般の方は「自分たちの利益誘導のためにしているんだろう」という方が多いのですが、実際には、

利益になる人 :多くの勤務医
不利益になる人:国民・多くの診療機関開設者

です。国民の多くは実際に崩壊しないと分からないようですので、最近は「もうどうにでもなれ」と言う気分ですがね。

投稿: 暇人28号 | 2007/01/16 13:16

管理人様

はじめまして。
私は医師です。
管理人様の記載に胸を痛めております。
管理人様の、医療の現状に対する認識、医療者側の意識に対する推察があまりにprimitiveで目の前が真っ暗になりそうですが、医療に関心のない方の一般的な認識レベルだと私は思っています。医師と実際に会って、医療問題について話し合った経験がおありですか?おそらく普通の方はそんな機会はないと思われますし、それは当然だと思います。そこでいきおいセンセーショナルな報道や、声の大きい自分と社会的生活圏の近い人(今回は藤山氏でしょうか)から、医療者に対する実態とかけ離れたイメージが与えられ、それを元に考察が進むのは止むを得ないかもしれません。声が大きい者が優勢になるのは現在の社会の常です。しかし、今回は医療崩壊についてのコメントを管理人様はWeb上に公開されたわけです。個人の頭の中で考えているだけの状態とは次元が違います。本人にその意図はなくてもさまざまな方に影響を与えることでしょう。医療者への一方的なイメージを抱く人がまた増えるかもしれず、それは私にとっては耐え難いことです。発信されることは自由ですが、医療者側からの意見が返ってくることも覚悟していただかなくてはなりません。

半年くらい前の私であれば、さっそく医療の現状と先行きについて微に入り細にうがち説明し、根拠をあげ、自分の体験をさらして回っていたのかもしれませんが、もうそんなことをしても空しいほどの段階に現実がなってしまったことと、また非常に優れた医療者・もしくは医療問題に関心のある非医療者の方のサイトがそこここにありますのでそれをするのは控えます。管理人様には、それらのサイトををまず熟読していただく責務があると思います。あくまで医療についてお書きになるのであれば。ただ、ご説明すれば、共感は無理でも理解はしてくださる方だとお見受けしましたので、私からも管理人様に2点申し上げたいことがございます。

①医療者の労働・仕事内容・思考過程・問題点についての正確なメッセージを、報道や藤山裁判官の口を通してではなく、医療者側の口を通して直接的に受け取っていただきたいのです。

管理人様の記載がなぜ医療者から見るとおかしいと感じられるのか。それは、片手落ちであるからではないかと私は思います。患者側・司法側から見た医療者のイメージのみで論を構築していくことには現実感が乏しく、無理が生じていると思います。反論も現状に立脚していないため、ひ弱な印象があります。印象での記載は建設的ではないという記載もみられましたので、管理人様ご本人の記載で、現状の医療に対する認識として大変に不十分ではないか、と思われる点を抜粋して、ご説明したいと思います。

>医療崩壊の原因が医療事故訴訟の多発にある
>ということでしょうか?ずいぶん前のアメリ
>カではそのように言われていましたが、その
>際の要素の一つとして、医療過誤保険の保険
>料の高騰で一般の医師が負担しきれないとい
>う点が挙げられていました。日本でもそのよ
>うなことがあるのでしょうか?

これは素朴な疑問と考えてよろしいでしょうか。お答えしますと、「保険料の高騰は今の時点ではありません。というか今の日本の医師は医療過誤訴訟の費用負担とかを忌避しているわけではまったくないのです。あまりにも『非科学的もしくは非現実的馬鹿馬鹿しい判例』がまかりとおり、それにブレーキをかけられないことに最もストレスを感じているのです。状況的に予見不可能な事故でもそれを予見可能と裁定する非現実的な判例がひとつでもあれば、今後自分がそれに該当する可能性が高いと考えるのがまともな想像力のある臨床医というものだと考えます。

>今の日本の医師不足は、それが医療崩壊だと
>しても、研修医システムが変わったせいだと
>か相変わらず医師の数が足りないのだとか、
>報道されていますが。

これは報道を聞いた上での管理人様の感想とみてよろしいでしょうか。医師不足=医療崩壊という簡単なものではありません。医療訴訟の増加に伴う医療崩壊があり=それで医師不足と言われるが医師不足の原因として新研修医制度とか他の原因もあるではないですか、ということでしょうか。うーん…。まず医師の数は絶対的に不足しているのですもともと。昔に比べ一人の患者様あたりに行う仕事の量が指数関数的に増えました。医療崩壊とは、医師不足のみで測定できるようなものではなく、また別に考えるべきです。研修医システムや医師の総数と適正数の計算などはそれぞれ別の問題として捉えたほうが考えやすいのではないでしょうか。

>法的責任追及を恐れて防衛医療に走るという
>弊害はよく言われていますが、それこそ医師
>の行動倫理としての問題がありそうです。

これはいったいなにごとですか。医師は法的責任追及を逃れてはいけないということでしょうか。ここで管理人様と私の大きな認識の相違があると思います。「法的責任追及」ですが、それがまともに科学的にも医学的にも首肯できる理由に基づいて判断されているのであれば文句はありません。しかしそれが不当であればいかがでしょうか。上の文章は、「不当で暴走する法的責任追及を恐れて防衛医療に走るという弊害」と記すべき問題です。医師は不当な法的責任追及から逃れることも許されず、ただ地雷原の上を歩き、爆破されるなら勝手にされておくのがよいとおっしゃているように感じられます。それはおかしいでしょう。それを「医師の行動倫理に問題がある」とはなにごとでしょうか。基本的な背景の知識がないままのお答えとは思いますが、あまりにあまりな言い方だと考えます。なぜ不当なのか。それは次の項に続きます。


②医師が医療訴訟をただ単に忌避しているわけでは決してないということをご理解いただきたいのです。私は今までの管理人様の記載から、ひょっとして医師は医療訴訟というもの全てを何でもかんでも大反対・聖域として侵略を毛嫌いしている、などと考えておられるのではという恐れを抱いております。それは全く当てはまりません。普通に考えてそんな姿勢なわけがないでしょう。

私は、明らかな過誤について民事訴訟が行われることについては特に反対はありませんし、それは大方の医師の意見だと思います。医師が萎縮医療をせざるをえなくなり、医療訴訟で最大の問題点だと考えているのは、「科学的・医学的・現実的な医業として・医療水準としてあまりにも荒唐無稽な弁論が行われ、それが採用され、判決が出され、判例が積み重なっていること」なのです。「何でも医師が反対している」という印象をもしお持ちなのでしたら、即刻改めていただきたいと存じます。それでは、具体的にはどの訴訟が問題なのか?それについては少し検索なされば読解が追いつかないほどあります。多くのサイトで医師側の検証がなされていますので解説つき判決文として熟読されることをお勧めします。多くの判例は、「医師側はできる限りのまっとうな医療行為を行ったのにもかかわらず力が及ばなかった事例」を、「当然予見できるはずだった危機に対して対策を怠った事例」になんでも変貌してしまっています。これがまかり通るなら、医業を行うことができません。

管理人様はこのような猛烈な反応がくることは、もしかすると予想されてなかったのかもしれません。これらの反応は、管理人様が(日々の報道や藤山氏などから)刷り込まれた誤ったイメージを何とか軌道修正してもらいたいという意思からの行為ということをご理解いただきたいと存じます。誤った認識から立ち直っていただく喫緊の事態だと考えての書込みの殺到だと考えていただきたいのです。

今まで書き込まれてきた方々で、自己のサイトを持っておられる方は、非常に優れたサイトを運営されておられる方ばかりです。現時点でトップクラスの質を保っておられると私は感じております。また、書込みがおおむね紳士的なのは管理人様のお人柄と知性の高さを尊重してのことだと考えます。
私は、今後もう少し管理人様が勉強されることを期待しております。

投稿: 元内科医 | 2007/01/16 14:21

 小倉秀夫さま、こんにちは。

> 患者側は、医療過誤訴訟は今でも医師側に有利すぎると思っているので、

 医療訴訟の原告の目的は、多くの場合、真実を明らかにすることです。敗訴した原告は、勝ち負けよりもしばしば真実が明らかにならなかったことに対して不満を感じるものです。たとえ勝訴したとしても、判決の事実認定があまりにも医学的見地から見て粗雑であれば、被告側医療機関や医療専門職からは納得した様子が見られません。本心からの謝罪がえられず、再発予防にも寄与することがありませんから、原告の不満はさらなる償いを求める手段もなく、鬱積したままで終わることになります。

 たしかに、訴訟の経過中に、専門職システムと密室性による情報の非対称性が問題となり、それを原告が不満に思うことはしばしばありますが、これだけを解消すべく法曹が努力することは空しい結果に終わるであろうと思います。

 求められているのは真実の追究であり、誤解を恐れずにいえば、手続きの公正さではないからです。さらに極論すれば、医療訴訟の原告にとっては真実の解明という結果の正しいことが最重要な問題であるからです。

 原告が医療行為の結果に対して不満や怒りを感じて訴訟に臨んでいるのであるとしたら、手段としての訴訟の中での手続きの公正さに対する努力が、そもそもの出発点である真実を明らかにすることに繋がっているかどうかを問われることは、むしろ当然であると類推できないものでしょうか。

 医療訴訟に於いて、被告側だけが法曹の敵対者ではありません。原告もまた、今の医療訴訟の在り方、とくに勝敗だけにこだわった在り方に不満を覚えているのです。そういう意味で、日本の裁判制度がほんとうに国民全体のニーズに応えているのか否か、是非是非、真摯に自問していただければと思います。

投稿: rijin | 2007/01/17 15:54

rijinさん、こんにちは。
情報の非対称性を是正することは空しい結果に終わるというご指摘には、あれれと思ったのですが、求められているのが真実の追究ということで納得しました。

でもそれは、誤解を恐れずに言ってしまうと、裁判制度が果たすべき役割ではありません。
裁判は真実を明らかにすることを第一義にする手続ではなく、紛争解決を第一義とする手続ですから、場合によっては真実が明らかにならずともよいと割り切らざるを得ないところがあります。
ご指摘のように、手続の公正さに対する努力は、真実を明らかにすることと矛盾するものではありませんが、全く同じ方向のものではもともとありません。

真実を明らかにすることを目的とする、もっと適切な場が他にあればよいのですが、それがないため、仕方なく裁判所を利用しているというところがあります。

投稿: 町村 | 2007/01/17 18:04

元内科医さん、こんちには。
厳しいご指摘で、痛み入ります。
私自身は、10年ほど前まで医療事故訴訟に関する研究会でお医者さんたちともご一緒する機会がありましたが、もちろん医学にも現場にも素人ですので、数々の誤謬をしているかもしれません。

結局、お話を読む限り、「不当な司法判断」こそが問題というわけであれば、私もそれを非とする積もりはありません。
あとは、個々の裁判所の判断が不当なのかどうかを、ご指摘のサイトなども参照しつつ、勉強していきたいと思います。

投稿: 町村 | 2007/01/17 18:17

 裁判官が医師としての経験の豊かな者からしか選ばれない医療過誤訴訟において、「被告にそこまでの注意義務を認めることは妥当ではない」として請求を棄却する判決が下された場合に、それが如何に医師仲間の間では納得のいく判断であったとしても、原告及びその周囲の人々は「医師出身の裁判官だから医師を庇った」との不満を抱くでしょうし、その不満を聞いた人はその不満を傾聴に値するものと考えることでしょう。
 裁判は、必然的に敗者を生み出すものであるが故に、判断者の中立性に対する信頼を確保するということがどうしても重視されます。そのような信頼をないがしろにした裁判制度が、ほんとうに国民全体のニーズに応えたものであるとは、私には思えなかったりします。

投稿: 小倉秀夫 | 2007/01/17 18:26

町村先生、コメントに対するお返事ありがとうございます。

>でも正直言って、刑事事件に全くしなくてよいかというと、そうも断定できないのですが。

「医療事故すべてについて刑事事件に全くしなくても良い」という意見に、自分は反対です。故意、悪意に基づく医療事故であれば刑事事件にするのが妥当です。実際、東京慈恵会医科大学付属青戸病院における医療事故などにおける立件逮捕は、ほとんどの臨床医が妥当と思っています。
大野病院の医療事故のように、医師が専門とする科を超えて刑事事件化に反対して擁護の声明を出す事は、前代未聞の出来事なのです。
このことだけでも、どれだけ大野病院の医療事故の逮捕立件が医療者に衝撃を与えたか解ります。


>「不当な司法判断」こそが問題

「元検弁護士のつぶやき」にて、モトケンさんが問題の核心を的確にまとめておられていました。
モトケンさますいません。勝手ながら引用させていただきます。

『このような(医師が認識しているところの)状況を前提にして、「正しい医療が行われていたのであれば、そのことを堂々と主張すればよい」と言うのは、状況認識に誤りがあるのではないでしょうか。
 藤山裁判官の考えは、「司法は信頼に値する」または「司法は信頼されるべきである」ということを前提にしていると思われますが、すでに医師側からのコメントから明らかなように、問題は、「医師が司法を信頼していない」ことにあります。
 信頼していない、または信頼を失った相手に対して、ただ単に「俺を信頼しろ。」と言っても無意味です。
 信頼のない相手から信頼を得ようとすれば、信頼を得られるように努力すべきことになります。
 日本の憲法秩序上、司法は最も信頼に値する国家権力と位置づけられています。
 言い換えれば、国民の信頼なくして司法は機能しないということです。
 司法が医療側の信頼を完全に失うことになれば、医療過誤事件について司法は十分な機能を発揮できないことになります。
 なお、ここで誤解のないようにしていただきたいのは、司法に対する信頼と敗訴当事者の不満とは別だということです。
 当事者は敗訴という一事をもって不満ですが、問題は判決を読んだ第三者がどう思うかです。
 ここでの問題は、いくつかの医師側敗訴判決を読んだ多くの医師が納得しない現実があるということです。
 そしてその結果としての医療崩壊という現実が進行しているということです。』

投稿: オダ | 2007/01/17 19:13

通りすがりの産婦人科医です。

「医療側が隠す」と良く言われますが、じつは必ずしもそうでない場合も多いと思います。つまり意外な事故の場合には「隠している」わけではなく「何故こうなったのか医療側にもすっきりした説明がつかない」ということが、かなりあります。(むしろその患者の体の特殊性と言いたいことも多い)
 それが医学医療能力の現実であるにもかかわらず、患者側や裁判官はそのことを知らず、「隠している、わざとあいまいにしている」と批判してきます。

 それはかつて、医学医療医者はすべてわかるものだ、頼りになるものだ、という形で世の中お互いに丸くしていた、それで治まっていた名残りが影響していると思います。

 その意味では今は過渡期かもしれないとは思っております。
とりあえず昨今の判決情勢の中では、患者さんの失望、不安などはかえりみず、医学医療の無力さ危険性をあらかじめできるだけ inform するべく励むしかないと思っています。

投稿: 通りすがりの産婦人科医 | 2007/01/17 19:40

町村様丁寧な御返答有難うございます。

>両当事者とも手持ちの資料を十分に開示して、可能な限り事実関係が明らかになった上での解決という意味です。

御意見に基本的に異存はありません。私もそうあるべきだと常々考えていります。さらに言えばその御意見どおり訴訟が行なわれていれば問題は無いと考えています。

しかしそうは感じられない医師が相当数に膨れ上がっているのもまた事実です。可能な限り事実関係を明らかにし、専門的な分野でありますので、難解な部分について正当な医学的根拠をもって説明したにも関わらず、それに対しての理解が余りにも乏しいと医師は痛感しております。

事実関係を明らかにすると簡単に書かれておりますが、医療上の経過を示されて何がどこにどう関連し、どこが重要でありどこがポイントなのか町村様では難しいかと存じます。これは町村様の能力を貶めているのではなく、医学と言う専門分野の修練をなされていないからごく当たり前の事です。

そのため判決と言う結果を見れば、曲解と申しますか、正直に言えば事実誤認としか解釈しようが無いものが生み出されています。有体に申し上げれば、司法が下した判決の中に冗談としか思えないレベルのものが多々含まれております。

事実関係を「正しく」把握するするためには、素人に毛の生えた程度の医学知識の裁判官ではもう無理だと感じている医師が猛烈な速度で増えています。そういう医師として求める知識の一例として提示させていただいたと御理解頂ければ幸いです。

司法の考えに一罰百戒的なものはあると聞いております。しかし現在の一部医療訴訟の結果は一罰百壊の破壊力を持ち、最悪その分野の治療から医師が裸足で逃げ出すほどの影響力を及ぼしています。ご実感は無いかもしれませんが、事態はそこまで進んでいると考えております。

投稿: Yosyan | 2007/01/17 19:53

一番わかりやすい例は病理解剖でしょう。
私は司法解剖でなぜあんなに割り切った答えが出るのか不思議に思うのですが、少なくとも病理解剖では明確な死因が断定できることはきわめてまれです。

ところが、死因が一番明らかになるのは病理解剖です。臨床における死因はあくまでも推定でしかありません。たとえば、全く既往症が無く、心筋梗塞を起こし、その結果死亡したという単純な理由であれば病理解剖しなくても99%は原因が特定できます(残念ながらそんな条件はほとんどあり得ません)。しかし、糖尿病とヘビースモーカーの方で肝癌があり、心筋梗塞を起こして死亡した場合、死因を特定するのはきわめて困難です。たとえば病理解剖で腹腔内の出血が認められたとしましょう。この場合、心筋梗塞が先なのか、肝癌破裂による出血が先なのかわかりません。それに心筋梗塞の原因だってストレスが原因なのか出血による貧血が原因なのか、あるいは糖尿病や喫煙が原因で心筋梗塞を起こしたかもしれません。
医療事故とされる死亡の大半は後者のように原因が特定できない場合が多いのです。いくら解剖やっても答えは「~の可能性が最も高い」とか、「~の可能性が示唆される」とか、「~の可能性も考えられる」程度の答えしか返ってきません。それをマスコミや警察は「~である」と断定調に宣伝するか、「~の可能性が高い」(最も高いと高いではまるで意味が違います)と言えば一般国民はそれを否定しないでしょう。

臨床ではCPC(剖検カンファランス)というものがあります。これは死因特定に最も貢献する会議なのですが、これで答えが出ることはほとんどありません。死因の可能性が表されるだけです。それも不確実に。

もう一つ、100%正しい医療を事前に選択し、行うことは不可能です。人間は一人一人解剖と生理が違いますし、いくつかの病気が合併していることがほとんどです。つまり、一人一人オーダーメイドのように治療を選択するわけで、また、当然医師による治療方針の違いもあります(だからこそセカンドオピニオンが成り立つのです)。すべては教科書通りいかないわけです。
さらに例を挙げると心不全の入院適応だって教科書に書いてあるわけではありません。すべては勘で行うわけです(ある程度は教科書的なものはありますが・・・もちろん完璧ではありません)。経験から試行錯誤しながら行っているわけです。
このような不確実な医療に対し、100%完璧な治療法選択というのはありません。故に問題が起きたときに、後出しジャンケン的なクレームがつけられるのです。
医療事故については原因特定はレトロスペクティブ的手法とプロスペクティブ的手法があります。つまり、結果がこうだったからこういう原因が考えられるな、と推測する手法と(但し、あくまでも推測でしかありません)、「あのときだったらこの限られた情報の中でどういう考えができるであろう」と推測する手法があるわけです。これを考えると責任追及は一番優先度が低いことだとわかります。それもあまり意味がない場合が多い。少なくとも責任追及をレトロスペクティブ的に行うことは間違っていると言えます。

投稿: yama | 2007/01/17 20:20

つまらないことですが失礼させていただきます。

 当初私はここの多数のご意見それぞれのお名前と文章の上下関係を間違って見ていました。線に影響されて、ウッカリ者にはそうなってしまうと思います。。。 失礼しました。

投稿: 通りすがりの産婦人科医 | 2007/01/17 20:41

真理追求のための裁判は止めて欲しいですね
明らかなミスで無い限り、医者は全力を尽くしているのだろうし
亡くなった人の死の原因を追究してしまうのはどっちかというと、宗教の問題になるかと
それとも精神科に行くほうがいいのだろうか?

ブラックジャックのように、無理な事なら医者も断らないと
それでも一縷の望みがあるならと「先生! シリツをして下さい」と患者や家族は思うのだろうから

それと医者には多大な社会的投資がなされているので下らない裁判で廃業されては多くの人間に不利益
それともアメリカのように財布をさぐって金が無ければ重傷者も放置の方が良いとでも言うのだろうか?>藤山雅行裁判長

投稿: sakimi | 2007/01/17 20:50

*****(Medical Malpractice Information Centerより)*****
(医療訴訟)集中部のひとつである民事34部の前田順司判事によれば、平成13年4月から平成14年2月までの間の新件約160件のうち、鑑定を実施したのは僅かに7件であったという(本年3月15日の東京三会主催シンポジウムにおける発言)。
 このように鑑定実施率が低いのは、一言で言って、鑑定を待つまでもなく裁判所が心証をとってしまうから、である。
 集中部のある判事は、裁判所が鑑定を採用する典型的な場面として、次のふたつを挙げている。・証拠調を実施した結果、原告不利(医療機関側が無責)との心証をとった場合で、原告側から鑑定申請があった場合。この場合は、原告に立証を尽くさせるという意味で、鑑定を採用する。・また、尋問を経ても裁判所がどうしても責任についての心証を採れなかった場合も、鑑定の対象となりうる。
 しかし、同判事は、・証拠調を実施した結果、医療機関側有責の心証をとった場合には、医療機関側からの鑑定申請があっても、裁判所としては採用しない、という。被告医師自身が専門家証人的性格を帯びた証拠方法であることを重視し、その尋問を経てもなお被告有責の心証が固まった以上、責任論に関してはもはや判決に熟している、と見るのである。
http://www3.ocn.ne.jp/~mmic/041kinkyutokusyu.htm#04
********************************

この判事の元では、原告の訴えに理があるのか、ないのかよりも、訴訟戦術で不公平な判決が残る可能性が高い。医療側が審議を尽くしていないとの疑義も公平に受け入れていないと、医療側には無力感しか残らない。

本当に心証だけでいいのですか?

軽過失で死亡または重篤な合併症が惹起される状況とは、それだけ治療が難しかったり、患者の状態が悪くなっていると容易に予測されるのに、軽過失で全損害賠償+慰謝料では、医療契約を結ぶことは、一方的不利益契約の強制と思われます。

『故意または重過失によらなければ、医療者、病院はその責を負わない』という医療契約は、公序良俗に反し、無効でしょうか?
この位の契約がなければ、医療契約など結べないような気がします

投稿: Med_Law | 2007/01/17 21:16

専門家責任という点でも医療過誤訴訟は特異性があるんだなと感じました。
これは専門家の中でも「命」を扱うプロフェッショナルであるからこそ
他の弁護過誤訴訟等よりも注意義務が重く見積もられているのでしょう。
そして、医者に受任の自由も認められないのでしょう。

問題はそれに見合う報酬を得ているかですね。
どうも、ここのコメントを見ているとそうではないようです。

個人的には医療水準論による注意義務の高度化も報酬により相対的に合理化され
うるものなのかなと考えます。

それと産婦人科をやらなくなる医師が増えているとのことですが、このまま
減少傾向が続くのであれば、産婦人科の一定期間の勤務を法で強制することになるでしょう。受任の強制よりも更に厳しい職業の自由に対する制限ですが許容されるでしょう。すなわち、困るのは利用者の国民だけではなく医療関係者の方も同様です。
町村教授はおそらくこの点を見越して防衛医療の矛盾を衝いたのだと思われます。

昔はお医者様を訴えるのなんてとんでもないというのが社会通念でしたが
現在ではそのような意識は人々の中から消えかかっています。
そして、これを土壌に何が真実なのかと言う点から医療訴訟を利用者である国民は次第にするようになる。
これは法律上の争訟と言えるのかそもそも疑問があるのですが、形上は
損害賠償や債務不履行責任を問う形なので真の目的に気づき本案前の抗弁を
することは難しいわけです。

この利用者のニーズを適格に拾い上げるには各種の審査会のような性質を備えた
第三者機関により医療行為の真実、相当性を判断させ詳細な理由をふさせることの
方がよっぽど終局的解決に適していると思うのですが、このような動きってないんでしょうか。(イメージとしては情報公開審査会の答申例のような形です。インカメラ審査も当然出来るし、医療側の情報は当然全て開示が原則)

もちろん最終的には裁判による途も残しておくべきだと考えます。
いわば行政訴訟の審査請求のようなシステムが存在する方が有用だと
これまでのコメントを見ていて思うのです。

全てはレベルの高い、満足度の高い解決を当事者間で行うことに帰着すると思うのですが、現行の民事訴訟は町村教授も言われているように、大部分の原告の真の目的である真実の発見というのは余り重視されていないわけでして、訴訟による解決というのは非常にUnsuitableですね。

>『故意または重過失によらなければ、医療者、病院はその責を負わない』という医療契約は、公序良俗に反し、無効でしょうか?

過失の場合に負わないというのは、債務不履行の場合でもよくて責任軽減が限度なのではないかと考えます。医療契約は準委任で善管注意義務を負うとされていること、
受任の自由が制限されていることが根拠です。

投稿: 東馬 | 2007/01/17 22:31

東馬さま  | 2007/01/17 22:31

>産婦人科の一定期間の勤務を法で強制

一人前の産科医なるのに10年の研修が必要とされています。
専門に研修していない医師に産科を一定期間強制しても、産科医療は出来ません。
更に産科勤務を無駄に強制されている期間、本来の専門分野のレベルの維持が出来なくなるという問題もあります。

そして医師が足りないのは産科だけではありません。
産科についで小児科、救急医が既に足りなくなってきています。
外科医も上述の科ほどではありませんが足りなくなってきています。
地域の基幹病院と言われる病院での医師の確保が出来なくなって、当該地域における救急医療が行なえなくなる危機が既に迫っています。

>医療側の情報は当然全て開示が原則
この原則が大事。
この原則がないと医療事故を審査は機能せず、どのような新制度であれ成功はおぼつかないでしょう。

投稿: オダ | 2007/01/17 22:57

契約内の特約は許されないということでしょうか?

『故意または重過失によらなければ、医療者、病院はその責を負わない』というのは、スポーツクラブの契約書の文言そのものです。

裁判所が軽過失と重過失の境界を何処に引くかですが、重症患者の治療など、仮診断、仮治療の繰り返しであり、Try & Error なくして前に進まない世界です。Tryさえしなければ救命できず、Errorが含まれていれば、賠償責任を負わされるのであれば、患者受け入れも躊躇するのは当然でしょう

医療が医師の高度な判断で行われる限り、現状では慇懃丁寧な診療拒否が蔓延することになるでしょう。
判例は、責任を負えない治療契約は受たら処罰するといい、治療に成功しても僅かな診療報酬収益を与えるに過ぎません

医師が長時間勤務、自宅待機を行って支えてきた日本の医療ですが、モチベーションを保てなくなるだけでなく、ゆっくり時間を掛けて、遵法的に出来るだけの治療行為を行うことになるでしょう
もう、医師も自分のキャリアーの安売りはしないでしょう

投稿: Med_Law | 2007/01/18 01:11

今しがた見つけた産科医の記述ですが、
http://tyama7.blog.ocn.ne.jp/obgyn/2006/05/post_4b17.html#comment-4955734
こういうのを見ると、裁判のレベルも何もあったものではなく、ただただ医療を崩壊に導くのが裁判の役回りなのではないかと錯覚しそうです。医療側が一審勝訴してもこれですもんね。

あ、錯覚ではないのかな?

投稿: 峰村健司 | 2007/01/18 02:31

 町村先生、コメントありがとうございました。

> 裁判は真実を明らかにすることを第一義にする手続ではなく、紛争解決を第一義とする手続ですから、場合によっては真実が明らかにならずともよいと割り切らざるを得ないところがあります。

> 真実を明らかにすることを目的とする、もっと適切な場が他にあればよいのですが、それがないため、仕方なく裁判所を利用しているというところがあります。

 医療訴訟を実際に経験した関係者の多くが、御意見に首肯することと思います。

 問題の本質として、現行の制度が適切に機能するように努力するだけでは解決不能であるように思います。法曹も裁判所も自身の限界を国民に明示していただく必要があるのではないでしょうか。

 さらには積極的に代替案を提案し、あるいはそのような動きに協力していただければ、被告側医療関係者の裁判制度への不信の解消はもちろん、むしろ医療訴訟原告側の患者・家族・国民の真実究明への希求と、再発防止による国民福祉の向上の実現に大きく寄与していただけるのではないかと思います。

 現在の制度の中でどう動くべきかを論じることは確かに大切でしょうが、それだけでは現行制度の限界自体にあまりにも無自覚。無批判になり、現状追認に堕していってしまうように思います。

投稿: rijin | 2007/01/18 09:49

>オダさん
産婦人科だけじゃないことは、もちろん認識しております。
産婦人科はあくまで、そのなり手が急速に減少している事の一例です。

確か、今の弁護士会でも公益に奉仕せず、私益のみを追求する者には
金銭負担を求めているはずです。
医師についても同様にまずは相応の金銭負担を求め、これでも解決されない場合には、法で強制し、それに従わない場合は医師の資格を剥奪といった
方法をとることが予想されます。

>Med lawさん

スポーツクラブの場合と違い、医療契約は「患者の生命、身体」という法益を
契約内容とするため、契約自由の原則が制限されているのです。

これを重視すると、
もしかしたら損害賠償の予定を定めて軽減する特約を締結することすらも許されないと考えるべきなのかもしれません。

投稿: 東馬 | 2007/01/18 10:40

モトケンさんのところに書いたのですが、書き込めていないようなのです。
和解に関してはこちらでも触れられていますのでこちらに考えを述べてみます
藤山判事のトピック2という部分です。

>藤山裁判官は、そのような和解を「レベルの高い解決」つまり「より望ましい解決」と考えています。

これは誤読されているのだと思います。
町村教授が何度も強調されているこの場合のレベルとは

『藤山裁判官が言うレベルの高い解決というのは、医療事故訴訟で、事実関係が十分明らかにならずに、よく分からないという理由で原告敗訴というのではなく、両当事者とも手持ちの資料を十分に開示して、可能な限り事実関係が明らかになった上での解決という意味です。』
このように
その場合に和解が最上の選択肢とまで藤山判事が述べているようには思えません。
あくまで高いレベルというものが目指すべき前提としてありそこから和解という手段を選ぶことが更に高いレベルかどうかは何ら言及していないと考えるのが自然です。

私なりに敷衍しますと、以下のようになります。

藤山判事は医療過誤訴訟においては、(行政訴訟も含めてかも知れません)原告の真の目的である真実発見を訴訟という場においてなるべく真実に近い事実を明らかにした上で、最終的に満足度の高い裁判を含めた訴訟指揮を司法はするべきである。
そのためには、現在のような証拠の偏在により被告側が情報を全てオープンにせず出し渋るのは上記目的を達することが出来ないから是正されるべきである。

それから、
藤山判事が過失が認められない場合でも100ではない場合に和解の解決を目指すことがあるというのは、被告側が情報の提供に協力しないために、結局その高いレベルに到達していないから過失が認定し得ない場合というふうに限定的に解釈することもできるのではないでしょうか。
このような場合は実質的には過失を認めうる場合として被告敗訴判決に等しい
ものと解するのかもしれません。(一種の文書提出命令に応じない場合の不利益に似ていますね。)
もっとも、被告にかかる義務を裁判所が一方的に課すことが許されるかは
一概にどっちといえません。。。
訴訟の当事者としてなるべく自己に関する情報を積極的に
さらけ出そうとしないで原告の請求を棄却してもらいたいと思うのが通常であり
そのように考える被告の利益は、医療過誤訴訟でひとり例外と解すべき理由は特にないからです

なお、
個人的には和解は自由裁量を裁判所に認めたものではなく、
他の訴訟指揮と同様いわゆる手続的裁量一般に存在する規律に服するものと
考えます。モトケンさんが言われるような和解の勧試の事実的効果に
鑑みるとなおさらです。
和解の濫用を防ぐためには、少なくとも原告の請求権が立つと言う意味で、一部認容が出来る場合以外には、
和解という手段は原則許されないのではないかというのが現在の立場です。
例外というのは上記の藤山判事の立場に立ったときに、和解以前に
訴訟が原告側が出来る限りの立証をしたのに被告側の不協力により高いレベルに達しなかったとき
及び、
被告側が自発的に和解を申し出たときに限定されるべきかと考えます。

投稿: 東馬 | 2007/01/18 10:49

 「被告の行為に全く問題なしとはしないが、かといって軽過失あると評価する程ではない場合」とか「過失の有無を判断するのに重要な事実が密室でのこと故に真偽不明の場合」なども解決金による和解を推し進める状況にあたりそうな気がします。

投稿: 小倉秀夫 | 2007/01/18 11:52

素朴な疑問なのですが,法的に検査・治療の是非を問う事に法曹界の方々はどうお考えなのでしょうか?
検査にしても治療にしても法律でどれをどう行うかは定めていない事が殆どだと思われますが(結核予防法等検査内容まで規定したものはあるものの,『「風邪」にこの薬出すべし』などの規定は無い筈ですが),鑑定人(で良かったでしょうか?)の意見を聞きつつその是非を判断する事が十分可能との判断なのでしょうか?

町村様他お詳しい方々,御教授頂ければ幸いです.

投稿: 田舎者 | 2007/01/18 12:58

よく「真実を明らかに」との大義名分の下に民事訴訟が
起こされているようですが、おかしくありませんか?

民事裁判って
 「原告の不利益・不満を(裁判所が穏当と判断する)ゼニカネに換算」
するだけのプロセスではないのですか?
(法律の素人ですので、誤解あるやもしれませんが)

「真実を~」というなら、病理解剖もしないのはヘンですよね。

投稿: ななしさん | 2007/01/18 13:58

小倉秀夫さんへ
>裁判は、必然的に敗者を生み出すものであるが故に、判断者の中立性に対する信頼を確保するということがどうしても重視されます。そのような信頼をないがしろにした裁判制度が、ほんとうに国民全体のニーズに応えたものであるとは、私には思えなかったりします

ドイツやスウェーデンといった欧州の多くの国では、医師会が主体となって医事紛争を解決する仕組みが整えられています。これらの国で医師会の中立性への信頼がないとは考えられません。つまり、医師主体での紛争解決装置は十分に稼動しうると思います。

 信頼性の欠如は、いい加減な取材で、医師たたき記事をセンセーショナルに報じるマスコミによる所が大きいと思います。国民全体のニーズといわれますが、それの形成に大いに寄与したのはマスコミです。マスコミからの情報が、現実から遊離し歪曲された内容だとしたら、そこから導きだされる世論は自ずとデタラメなものにならざるを得ません。
 
 インターネットの普及で、これまで杜撰な記事でも通っていたのが、主に医療系のブログ(モトケンさんの所や新小児科医のつぶやきなど)で、そのいい加減さ・不当さを次々に明らかにされています。医療界を震撼させた福島の事件や奈良県大淀病院の事件にしても、マスコミの第一報は、関係した医師を非道な悪人として断じていました。しかし、情報を収集した医師達のその後の検討で、これらの医師は、限られた医療リソースで全力を尽くし、その判断、処置も妥当なことであったことが明らかになっています。

 マスコミも地方紙では医療の現状をかなり把握した論調が出てきましたが、まだまだ不十分です。少しずつでも情報発信をと思っていますが、現在の医療崩壊のペースを考えると、暗澹たる思いに駆られます。

投稿: 岡山の内科医 | 2007/01/18 14:11

 日本では、現時点で、医療過誤紛争の白黒を中立的に処理できる存在として医師会は一般に信頼されているとはいえないのに、「まず医師会を信頼せよ」といわれても、同意されることはないでしょうし、現段階で、法曹三者が「医療過誤訴訟は我々法曹の手には余るので、弁護士に相談を持ちかけないでくれ、裁判所に持ち込まないでくれ」と宣言したり、実際に門前払いすることはあり得ないでしょう(そんなことをしたら、法曹は、一部の医療関係者以外の信頼を失います。)。
 医師会としては、医療過誤訴訟が提起された事案はほぼ把握できるのでしょうから、まず、医療過誤訴訟が提起された事案について、裁判手続と並行して、自主的に問題の有無を審査し、報告書を作成することは可能ですし、その報告書を当事者が証拠として法廷に提出することを認めることだって可能です。そして、その報告書の中立性及び品質が次第に信頼を勝ち得ていけば、その審査会が事実上の「第一審」的な機能をもたらすことだってあり得なくはありません。
 しかし、現段階で日本医師会は、中立性に対する信頼を勝ち得る努力をしているようには見えません。

投稿: 小倉秀夫 | 2007/01/18 14:33

『ユダヤ人をなんだと思ってやがる? ユダヤ人には目がないか? 手がないか? 五臓六腑(ごぞうろっぷ)が、四肢五体が、感覚、感情、情熱がないとでも言うのか? 』(ウイリアム・シェークスピア「ベニスの商人」第3幕第1場」)

 小倉秀夫さん、こんにちは。

 御主張はあまりにも片務的かつ苛酷で、近代民主主義国家に於ける裁判制度の公正のあるべき姿を意識したものとは思えません。被告たる医療専門職と雖も、原告と同様に法の保護の下にある良民であるという点についての御理解が伺えません。…それとも、これは自分の誤読でしょうか。

 また、勝訴した原告(被告ではなく)の不満という裁判制度の国民からの信認に対する深刻な危機についての明確な疑問を提出させていただいているにも拘わらず、現状追認に終始しているようにしか受け取れません。

 できない理由の説明はもうけっこうというのが、真実究明を求める医療訴訟原告の気持ちなのです。

 御主張の背景につき、ご説明を頂戴できれば幸いです。

投稿: rijin | 2007/01/18 16:52

こんにちは。
外科系医師でぱんたともうします。よろしくお願いいたします。

小倉先生へ
>過失の有無に争いがあり、かつ裁判所としては過失ありとの心証を抱>いていない場合でも、被告が一定の金銭を和解金として支払うことで>和解を推し進めることは、医療過誤に限らず結構ある(ex.製造物責>任等)のですが、そういうことって裁判所は回避すべきなのかといわ>れると、被告側代理人に付くことが多い私でさえ、躊躇してしまいま>す。
企業相手にとる方法を個人相手に提案されても困ります。
裁判に伴う時間や金銭的な負担は個人にとっては非常に重いです。

>しかし、現段階で日本医師会は、中立性に対する信頼を勝ち得る努力>をしているようには見えません。
岡山の内科医さんは
>医師主体での紛争解決装置は十分に稼動しうると思います。
ということを主張されているだけであって、日本医師会が中心となってそのようなことをしろ、なんて一言もおっしゃっていません。
だいたい日本医師会は「開業医の利益を代表する団体」であって
勤務医の多くも日本医師会のことは信頼していません。
私自身も日本医師会の会員ではないし、入会の予定もありません。

投稿: ぱんた | 2007/01/18 16:59

東馬さん | 2007/01/18 10:40

>今の弁護士会でも公益に奉仕せず、私益のみを追求する者には
金銭負担を求めているはずです。
医師についても同様にまずは相応の金銭負担を求め、これでも解決されない場合には、法で強制し、それに従わない場合は医師の資格を剥奪といった方法をとることが予想されます。

えーと、すいません。
医師という専門職で「公益に奉仕せず、私益のみを追求する者」とはどうような場合を想定されておられるのでしょうか?
ちょっと想像がつかなかったものですから。

また、医療者が相応の金銭負担しても、それでも足りないと思われる分を更に税金で負担しても、お金だけでは今の産科の状況を改善するには不十分です。
新しく施行される事になった無過失保証制度が上手く機能しても、産科の崩壊を防ぐのに間に合うのか疑問視されておりますし。

となると法的に強制ということですが、これは誰に強制する事を想定されていますか?
産科は高齢化が進んでおり、新規のなり手が極端に減ってきています。
強制させる産科医自体がいなければ、どうしようもありません。
それとも医師免許を持っている人全てを対象と考えておられるのでしょうか。
確かに医師免許があれば産科を名乗る事は可能ですが、いきなり産科を名乗らされてもその能力はありません。
産科技能を持ってない人に産科医療を強制しても役にたたないだけで、問題の解決になりません。

投稿: オダ | 2007/01/18 17:33

小倉様へ
>現段階で、法曹三者が「医療過誤訴訟は我々法曹の手には余るので、弁護士に相談を持ちかけないでくれ、裁判所に持ち込まないでくれ」と宣言したり、実際に門前払いすることはあり得ないでしょう(そんなことをしたら、法曹は、一部の医療関係者以外の信頼を失います。)。

検察の裏金づくりを告発した検事がマスコミにでる前に
逮捕されるようでは法曹はその信頼をとっくに失っている。
http://news.goo.ne.jp/article/sankei/nation/trial/e20070115000.html

投稿: 腹話術師 | 2007/01/18 17:58

 デジタルフォレンジック研究会では、法律家・技術者・会計士・経営者・医療関係者が問題点を多角的に論じ合って、お互いの偏見や先入観を解消する努力をしたように、医療業界と法曹界も、真摯に腹蔵なくあるべき最適解を模索されるとよいと思います。
 某法曹のように相手の意見をよく読まずに一方的にステレオタイプで批判するのは論外としても、たとえ善意の危機感からの切実な訴えであっても、単に自分の立場から他方を批判するだけでは、相手が身構えてしまって意外と切実な問題点は他方に伝わらないものだからです。
 みなさまの真摯な腹蔵のない議論に期待します。

投稿: ハスカップ | 2007/01/18 21:09

オダさん


>医師という専門職で「公益に奉仕せず、私益のみを追求する者」とはどうような場合を想定されておられるのでしょうか?

俗に言う金持ち医療を主に行う者です。
この前誘拐された明治学院の大学生の親のような方を意図しています。
カリスマ美容医師と呼ばれていた人です。

それと
悪徳弁護士に対応するような概念をイメージしていただければ。

ただこのような方は受任の自由が著しく制限されている医師の中では
特異であるとしたらあまり、実効性がないですね。

>お金だけでは今の産科の状況を改善するには不十分です。
>となると法的に強制ということですが、これは誰に強制する事を想定されていますか?

おっしゃるように医療は高度に専門化されていますから
その技術がない者にしろといわれてもできないでしょう。
法は不可能を要求せずですし。
短期的には、元産婦人科医だった者
長期的には、大学課程において産婦人科の即戦力となるような専門知識を
身につけることを義務付け、その課程を修了していることを医師国家試験の
必須要件とする形を考えていました。
そして
中期的には、
医師免許更新制度導入を前提にし、産婦人科のスキルを身につけることを更新要件
とするといったことが法により定めることは理論的には可能だと思います。


以上は産婦人科を前提としていますが、小児科や他の現在なり手がいない
専門分野を含めてその中から一つを選ばせるといった柔軟な運用も可能です。
そして、
単なるスペシャリストではなく、複数の高度な知識を専門とするマルチスペシャリストといったものを作ることが求められるでしょう。


ただ、問題なのはこのように法で強制するとなると、現実的には医師のなり手自体がいなくなりはしないか、医師のブレインドレインを誘発しないかといった
問題点が生じてくることです。

そうなると、看護師の例に漏れず医師の場合も外国から輸入してくることになるんでしょうね。
 有効なインセンティブ措置があればいいんですが。

今回のトピックの様々なコメントを読んでいく中で、法曹会と医療界では医療過誤
に対してかなりの温度差があると認識しました。
医療界にとって医療過誤訴訟の現状がかなりの負のファクターとなっているとしたら
これを改めることの必要性をもっと広く認識してもらう必要がありますね。

ただ、それと並行して医療過誤訴訟の現状においては、証拠が極端に偏在していることからくるレベルの低い解決は当事者双方にとってマイナスであることも
認識されなければ成りません。

医療過誤訴訟は裁判迅速化が最も遅れている類型の一つだったと認識しておりますが、被告鑑定をとらない理由はこの類型であることも意識しておく必要があります。
すなわち、鑑定は時間のかかるものであり、被告が負けると言った心証を
裁判所が抱いた以上、更に鑑定を採用することは原告の早期に解決する利益を
犠牲にするものでありますからなるべく避けようという意識が働くのでしょう。
 その意識を変えさせるためには、証拠の偏在から来る原告の圧倒的不利といった
図式を是正し対等な当事者関係へと導くことにより可能なのかも知れません。

投稿: 東馬 | 2007/01/19 00:32

>スポーツクラブの場合と違い、医療契約は「患者の生命、身体」という法益を契約内容とするため、契約自由の原則が制限されているのです。

論点がずらされています

医療行為は、準委任契約であり、最善の結果を約束することはできず、医療行為の過程を善管注義務に従うことが、要請されているのみのはずです。医療行為の中には、Try&Errorが必然的に含まれており、全くErrorが含有されない医療行為はないといってよい。

全くErrorを惹起する行為を行わず、常に最善の結果を要求することができる期待権など、原始的不能契約です。
そのような権利を要求すること自体が、権利濫用に相当しませんか?

結果的に軽過失に相当する医療行為(これも次の診断・治療のため必須)をあげつらって、過失であり賠償請求の対象になるというのであれば原始的不能契約を一方的に、医療側が結ばされていることになる

これは医療の公益性を考えたとしても、過度の医師の人権制限でしょう

帰責事由がないのに和解を勧めるなどという藤山流和解推奨手法も、到底理解不能です。
原告の弁護士費用を払わせるためだけの和解など、濫訴を助長している悪習にも見えます

>もしかしたら損害賠償の予定を定めて軽減する特約を締結することすらも許されないと考えるべきなのかもしれません。

そういえる根拠(条例、判例)はありますか?
強行規定がなければ、90条に反しない限り契約自由と思われますが、如何でしょう

正当業務行為であることは刑法上の責の阻却自由であるにしても、民訴上は顧慮される様子が伺えなくなってきて、軽視されているのは如何なものでしょう?

患者を目の前にしても倫理観で支えるのは困難な状況ですよ


>「過失の有無を判断するのに重要な事実が密室でのこと故に真偽不明の場合」

も過大に理解可能性を要求していませんか?
特に救急医療の場合、現場であっても、事後であっても事実が分からない事態などいくらでもありますし、後から解明することが原理的に不能であることもザラです。
PL法のような法理を医療行為に持ち込まれても、明示する、しないに関わらず、医師は医療契約を結ぶことに躊躇することになるでしょう。

片方の訴えの法益の確保が他の法益を侵害するという利益衡量で、余りにも安易に患者(主に原告側)に偏っている
原告の請求の証明責任が果たせなければ、請求却下は当然の原則ではないのか?

投稿: Med_Law | 2007/01/19 00:50

 ここには医療系ブログでは知られる論客の方々が発言されており、非常に読み応えがありました。よろしくお願い申し上げます。
 しかし医療側と法曹側の認識の違いはこれほどかと思うほどの驚きでこのブログを見ています。というより法曹界の方がこんな見方、考え方であり、今まで判決が下されていた(であろう)ことに怒りを禁じ得ません。
 医師として、常に「正しい」医療を目指すのは法曹界の方に言われなくても、すべての医師が望むところです。しかし結果的に不幸な転帰をたどったりすることはよくあることなのです。では「正しい」医療でなければすべて「誤った」医療なのでしょうか?「白いものでなければすべて黒」的な考えで医学を断じるべきではないと考えます。その時の医療を100点満点でないからといって、それが和解でもしょうがないというのでは話にもなりません。藤山裁判長の言われている「レベルの高い」のは判決のレベルが高いのではなく、「自分の下した判決への自己満足のレベルが高い」ようにしかみえません。法曹界の方は満足されるかもしれませんが、医療側は医療を続けていくことはできません。確実に崩壊します。
 また「患者に選択を任せて医師の立場での最良の診療方針を示すことを怠る」とのことですが、これも患者の立場、家族の状況、また患者の年齢、疾患の状態で状況は大きく変わります。最良の治療方針ってなんでしょう?もしそれがあるのなら学会に代わって裁判所が治療方針や説明方法を決定すべきでしょう。。医師はそれに従っていれば訴えられることがないわけですから(前にどなたか書いていましたが、それがJBMといわれるものです)。それにもしひとつの治療を提示して施行しても、あとで何かあったときは裁判所は「他の治療法の可能性を提示しなかった」という判決が下るのではないでしょうか?裁判所のその曖昧さは「100点満点」の判決といえるのでしょうか?
 治療の選択肢を提示してそれについて説明し、選択していただくということはみなさんやっておられます。それが「十分」であるかどうか絶対に確認する必要があるのなら、説明後に患者、家族に「試験」を受けていただくしかありません。「100点満点」でなければ治療不可ということになりますが。
 

投稿: ガブリエル | 2007/01/19 01:03

東馬さん

>医師免許更新制度導入を前提にし、産婦人科のスキルを身につけるこ
>とを更新要件
>とするといったことが法により定めることは理論的には可能だと思い
>ます。


>以上は産婦人科を前提としていますが、小児科や他の現在なり手がい
>ない
>専門分野を含めてその中から一つを選ばせるといった柔軟な運用も可
>能です。
>そして、
>単なるスペシャリストではなく、複数の高度な知識を専門とするマル
>チスペシャリストといったものを作ることが求められるでしょう。

法的には可能、ですか。
現実には全くもって不可能です。
診療能力というのは、ちょこちょこっと講習会に出席したり診療に立ち会ったり、ただ単に本を読めば付く能力ではありません。最低でも何年もその診療に「のみ」携わり、やっと付く能力です。
(診療に携わるというのは、その診療科に従事し、毎日毎日その診療科の患者さんを自分ひとりでみて、自分ひとりで切羽詰って悩むということです。その過程で活字を読んだり、他人に意見を聞くこともありますが、自分が主体になって悩むということが非常に大事だと思います)

そして身につけた後も、日々継続して使用しないとすぐ廃れてしまいます。国民の皆さんの要求するレベルの診療能力はすぐ維持できなくなります。

例えば、「内科認定医」は4-5年間、循環器専門医は6年間診療に従事すること、というのが認定の最低条件です。ですから、腰掛程度の診療で診療能力が身に付くと思ったら大間違いです。
(ちなみに、内科認定医というのは「最低限の内科の診療能力を持っている」、という証です)

それがうまくいっていない端的な例が今回の臨床研修制度だと思います。数ヶ月単位で各科を「見学」していますが、そんなものでは診療能力が付かないことはベテランの医師のほとんどは開始前より認識していましたし、実際にそうなっています。
(ごく一部の医療機関では、以前より良い研修医を輩出しているとの事ですがそれでも国民の期待する診療レベルには全く達していません。)

今回の福島県大野事件では、分娩一万件に付き1件の非常にまれな状態の患者の診療をして死亡した際に、「経験が無い医師が診療をしたのはけしからん」と言って司法は不当逮捕しましたが、そういう逮捕がアリ、だとしたら、御自身の仰る様な産科の研修は何年すればいいのでしょうか。(もしかして、医師免許を持った人間はみな産科になるべきとお考えではないと思いますが。)

さらに、人間の特性として、卒業して数年間は新しい技能を身につけるのに非常に大事な時間です。そこで半端なことをすると、まともな医師は育成できません。

***

それから、産婦人科診療の最大の問題点は男性医師の診療を女性患者が拒むことにあります。感情的に。私が学生のときは産婦人科の診療の見学「さえ」出来ませんでした。

(確かに見知らぬ複数の男性に向かって下半身をあらわにする行為は女性にとっては屈辱的でしょう)

果たして「腰掛程度の技能を身につけようとしている医師」に女性患者が診療をさせるかはなはだ疑問です。現実には、「権利意識の肥大した国民」により医師の教育にも暗い影を落としているのです。

投稿: 暇人28号 | 2007/01/19 01:21

東馬さん

某便所の落書きからのコピペですが・・・


たとえば「眼科になるのに産科を10年しないといけない」規則ができた場合
1.産科は十年してベテランになったところで産科医辞めちゃう
2.眼科は三十代後半で一から眼科になった医師しか居なくなる
3.元から産科志望も延々と「十年経ったら辞めちゃう医師」に教え続けなきゃいけない
眼科医志望も産科医志望も眼科の患者も産科の患者も誰一人として幸せになれない

投稿: とおりすがり | 2007/01/19 02:10

『故意または重過失によらなければ、医療者、病院はその責を負わない』という医療契約の特約を設定するということに対して、

>もしかしたら損害賠償の予定を定めて軽減する特約を締結することすらも許されないと考えるべきなのかもしれません。

との反論がありましたが、
そういえる根拠(条文*、判例)はありますか?
強行規定がなければ、90条に反しない限り契約自由と思われますが、如何でしょう

*)条例⇒条文に修正しました

投稿: Med_Law | 2007/01/19 02:33

 遺族側と医師側とがともに「裁判官なんぞに裁かれたくない、医師としての経験を有するものに裁いてほしい」と思っているのであれば、両当事者間で、個別に仲裁合意をして、仲裁により紛争を解決すればよいだけのことです。法曹の側が、職業裁判官による裁判での紛争解決を望む遺族を見捨て、医師については一種の治外法権を設定する必要性を全く感じません。
 また、故意又は故意と同視すべき著しい注意力の欠如がなかったのであれば医師に責任を取らせることは罷り成らんと言われても、これに同意できる国民は医療関係者以外にはほぼいないのではないかと思います。

投稿: 小倉秀夫 | 2007/01/19 02:33

東馬さん

突然失礼いたします。やり取りを読ませていただきました。

>長期的には、大学課程において産婦人科の即戦力となるような専門知識を
>身につけることを義務付け、その課程を修了していることを医師国家試験の
>必須要件とする形を考えていました。

どの位を「専門知識」と呼ぶか難しいところですが、すでに大学の課程にはかなりの分量で産婦人科の知識が要求されていまして、国家試験にも出題されます。医者10年目の一般外科医と卒業したばかりの学生では間違いなく後者の方が産婦人科についての知識を持っています。それを前提に、さらに「即戦力」になる位の知識を大学で身につけたとしても机上の知識だけでは現場に出れるはずがありません。本当に即戦力になるには数年の実務が必要だからです。

>中期的には、
>医師免許更新制度導入を前提にし、産婦人科のスキルを身につけることを更新要件
>とするといったことが法により定めることは理論的には可能だと思います。
>以上は産婦人科を前提としていますが、小児科や他の現在なり手がいない
>専門分野を含めてその中から一つを選ばせるといった柔軟な運用も可能です。
>単なるスペシャリストではなく、複数の高度な知識を専門とするマルチスペシャリストといったものを作ることが求められるでしょう。

現場とのギャップを感じます。
どのようにしてマルチスペシャリストを育成するのでしょうか??
私は麻酔科医ですが、暇人28号先生が内科に関して述べているように麻酔科にも認定医、専門医制度があり、取得には数年の専従を要求されます。専門医になったとしても、学会や、専門誌を通して常に最新の知識を取り入れていかなければなりません。資格を取ったら終わり、ではないのです。さほど劇的な進歩のない麻酔科ですが、それでも数年前と比べると、未だに発展していることを実感します。
最新の専門医療を実践していこうというだけでかなりの労力です。
この状況で、医師免許更新が導入され、産婦人科のスキルが義務付けられたら、いったい何の専門家が生まれるのでしょうか。
産婦人科の知識が身につけば、私の麻酔科医としての知識は失われていくでしょう。全体としてみれば、本当の専門家が消えていくと思います。
ドラマのようにどんな手術もこなすというようなマルチスペシャリストを作るのは無理なのです。
たとえば、年間に帝王切開30例、胃癌の手術30例、心臓の手術30例を経験する医師より、心臓の手術90例経験する医師のほうが必要とされていると思います。ちなみに、それぞれを年間90例ずつ行うというのは無茶です。

投稿: ダンベル | 2007/01/19 02:33

小倉秀夫 さん

>また、故意又は故意と同視すべき著しい注意力の欠如がなかったのであれば医師に責任を取らせることは罷り成らんと言われても、これに同意できる国民は医療関係者以外にはほぼいないのではないかと思います。


これは諸外国や航空業界では当たり前のような制度です。
まあ、これが出来ないというのでしたら医療は成立しないですから、現在現場から医師が立ち去っているのです。
(現場をご覧になったら分ると思いますが)。

そもそも、過失については必要な資金・人員を整備していない政府にもかなり問題があるのですが。

今のままでは現場の医師は居なくなりますよ。
no doctor , no error
はすぐそこです。

投稿: 暇人28号 | 2007/01/19 02:52

追加:
小倉秀夫 さん

「過失」の定義については医療者と非医療者との間でギャップが非常に大きいと思います。

たとえば、最近いくつかの医療機関で小児に10倍から100倍の薬を投薬し、死亡や一時入院を余儀なくされた問題がありましたが、あれに関しては私自身も「間違えたあんたたちが悪い」と思いました。
(ただ、確認のための人員を十分に配置できない日本の医療システムの問題が最大の原因ですので、本来なら国にも重大な責任があるのですが)


私たちがいっている問題はそのような事ではありません。

例えば、ある症状を訴えて診察に訪れた患者さんに対して様々な検査をして診断に結びつかせるわけですが、「その診断で100%間違えない」と言い切れる場合はほとんどありません。多くは、「多分○○だと思う。」程度です。もちろん経験・知識によって診断精度は上がりますが、「その道の権威」という人でさえ100%などとは断定できないのが現状です。

***

また、治療をする際でも敵が分かっていない状態で治療開始ですから、
「この病気の可能性が高いからまずこの治療をしてみよう」
といったレベルです。また、「この病気の場合、これをすれば確実に治る」、といったものはほとんど無く、多くの場合複数の治療法があり、事前にどちらをしたほうがより治りやすいかなども分からない場合が多いです。

また、その治療を行っても安全確実に出来るわけでもありません。たとえば中心静脈栄養という治療法場合、体の奥の血管にビニールの管(カテーテル)を挿入するのですが、本当に確実に血管にカテーテルを入れるのであれば体を切り開き血管を目で確認しその血管にカテーテルを挿入するしかありません。しかし、そんなことをしたら深い傷が出来てしまい傷が治るのにも体力を奪われ元々の病気の治癒の妨げになりますし、感染症を起こし傷口が大変な状況になるかもしれません。場合によってはその傷口の感染症で死亡するかもしれません(ちなみに、傷口の感染症を完全に抑えることはできません。よくなるかどうかは神様しか知りません。)。
となると、外から針を刺すことになります。となると目標となる血管がどこにあるのかは誰にも分からない。針先がどこにあるのかも分からない。

そんな状況で「針が変なところに刺さったのはあなたが悪い」と言われても困ります。手足を縛られて海に放り投げられている状況と一緒です。(もちろん、限度があります。「普通こんなところ刺さないだろう」というところに刺してトラブルになったら私も擁護しません)


薬一つにしたって人により薬の効果・副作用の出方は全く違います。アレルギーが出るかもしれません。「アレルギーが出たから過失だ、損害賠償だ」と言われても困ります。アレルギーは水と砂糖以外の全ての物質で起こる可能性があります。普通、「そばでアレルギーを起こしたから損害賠償だ」とそばの栽培農家や開発者に文句を言えませんよね。

投稿: 暇人28号 | 2007/01/19 03:21

東馬 さん| 2007/01/19 00:32
こちらの疑問にお答え頂きましてありがとうございます。
非医療者の医療崩壊に対してどのような対策をイメージされているのかを知りたいというのと、医療者側の気がつかなった問題点を指摘していただければと考えておりますので、議論におつき合いいただければ幸いです。

>短期的には、元産婦人科医だった者

臨床を離れてしまうとどんどん知識・技能は失われてしまいます。
再度研修をしていただかないと戦力的には厳しいでしょうが、実現可能性としては一番ありそうですね。
ただ既に高齢化が進みだしていること、新規の産科参入者が減っていることを考えると、元産婦人科医だった者の絶対数自体も足りない可能性も高いです。

>大学課程において産婦人科の即戦力となるような専門知識を
身につけることを義務付け、その課程を修了していることを医師国家試験の
必須要件とする形

医学の専門知識だけでは、産婦人科の即戦力となれません。
医療には専門知識を元に臨床能力を磨くことが必要です。
特に産科は正常分娩と思われていた症例からいきなり突発事態になることもしばしば発生するため、緊急手術の必要の有無を判断する能力・そして緊急手術を行う外科技術が必要となります。帝王切開・子宮摘出など数々の術式を身につけなければなりません。
一人前の産婦人科医を育てるのに、専門研修で10年は必要と言われています。
大学過程で即戦力となる産科手術の技能の習得、臨床能力の獲得は不可能です。

>医師免許更新制度導入を前提にし、産婦人科のスキルを身につけることを更新要件
とする

産婦人科のスキルには外科手術を行う能力が必要です。
この能力は日々、産科診療に従事することで維持できます。
他科の医師に更新要件に産婦人科のスキルを身につけることをを義務付けるのは現実的とは考えられません。


>医師の場合も外国から輸入

外国の医師の日本参入に規制の壁が現在高すぎることは認めます。
しかしその規制を緩和しても、問題の解決になるのか疑問です。
(日本で求められる産科医療と外国で求められるレベルには違いがあり、他国で産科のベテランであってもその輸入医師が日本で必要な産科スキルを持っているのか?という問題を一時棚上げしても)
継続的に日本に産科医が出稼ぎにくるとは思えないのです。
産科の生涯訴訟率が3割を超える国に、メリットを感じていただけるでしょうか?
(産科は、医療レベルが上がって周産期死亡率が減少したことで、不測の事態に対する社会の許容度がさがりかえって訴訟が多くなった不幸な科です)
まして日本の産婦人科医は労働時間が多く、現状でも週100時間以上になることがざらになっています。時間給にするとマクドナルドのバイトと同じくらいって笑うに笑えない状態。これでは報酬としても魅力的でない。
日本の実態が知られてなければ制度導入当初は来てくれるかもしれませんが、こういう情報は知れ渡るのは早いです。


外国から医師を連れてくるにしろ、国内で新たな産科志望者を増やすにしろ、ネックになるのが産科の激務と訴訟リスク。
これを解消しないことには新規の産科参入者は見込めないのではと考えます。

投稿: オダ | 2007/01/19 03:21

東馬 さん| 2007/01/19 00:32
こちらの疑問にお答え頂きましてありがとうございます。
非医療者の医療崩壊に対してどのような対策をイメージされているのかを知りたいというのと、医療者側の気がつかなった問題点を指摘していただければと考えておりますので、議論におつき合いいただければ幸いです。

>短期的には、元産婦人科医だった者

臨床を離れてしまうとどんどん知識・技能は失われてしまいます。
再度研修をしていただかないと戦力的には厳しいでしょうが、実現可能性としては一番ありそうですね。
ただ既に高齢化が進みだしていること、新規の産科参入者が減っていることを考えると、元産婦人科医だった者の絶対数自体も足りない可能性も高いです。

>大学課程において産婦人科の即戦力となるような専門知識を
身につけることを義務付け、その課程を修了していることを医師国家試験の
必須要件とする形

医学の専門知識だけでは、産婦人科の即戦力となれません。
医療には専門知識を元に臨床能力を磨くことが必要です。
特に産科は正常分娩と思われていた症例からいきなり突発事態になることもしばしば発生するため、緊急手術の必要の有無を判断する能力・そして緊急手術を行う外科技術が必要となります。帝王切開・子宮摘出など数々の術式を身につけなければなりません。
一人前の産婦人科医を育てるのに、専門研修で10年は必要と言われています。
大学過程で即戦力となる産科手術の技能の習得、臨床能力の獲得は不可能です。

>医師免許更新制度導入を前提にし、産婦人科のスキルを身につけることを更新要件
とする

産婦人科のスキルには外科手術を行う能力が必要です。
この能力は日々、産科診療に従事することで維持できます。
他科の医師に更新要件に産婦人科のスキルを身につけることをを義務付けるのは現実的とは考えられません。


>医師の場合も外国から輸入

外国の医師の日本参入に規制の壁が現在高すぎることは認めます。
しかしその規制を緩和しても、問題の解決になるのか疑問です。
(日本で求められる産科医療と外国で求められるレベルには違いがあり、他国で産科のベテランであってもその輸入医師が日本で必要な産科スキルを持っているのか?という問題を一時棚上げしても)
継続的に日本に産科医が出稼ぎにくるとは思えないのです。
産科の生涯訴訟率が3割を超える国に、メリットを感じていただけるでしょうか?
(産科は、医療レベルが上がって周産期死亡率が減少したことで、不測の事態に対する社会の許容度がさがりかえって訴訟が多くなった不幸な科です)
まして日本の産婦人科医は労働時間が多く、現状でも週100時間以上になることがざらになっています。時間給にするとマクドナルドのバイトと同じくらいって笑うに笑えない状態。これでは報酬としても魅力的でない。
日本の実態が知られてなければ制度導入当初は来てくれるかもしれませんが、こういう情報は知れ渡るのは早いです。


外国から医師を連れてくるにしろ、国内で新たな産科志望者を増やすにしろ、ネックになるのが産科の激務と訴訟リスク。
これを解消しないことには新規の産科参入者は見込めないのではと考えます。

投稿: オダ | 2007/01/19 03:22

亀レスになってしまいましたが、
>田舎者さん
>素朴な疑問なのですが,法的に検査・治療の是非を問う事に
>法曹界の方々はどうお考えなのでしょうか?
>検査にしても治療にしても法律でどれをどう行うかは定めてい
>ない事が殆どだと思われますが(結核予防法等検査内容まで
>規定したものはあるものの,『「風邪」にこの薬出すべし』
>などの規定は無い筈ですが),鑑定人(で良かったでしょう
>か?)の意見を聞きつつその是非を判断する事が十分可能と
>の判断なのでしょうか?

十分可能かどうかというより、そうせざるを得ないのです。
おっしゃるとおり診療方法が法定されているわけではないですし、そもそも法律で決めるような性質のものではないですが、過失があれば、損害賠償責任が生じることになっているし、過失の有無は当時の診療経過と医療水準に照らして「なすべきことをしなかった」または「すべきでなかったことをした」と認められるかどうかで判断されます。

これには大きな限界があって、コメントを寄せてくださる方々も繰り返し強調されていることですが、不可知な領域があることは法律の実務家の間でも広く認識されています。
・そもそも病気の一般的な性質や個々の患者の病因が診療時にも必ずしも明らかではない
・症状が明らかになっても、治療法が絶対確実ということはない
そのことを踏まえた上で、それでも「なすべきことをしなかった」または「すべきでなかったことをした」と認められるならば、過失有りと判断されます。

少なくともそれがこれまでの医療事故訴訟の判断前提で、「当時の医療水準に照らして」という言葉はそうした意味です。

個々の民事裁判で、そうはなっていない、不可能なことを要求したり当時は分からなくて当然のことを後出しじゃんけんで要求しているというご批判は、個々の事件のいくつかに関して当てはまるのかもしれません。
しかし一般論としては、今でも上記のような判断基準によっています。

エントリで「正しい医療」と書いたところで、例えばガブリエルさんには「怒りを禁じ得ない」とまで書かれてしまいましたが、不幸な転帰を辿ったからといって「正しい医療」ではないという判断をするわけではありません。

投稿: 町村 | 2007/01/19 08:34

 小倉秀夫さん、こんにちは。

→遺族側と医師側とがともに「裁判官なんぞに裁かれたくない、医師としての経験を有するものに裁いてほしい」と思っているのであれば、両当事者間で、個別に仲裁合意をして、仲裁により紛争を解決すればよいだけのことです。

 多くは情報の非対称性と密室性を理由として、あるいは原告側の信頼感の不足があるが故に現実に個別の仲裁合意手続きに進むことが難しい場合についてのみ、結局は事案が裁判所に持ち込まれているのであると考えますが、違いますでしょうか。

 また、できないことを原告側に求めるのは、今度は原告側について苛酷に過ぎるように思います。原告側の裁判にかける、縋るような思いを受け取っていただけていますか?

 裁判に至る前に多くの医療紛争が示談などの形で終息しており、その種の合意に至ることが難しいケースが裁判所に持ち込まれているのであるという点については認識していただけているのでしょうか?

→法曹の側が、職業裁判官による裁判での紛争解決を望む遺族を見捨て、医師については一種の治外法権を設定する必要性を全く感じません。

 ですから、原告は真実の究明を求めているのであって、その部分について裁判所が責任を持って処理した上での紛争処理が必要なのであって、被告の倫理や善意に期待するという無責任は許されないのではないでしょうか。

 繰り返しますが、他方から見ますと、ご発言は被告側についてのみ片務的かつ苛酷で、近代民主主義国家に於ける裁判制度の公正のあるべき姿を意識したものとは思えません。被告たる医療専門職と雖も、原告と同様に法の保護の下にある良民であるという点についての御理解が伺えません。

→また、故意又は故意と同視すべき著しい注意力の欠如がなかったのであれば医師に責任を取らせることは罷り成らんと言われても、これに同意できる国民は医療関係者以外にはほぼいないのではないかと思います。

 かつて戦後司法は、治安維持法についての深刻な反省から出発したものと思っておりましたが、そうでもないのでしょうか。立法議会や国民の臨むことのみに機械的に従うのが司法であるならば、法曹や法理の存在意義はどこにあるのでしょうか。

 平野龍一博士は御著書の中で、刑事の謙抑的であるべき事を繰り返し訴えられました。小倉さんにとっての平野刑法学の位置付けは如何になっていらっしゃいますか。

投稿: rijin | 2007/01/19 10:01

皆々様
ここに参加する資格の全く無い第三者で恐縮に存じます。HPのデザイン研究用にと医療関係の友人より紹介され、たまたま中味を覗かせていただきました。解り易い方程式が不足しているので、議論が発散しているやに見えますので、以下一言お邪魔させていただきます。
1.議論の核心は、結果が不幸となった医療に対するレベルの高い解決とは何か?です。
2.解りやすくする為、極めて簡素化すると、求める変数は二つ(X:医療側責任、Y:患者側責任)の連立1次2元方程式といったところでしょう。
3.二つの方程式が必要となります。
4.その一つは、X(責任比率0-1)+Y(責任比率0-1)=1
5.二つ目を方程式の形で表現しないで、所感や心証で議論しているので、やや同道巡りの感大です。100%の医療は不可? 帰責事由なしでも和解? 医療崩壊? 素人の裁判長が適正に裁けるか? 医師不足誘発? 防衛医療? 真実の解明? 情報公開? ・・・・云々です。
6.二つ目の方程式として、例えば以下を提案します。
「結果的に医療過誤だ、最新の技術と最新の知見を適用しなかったミスだ」云々と結果から論じるのではなく、この「結果が不幸となった医療」は、もし他の9名の医師に処方、手術されたとしたら、結果はどうだったと推測されるか?から評価すべきことです。
即ち X=1-F/10 (F:不幸の結果に繋がると予側される医師数)
これほど単純化することもありませんが、少なくも多くの医師の方がご主張されている趣旨は、F=10の場合、即ちX=0であっても、極端な裁判長がX=0でないと判決することに矛盾を感じるということかと存じます。
7.レベルの高い解決に誘導するのは、むしろ、例えば「最新技術と最新知見を適用しないのは医療側の責任」との理想論に縛られるような予見に基づくことなく、適正な二つ目の方程式を紹介し、適正な判断をする裁判長にこそ責任があるものと存じます。
8.中村博士の青色発行ダイオードに対する発明報酬として、200億円超という机上の判決を出した裁判官がいましたが、その前に常識と言う立派な法律があることを再認識すべきと存じます。
9.自分の母親死亡の時もそうでしたが、医療に疑問はあっても、総合的な観点から、宿命として受け入れる日本人はまだまだ圧倒的に多いと思います。TRY&ERRORの研修を経ずして何人もその道の達人になることはできません。その時点で最善を尽くして医療いただける限り、何の文句がありましょうや!医療関係の皆様に改めて感謝申しあげます。
10.お邪魔虫でもあり、これ以上はこのブログへの参加は控えさせていただきますので、仮にご指摘がありましても、再度登場しないご無礼も併せてご容赦賜りますよう何卒よろしくお願い致します。
全く門外漢の羽鳥敏夫拝

投稿: 羽鳥敏夫 | 2007/01/19 11:05

 「真実の究明」といっても、当時患者がどのような容態にあり、これに対して医療機関側が何をし、何をしなかったか、そしてその結果患者がどうなったかについては、医療機関側がどれだけの事実をどれだけ正確に記録に残し、審理機関に提出するかということに主によっているのであり、この点において、文系学部出身者が中心である職業裁判官による裁判が何か劣っているということはありません。「被告の倫理や善意に期待する」ことが無責任だということでしたら、医療機関側が提出する記録に含まれている情報が一定水準を満たさないときには裁判において医療機関側に敗訴のリスクのの向上を含めた不利益を課すこととする等の方法があります。医療過誤訴訟については、立証責任の分配がどうであれ、証拠が偏在していることは否めない事実ですから、そのような義務を課すことが、「被告側についてのみ片務的かつ苛酷で、近代民主主義国家に於ける裁判制度の公正のあるべき姿を意識したものとは思え」ないという程のことではありません。
 また、現行の民事実体法の規定に反して、医療機関側のミスに目をつぶり、遺族の請求を退けることが「法曹や法理の存在意義」であるとは私は思っておりませんし、矢部先生はわかりませんが、ほとんどの法曹はそうだと思います。

投稿: 小倉秀夫 | 2007/01/19 11:12

>「真実の究明」といっても、当時患者がどのような容態にあり、これ
>に対して医療機関側が何をし、何をしなかったか、そしてその結果患
>者がどうなったかについては、医療機関側がどれだけの事実をどれだ
>け正確に記録に残し、審理機関に提出するかということに主によって
>いるのであり、この点において、文系学部出身者が中心である職業裁
>判官による裁判が何か劣っているということはありません。

小倉秀夫さん,
事実が提出されていても,それを医学的に正しく判断することがあなたにはできないんですね.「劣っている」んですよ.自分たちが,医学的判断をできると錯覚されているところが最大の問題なんだと,あなたの文章をみて感じます.その結果,今の医療裁判は幼稚園児なみの結論を大の大人に大まじめに押し付ける結果になっているんですね.

あなたの文章を読んでいると,「私は誰よりも偉くて間違いなどないのだ」と言っているように感じます.もう少し,目を見開いて真実を謙虚に見つめる態度が必要ではないですか?

医療はプロスペクティブにその時の状況を見ながら判断して行なうもので,あくまで確率論的なものです.その意味では後からレトロスペクティブにみて「ミスがなかった」ということはあり得ないのです.
必ずtryしてerrorをチェックし方向修正する,ということを繰り返すのが医療なんです.「ミスを見逃すことはできない」という表現そのものが医療に対しては根本的に間違っています.
あとからデータを揃えて,「ここか間違っていたじゃないか」というのを我々は「後出しジャンケン」と呼んでいます.あなたには医学的な「プロスペクティブな考え方」ができない(理解できない)のでしょうね.残念ながら...

医師がいなくなり医療を受けたい時に受けられるなくなった時に,初めて自分の考え方が間違っていたことがお解りになるのでしょう.その時は「時既に遅し」です.くれぐれも病気にならないようにお気を付け下さい.医療崩壊はもう目の前です.すでに起こっているとも言えます.都会でも時間外に病気となった場合,すぐに診てもらえる保証などありません.イギリス型になれば,数時間以上待たされた上に様子をみるように言われるだけです.何の治療も直ぐにはしてもらえません.

投稿: Level3 | 2007/01/19 13:34

小倉秀夫さん へ
ぱんたさんから以下の投稿がありましたが、少し追加します。
>しかし、現段階で日本医師会は、中立性に対する信頼を勝ち得る努力>をしているようには見えません。
岡山の内科医さんは
>医師主体での紛争解決装置は十分に稼動しうると思います。
ということを主張されているだけであって、日本医師会が中心となってそのようなことをしろ、なんて一言もおっしゃっていません。
だいたい日本医師会は「開業医の利益を代表する団体」であって
勤務医の多くも日本医師会のことは信頼していません。
私自身も日本医師会の会員ではないし、入会の予定もありません。

 欧州の医師会と日本の医師会は名前が一緒ですが、体制も権限も大きく異なります。欧州の医師会には、基本的に医師は全員加入で、医療紛争解決に強い影響力を持つ部会を設置し、医師免許剥奪を含め、強力な権限を持ちます。これは、プロフェッショナルのギルドとして成立した歴史が強く関わっています。
 一方、日本の医師会は、医師は任意加入で、その構成員は大部分が開業医で、医療崩壊の歪みが集中している病院勤務医はごく少数です。またその権限も微々たる物で、医事紛争に関しても全く無力です。以前は絶大なものがあった政府や厚生省への影響力も見る影が無く、勤務医からの信頼もほぼ0です。私が「医師主体での紛争解決装置」としたのも、日本の医師会に欧州の医師会の役割を担わせるのは無理で、新たな紛争解決装置を必要とすると考えているからです。

>現段階で日本医師会は、中立性に対する信頼を勝ち得る努力をしているようには見えません。

 とありますが、現在医師会なりに対応策を進めています。業界外の方から認識できないのも、マスコミが報道しないからです。医療界がいくら積極的に周知しようとしても、現状ではマスコミによる報道が無ければ、一般の方に広く認識してもらうことはかなり難しいと思います。
 崩壊のpoint of no returnを越えてしまった産科ですが、10年前から危機感を抱いて度々学会が声明を出していましたが、マスコミによる報道は皆無でした。
 医療へのネガティブキャンペーンと必要な報道の欠如の2点で、マスコミは医療崩壊に積極的に関与しているのです。


投稿: 岡山の内科医 | 2007/01/19 14:30

 「医師主体での紛争解決装置」が日本医師会であるか否かは、それほど重要ではありません。
 まずは、「医師主体での紛争解決装置」による紛争の解決が、患者やその遺族の信頼を勝ちうるような中立性に対する信頼性を持ちうるものであるかは、現実に医療過誤訴訟となった案件についての「医師主体の紛争解決装置」による解決提言を積み重ねるより他にありません。「医師主体の紛争解決装置」による医療過誤紛争の解決が、訴訟による紛争解決よりも、患者・遺族にとって納得のいくものであるならば、裁判外紛争解決手段として活用されていくことになるでしょう(どの手続を利用するかのイニシアティブは原則患者・遺族側にあります。)。「医師主体の紛争解決装置」による解決提言の質が高ければ、医療過誤訴訟においても、その提言内容を参照して、審理が進められるようになる可能性だってあるでしょう。
 でも、そういう実績も積まずに、「法曹は自分の限界をまず自ら認めよ」みたいな言い方をされたって「はいそうですか。では、今後は弁護士も裁判所も医療過誤紛争は門前払い致します」なんてことをいうわけがないのです。

投稿: 小倉秀夫 | 2007/01/19 15:04

町村先生

ここであまり低次元な話はしたくないのですが、名指しで批判を受けたようですのでお目汚しご容赦願います。

小倉秀夫先生

>また、現行の民事実体法の規定に反して、医療機関側のミスに目をつぶり、遺族の請求を退けることが「法曹や法理の存在意義」であるとは私は思っておりませんし、矢部先生はわかりませんが、ほとんどの法曹はそうだと思います。

 これはどういう趣旨のコメントでしょうか?

 ここでは、私は、被告医師側の「過失」がない場合における「100点満点でない医療」を問題にしています。
 そのような問題状況の中で医療機関側の「ミス」という曖昧な表現を使って私を揶揄するかのようなコメントをされるのはどういう意図からでしょうか?

 あなたのいう「ミス」は「過失」を意味しているのですか、100点未満の医療を意味しているのですか?
 もし後者であるならば、あなたは非法律概念によって法律効果の発生の有無を判断するのですか?

 私は、法律家ととしてあまりにも当然のこととして、被告医師側に過失があり、それと因果関係を有する損害が原告に発生しているならば、原告遺族の請求を退けることが「法曹や法理の存在意義」であるとは思っておりません。

 あなたは私がそんなことを思っていると思っていたのですか?

投稿: モトケン | 2007/01/19 15:24

 あ〜、釣られていく予感が…。

投稿: rijin | 2007/01/19 15:45

 矢部先生は、矢部先生のブログの医療関係エントリーのコメントを「質が高い」と評価されているので、彼らの主張に賛同されている可能性があると考え、除外させて頂きました。

投稿: 小倉秀夫 | 2007/01/19 16:29

 小倉秀夫さん、こんにちは。

> 「真実の究明」といっても、当時患者がどのような容態にあり、これに対して医療機関側が何をし、何をしなかったか、そしてその結果患者がどうなったかについては、医療機関側がどれだけの事実をどれだけ正確に記録に残し、審理機関に提出するかということに主によっているのであり、(以下略)

 事実関係が主な争点になっている場合であれば、医療関係者も置かれた立場は同じであり、特段、専門家としての意見は生じません。これまでも隠蔽や改竄があれば、医師の中から批判が為されています。自分は個人的に、医療記録の改竄には重罰が科されるべきだと考えています。最低でも業過罪相当の5年以下の懲役が相当ではないでしょうか。

 問題なのは、行われた、あるいは行われなかった医療行為が如何評価されるかという点であり、それが、「具体的事実経過を説明」という藤山判事の表現になったのであり、「過失がない場合であっても、100点満点ではないということであれば」という町村先生(藤山判事の?)の表現となったのであると自分は理解しています。

 よって、

> 「被告の倫理や善意に期待する」ことが無責任だということでしたら、医療機関側が提出する記録に含まれている情報が一定水準を満たさないときには裁判において医療機関側に敗訴のリスクの向上を含めた不利益を課すこととする等の方法があります。

という方法論には問題があると考えます。具体的事実経過を説明することは医療記録の中ではアセスメントに相当すると考えますが、これが事後的に見れば不足し、あるいは間違っていたとしても、一定水準を満たしているかどうかの判断は専門家による評価が必要であって、やはりプリンシパルーエージェント間の情報の非対称性から逃れられないからです。

> 医療過誤訴訟については、立証責任の分配がどうであれ、証拠が偏在していることは否めない事実ですから、そのような義務を課すことが、「被告側についてのみ片務的かつ苛酷で、近代民主主義国家に於ける裁判制度の公正のあるべき姿を意識したものとは思え」ないという程のことではありません。

 刑事訴訟に於いて拳証責任が独自捜査の権限の与えられた検察側に課せられていることは言うまでもありません。

 民事訴訟においても、証拠の偏在は当然しばしば存在しますが、証明責任の転換は特殊な例に限られるとされているのではないでしょうか。

 それとも、証拠の偏在は証明責任の転換のために常に充分な理由となるとお考えなのでしょうか。…正直申し上げて、法曹の間でも一般的見解とは言えないのではないかと思うのですが、如何でしょう。


> また、現行の民事実体法の規定に反して、医療機関側のミスに目をつぶり、遺族の請求を退けることが「法曹や法理の存在意義」であるとは私は思っておりませんし、…。

 自分は終始一貫して、原告のために司法は何をできるのか、その信認を失うことが司法に危機をもたらすのではないか、既に勝訴した原告の絶望という形で司法の危機は存在しはじめているのではないか、それを解消していくべき努力はあるのか、ということを議論しているつもりでおります。

投稿: rijin | 2007/01/19 16:42

小倉秀夫さん

>でも、そういう実績も積まずに、「法曹は自分の限界をまず自ら認めよ」みたいな言い方をされたって「はいそうですか。では、今後は弁護士も裁判所も医療過誤紛争は門前払い致します」なんてことをいうわけがないのです。

 法律家と医者の方々が真摯な議論を重ねているところへ、こういう当て擦りとも嫌味皮肉ともとれるような発言をするのは、大局的見地から節度をもって慎まれることを希望します。そもそも議論の流れから大外れの論害のような気がします。

投稿: 一般傍聴人 | 2007/01/19 16:43

町村先生

 総括的なコメントを書いてみましたが、長文になりましたので「町村先生へ (医療崩壊問題に関して)」というエントリのトラックバックの形を取らせていただきました。

 言わずもがななことを書いた恐れなきにしもあらずと思っておりますが、ご一読いただければ幸いです。

投稿: モトケン | 2007/01/19 17:09

> そのことを踏まえた上で、それでも「なすべきことをしなかった」
> または「すべきでなかったことをした」と認められるならば、
> 過失有りと判断されます。
町村様のこのコメントは医療をわかっていない方からすれば当然すぎるほど当然のコメントと思われます。
が、実際の医療現場では十分な指導医がいるとは限りませんし、地方では最新の知識が手にはいるとは限りません。そもそも特に地方においては医師が忙しすぎるためにミスを犯しやすく、おまけに急変時には興奮し、なかなか100%正しい緊急対応を取れないものです。
もちろん、それでも過失があれば医師だけでなく、その背景にある政治的責任や病院の対応なども考慮し、ささやかな民事的責任を負わせるのは仕方がないと考えます(但し、あまりにも高額な賠償は反対です)。しかし、刑事的責任とするのは今後の医療を考えたり、必要な証言を得るためには課するべきではないし、少なくとも日本以外の先進国では当たり前のことで、しかも成果があります。
それと、どこまでが「なすべきこと」でどこまでが「なさないべきこと」なのか定義づけることがそもそも困難です。教科書はあくまでも教科書です。実際の臨床は複合的要因が絡み合い、「なすべきこと」をするのをためらったり「成さないべきこと」をせざるを得ないこともあります。そもそも「なすべきこと」は何らかの患者の不利益との引き替えのこともあります(例えば大野病院における子宮温存と子宮摘出)。
だから一緒くたに「なすべきこと」あるいは「なさないべきこと」をもって責任問題を追求するのは私は間違っていると思います。
医師の方にも反論はあるでしょうが、私なりに考えた刑事的責任のあり方は次のように考えますが、コンセンサスは一般には得られないでしょう。
民事的責任についてはプロスペクティブに見た場合の過失の有無ですが、もちろん医師だけでなく、責任配分に応じて国や自治体、病院に課するべきで、個人に押しつけない(人として当たり前と言えば当たり前ですが、現実にはまかり通っています)ことが肝要でしょう。

1.緊急でもないにもかかわらず投薬量を間違えた
2.緊急でもないのに左右を取り違えた
3.故意の殺人
4.緊急でもないのに研修医(あるいは大部分の医師)でも間違えないようなミスをした

もちろん、それを監督した国や大学、病院、上司の責任もあると考えますが、刑事は個人のみを裁くので実態にそぐわないというのが私の見解です。
医療における判断ミスはレトロスペクティブにしか解明できません。民事的責任も負わせるかどうかは微妙だと私自身は思います。

投稿: yama | 2007/01/19 17:30

 日本の弁護士さんは弁護の過失やミスで敗訴しても責任を問われることがほとんどないですよね。それは訴えるクライアントがいないからですし、想像ですがクライアントには高度過ぎてミスや過失があるのかどうか分からないからですし、なによりも、法執行機関が弁護過誤で捜査して(証拠保全して)起訴することは、それが犯罪化されてないので法律上あり得ないですから(刑事記録の取り寄せができない)。
 しかし、弁護士が過剰になれば、米国のように弁護過誤専門弁護士の出現を見るようになり、弁護士が弁護過誤で次々と訴えられるような日がそこまで来ているのかも知れません。
 これと医療過誤をパラレルに比較すると問題点の背景が見えるかも知れません。

投稿: 傍観者 | 2007/01/19 18:14

小倉秀夫さん。

実名である小倉さんが、あなたが批判している「何かを積極的に伝えようとするのではなく、むしろ何かを積極的に伝えようとしている他人の発言の揚げ足を取ったり、そういう他人に不快感を与えようとする発言に終始している方々」(Annex de BENLI「確かに、実名を用いてもメリットがない」発言
http://benli.typepad.com/annex_jp/2006/07/post_2.html)
のような発言を繰り返していると皆に思われてしまってら、あなたに匿名批判の根拠が成立しなくなって皆にあきれられてしまうような気がします。

>一日も早く、実名を用いることがメリットになるような有意義な発言ができるように、人生を見つめ直してもらいたいものです。

しみじみ同感です。

投稿: オダ | 2007/01/19 18:38

『過失がない場合であっても、100点満点ではないということであれば賠償責任が発生する』とする委任契約と、請負契約との相違点を簡潔に述べよ


医療訴訟で、過失を重過失、軽過失に敢えて分けずに、重過失と同列に全てを扱う必要性と許容性、実現性について簡潔に述べよ


弁護契約も準委任契約と云われるが、求める賠償請求額に満たない結論が出た場合、要求額に満たない部分に対する賠償をする責を負うか?
医療契約との相違についても述べよ
責を負うとした場合に、妥当な着手料について述べよ


医療行為は須らく身体に働きかけるものであるから傷害行為とみなすことも可能であるが、正当業務行為とするための違法性阻却事由を述べよ。


『正当業務としての医療行為において、故意または重過失に因らなければ賠償の責を負わない』という立法がなされた場合の、現行法との対立点について述べよ。違憲とするならその根拠を述べよ

????だらけ


投稿: Med_Law | 2007/01/19 19:50

はじめまして。
皆様のご議論、大変興味深く拝見させていただきました。普段はROM専門なのですが、ここは医療訴訟を担当される弁護士さまが多く覗かれているかと思い、身勝手ながらちょっとしたご提案を差し上げたいと思いましてコメントさせて頂きます。
医療の世界には症例報告というものがあります。学会や学術雑誌などで、自らが経験した症例の概要を報告するものです。わざわざ報告するのですから当然その多くは教科書どおりにいかなかったものになります。例えば「診断に難渋した○○の一例」などといったタイトルで、内容は「○月○日△△を訴え救急外来受診、××処方されて一旦帰宅するも、その後症状悪化し○月□日入院となる」ですとか「入院後○○を疑い検査、治療を行なうも症状悪化の一途を辿る、改めて追加検査を行なったところ××の診断に至った。」或いは「治療の甲斐なく○月○日死亡、病理解剖にて当初予想もしなかった××の所見を得た。」などといったものです。
これらの報告は医療従事者が自らの経験・反省を多くの方と共有することにより、医療全体の質を向上させようという崇高な目的でなされているものですが、現在の司法水準では、訴訟に持ち込みさえすればこれらの多くは過失と認定され、高額の賠償金を勝ち取ることが可能です。弁護士さまの目にはまさに宝の山の様に映るに違いありません。
しかもこれらの報告は署名入りですので、担当した医師や医療機関は直ちに特定できます。既に診療内容は公表されていますから、カルテの開示を渋る医療機関側と面倒な交渉も必要ありません。多くの医療従事者はお人善しであり、悪意に対して呆れるほど無防備です。「先生が××学会雑誌の○月号に投稿された論文に興味を持ちお問い合わせさせていただきました」と電話一本すれば、症例の詳細な情報も簡単に引き出せるでしょう、言葉巧みに騙せば患者の氏名や住所の特定もそう困難ではないと思います。
なお、試しにGoogleで「診断困難 一例」で検索したところ265,000件のヒットがありました。

今後も皆様の更なるご活躍により、ひとりでも多くの医療事故被害者が救済され、またひとりでも多くの悪徳医師が追放されることを心より願っております。

医療崩壊を楽しむもと臨床医より

投稿: 通りすがり | 2007/01/19 21:56

初めまして、研修医をやっているものです。

医療職以外の方々にわかってほしいのは、
なにより「医者はあなた方と同じ人間である」ということです。
そして待遇について求めていることも「医者を特別扱いしなさい」ではなく
「他の公共サービス業(消防など)と同じ扱いをしなさい」です。


消防を例に挙げさせてもらいます。
同じ「火事」でも、その時々によって対処は大きく異なります。
その現場で最善はなにか、なんとか火を消すために試行錯誤し活動してあると思います。
それでもどうしようもない場合もあるでしょう。
また、あとから振り返れば、もっといい方法があった、という100点ではなかった現場もあるでしょう。

それを刑事罰にすることがあるでしょうか?
現場の消防隊員に罰金を課したりするでしょうか?
過失はないけど、100点じゃないから和解金払えよ、なんて言うことが正当化されるでしょうか?

医療だって同じはずです。

今の医療の現場は飛行機が突っ込んだ後、崩落を始めている世界貿易センターのようなものです。
二次災害が起こるのがわかっているから、医者は近づかないのです。
それを「突入して死んで来い、それが仕事だろうが!」と平気な顔して言う方がなんとも多く、あきれてしまいます。
あのテロと違うのは、その崩落の原因であるテロリストを憎むのではなく
危険とわかっていながら、救命のため突入した先陣の方々を
まるで「お前ら消防士が駄目だからビルはつぶれ、人が大勢死んだ」と、
犠牲になった英雄に石を投げ、唾を吐きかける人々だらけ、というところでしょうか。


わかりにくい例え話でしかも長文、申し訳ありません。

投稿: 剖検ジャー | 2007/01/19 23:26

> 医療崩壊を楽しむもと臨床医より

…そいつぁー、きっとー、みなさんお困りになることでしょうね〜。

投稿: rijin | 2007/01/19 23:33

町村先生、解説ありがとうございます。

>・そもそも病気の一般的な性質や個々の患者の病因が診療時にも必ずしも明らかではない
・症状が明らかになっても、治療法が絶対確実ということはない
そのことを踏まえた上で、それでも「なすべきことをしなかった」または「すべきでなかったことをした」と認められるならば、過失有りと判断されます。

裁判官のみなさまが上記のような判断を心がけている事については、自分はあまり疑っておりません。

しかし、裁判官のみなさまは、「病気の一般的な性質や個々の患者の病因が診療時にも必ずしも明らかではない」ことを頭で理解していても、感覚として理解してないのではないのかなと思えます。

判決文の形式をみてみましょう。
自分が見た限り、死亡の原因について裁判所の判断が下され、それから過失の認定が行なわれていきます。
有名な岡山IVH事件での判決文を参考に出してみましょう。
「本件の経過を見るに、被告病院における5月30日午後4時以降の亡Aの諸症状は、上記3(1)のとおり、カテーテル感染症に起因するものであると認められる。そして、上記1(5)エのとおり、6月1日午後零時ころ、38度7分の発熱が見られ、心拍数が110程度に上昇しており、同日午後8時までには尿量の低下が見られ、血圧も85/50に低下し、午後9時には不整脈が生じ、深大呼吸等が見られており、上記2(4)ア及びイで述べたところからすると、同日には亡Aは敗血症、の兆候を示していたといえる。」

このように医療関係訴訟の判決文は病名を確定(この判例ではカテーテル感染からの敗血症)してから過誤の有無を論じていきます。
被告病院担当医師の義務違反との因果関係も、このカテーテル感染からの敗血症を防ぐ観点で行なわれています。

ここでちょっと待ってくださいと医師は言いたいのです。
「個々の患者の病因が診療時にも必ずしも明らかではない」のだから、病名を先に設定してしまうのはおかしいのではありませんか。
「個々の患者の病因が診療時にも必ずしも明らかではない」のであれば、
・症状経過よりどういう事が患者に起こっている事が疑われるのか
・疑われる病態それぞれの場合での治療や検査のメリット/デメリットの比較
その上で「なすべきことをしなかった」または「すべきでなかったことをした」と認めて、過失有りと判断している判決文になっていければ、「病気の一般的な性質や個々の患者の病因が診療時にも必ずしも明らかではない」ことを踏まえての。

>個々の民事裁判で、そうはなっていない、不可能なことを要求したり当時は分からなくて当然のことを後出しじゃんけんで要求しているというご批判は、個々の事件のいくつかに関して当てはまるのかもしれません。
しかし一般論としては、今でも上記のような判断基準によっています。

全ての医療関係訴訟の判決文が、このような形式で理論展開をしているのであれば、「一般論としての判断基準にもとづいた判決」になる事はありないと自分には思えるのです。

ここでちょっと疑問なんですが、
・判決文の記述の仕方についてのフォーマットみたいなものがあるのでしょうか?
・もしそういうものがあるのなら、医療関係訴訟に対してのどのようなフォーマットが適しているのかという研究はあり得るのでしょうか?

投稿: オダ | 2007/01/20 01:38

その上で「なすべきことをしなかった」または「すべきでなかったことをした」と認めて、過失有りと判断している判決文になっていければ、「病気の一般的な性質や個々の患者の病因が診療時にも必ずしも明らかではない」ことを踏まえての。

『踏まえての』の後の部分が欠けていました。
以下のように補足です。

「病気の一般的な性質や個々の患者の病因が診療時にも必ずしも明らかではない」ことを踏まえての判決になりえないと考えます。

投稿: オダ | 2007/01/20 01:43

拝復、町村様

小生の拙文にご返信頂き、誠にありがとうございます。
間にかなりの議論が挟まれています事ならびにモトケン様ならびに他の方々の卓見が載せられております為、多くは語る必要はありませんが、一点のみ。

>>それでも「なすべきことをしなかった」または「すべきでなかった
>>ことをした」と認められるならば、過失有りと判断されます。

この部分について、法曹界の方々が「すべきこと」「すべきでなかったこと」を正確に判断し得るのかというのが疑問として残ります。
オダ様がお書きの通り、医療現場では「すべきこと」「すべきでなかったこと」が未知の段階で治療を行い、結果として「すべきこと」であったのが分かるというケースが往々にして見られます。
その時点で未知であったものが、後の裁判で「当時の医療水準に照らして既知であったに違いない」と判断された際、医師側も同意出来る内容なら寧ろ医師側からも当該医師を非難する声があがりますが、同意出来ない場合もある事からこれだけの議論になっているかと思われます。

今後も活発な議論が繰り広げられるかと思われます為、素人の私などがしゃしゃり出ると却って混乱の元になると思われますため、言いっぱなしで申し訳ありませんが,ROMに戻らせて頂きます。
繰り返しになりますが、ご返答頂き、誠にありがとうございました。

投稿: 田舎者 | 2007/01/20 03:49

田舎者さん、
そのようにご謙遜されなくとも、ご指摘の点、また「法曹界の方々が「すべきこと」「すべきでなかったこと」を正確に判断し得るのかというのが疑問」というのは問題の核心の一つだと思います。
というか、はっきり言って「正確に判断しうる」とはいえないでしょう。そもそも「正確」にできるというためには物差しと測る対象物とが明確になっていなければならないのに、そのいずれも明確でなく、その上使うべき「物差し」を教育も訓練もされていない裁判官が判断するのですから。

それで、最近の改革は、鑑定人の選任方法を改善したり、集団的鑑定を試みたり、鑑定人に失礼な対応をとらないように手続を工夫したり、裁判官の横に専門委員という医療専門家を配置してその意見を聴取できるようにしたり、要するに専門的知見を裁判に取り入れる諸工夫を試みています。
でもそれで十分だと考えているわけではありません。

そして、裁判は純粋に科学的見地でのみ事実判断をするというよりは、規範的な判断も混じってきます。
損失の公平な分担という視点(何が公平かをめぐって一悶着必至ですけど)や、担当医師にとってはやむを得ないことでも当時の一般的な医療水準からして過失と評価するとか、あるいは救急現場のケースでよく見られるように、受け入れ態勢自体の不備を過失に評価するとか、そのあたりで法的過失評価と現場の感覚とが強く齟齬するのでしょう。他にもまだまだありますが。

で、こういった認識は法曹の方でも、裁判官はもちろん、患者側弁護士も、共通してもっていると思います。

投稿: 町村 | 2007/01/20 07:01

オダさん、こんにちは。
ご指摘の点は判決文の書き方自体よりも、判断過程の問題ですよね。

で、病名を確定した後、過失評価や因果関係の認定に進むのは、診療当時にわかり得なかったことを分かっていたものとして評価することになるのではないか、というご指摘に読みましたが、間違っているでしょうか?

そうだとすると、ご指摘の以下の点
・症状経過よりどういう事が患者に起こっている事が疑われるのか
・疑われる病態それぞれの場合での治療や検査のメリット/デメリットの比較
は、過失といえるのかどうかというところで評価すべきことになるのでしょう。

判決において、まずは病名や症状を事後的に確定したといっても、それを当時から分かっていたものとして診療経過を評価するのであれば、全くの後出しじゃんけんという批判が当てはまります。
しかし判決でまず病名確定をしても、過失評価のところでは、当時の認識可能性を事実認定でくみ取ります。法律家はこれを「予見可能性」とか「結果回避可能性」とかいいます。

判断過程としてはそのような様式になりますので、結果的に誤診だったり、確定診断に至らない段階でなされた措置が結果的に有害だったとしても、それだけで賠償が認められるというほど、患者側弁護士の仕事は簡単ではありません。

なお、判決文のフォーマット自体はありますが、上記のような判断過程に踏み込んだ研究としては、医療事故訴訟ではないように思います。契約紛争などは様式化されたマニュアルに近いものがありますけど、医療事故のような複雑多岐なものは無理ですので。

投稿: 町村 | 2007/01/20 07:19

町村先生:

>しかし判決でまず病名確定をしても、過失評価のところでは、当時の認識可能性を事実認定でくみ取ります。法律家はこれを「予見可能性」とか「結果回避可能性」とかいいます。

<略>

>それだけで賠償が認められるというほど、患者側弁護士の仕事は簡単ではありません。


ですが現実としてこの状況で賠償が認められることもあるようですが。特に今回お名前が出てきた裁判長に当たると。
「予見可能性がなかったとは言い切れない」なんて言って。

先日も書きましたように、医学には100%断定できることなんてありえない。いい面でも悪い面でも。

鑑定人も恐らく医学的な考え方から「言い切れない」などと鑑定結果を出すのですが、その「医学的考え方」を揚げ足取られて上記のような判決が出ているのではないでしょうか。


(言い換えれば、

>それだけで賠償が認められるというほど、患者側弁護士の仕事は簡単ではありません。

とおっしゃっているくらいですから、町村先生のような専門家でも異常だと感じる判決ですよね。恐らく他の多くの専門家も同じように感じているはずですが、なぜそんな多くの専門家が異常と感じる判決が時に出てしまうのでしょうか。)

投稿: 暇人28号 | 2007/01/20 08:26

>それだけで賠償が認められるというほど、患者側弁護士の仕事は簡単ではありません。

医師側だって、弁護士、裁判官の仕事が大変ではないといっているわけではないのです。
ただ藤山裁判長の判決文や、町村先生のコメントをみると、法曹界の方は医療を簡単だと思っているのではないかと考えたくなります。100点満点の医療などという言葉は、もし医療というものがある程度わかっていれば出てくる言葉ではありませんよ。
もしこれからも結果論だけの判決が多くなれば、医師側も法曹関係者に同じ感情を抱くでしょう。前にも書きましたが、ぜひ裁判所が100点満点の臨床基準、治療、患者説明のマニュアルを作製していただきたい。われわれはそれに従いますし、そしてそれが出るまで医療は停止したほうがよいのかもしれません。

投稿: ガブリエル | 2007/01/20 08:58

ずいぶんと議論されているようなので…。

まず、これまでの流れをぶった切るようで申し訳ないですが、実際の訴訟では、そんなに安易に過失は認められていないと思われます。

多くの訴訟で、過失が認められるのは、そんなに難しいものではなく、他の医者からも「おかしい」と言われるような場合がほとんどです。文献などの資料も無しに勝訴が認められるようなことは無いというのが私の感じるところです。

実際の訴訟では、争っていると言っても、患者側をもった場合で、あり得ない不合理な主張を繰り返している医師に閉口したり、他方で、医師側をもって空想のような主張をする患者に閉口したりすることが多いです。

私自身は、医療過誤を何件か手がけていますが、患者側として訴えを提起する際には、必ず、カルテ等を確保して、関連書籍を見て、協力してくれる医師の意見を聞いて、勝訴の見込みがあるものだけを受任しております。弁護士もそれなりに努力をしていることはご理解ください。

ただ、患者の熱意等から依頼者を押さえ切れずにいうままの主張をしている弁護士がいることは事実です。これから、法曹が増えて、生活のために、筋の悪い訴訟を受任する弁護士が増えることは、ほぼ確実だと思われます。特に、この手の専門訴訟は影響が顕著ではないでしょうか。

今は、箱庭の法曹に対して、外部から前向きの批判が必要なときではないでしょうか。よろしくご指導いただければ幸いです。

投稿: Toshimitsu Dan | 2007/01/20 14:19

町村先生、丁寧なコメントありがとうございます。

>ご指摘の点は判決文の書き方自体よりも、判断過程の問題ですよね。

なかなか相互理解が難しさを感じます。
人間の思考は言語によって規制されるため、判断過程が正しくなされていくためには書き方は大事です。

>判決でまず病名確定をしても、過失評価のところでは、当時の認識可能性を事実認定でくみ取ります。法律家はこれを「予見可能性」とか「結果回避可能性」とかいいます。


・特定の病気の「予見可能性」「結果回避可能性」を論じる事
・病状変化をきたした患者の今後についての「予見可能性」「結果回避可能性」を論じる事
この二つはまったく別物です。
医療は当然後者の思考方法で行なわれています。
判決文でまず病名を確定してから「予見可能性」「結果回避性」を考える形式であると、この二つを混同した論理展開になってしまいやすいように自分には思われます。
そのため「結果的に誤診だったり、確定診断に至らない段階でなされた措置が結果的に有害だったとしても、それだけで賠償が認められたりする」ように医師に判決文が読めてしまう。
逆に医師が経過をみると「それは誤診じゃない」とか「ちょっとその判断はおかしいんじゃない」などの医療過誤にみえるものも、同様に病名にとらわれた「予見可能性」「結果回避性」から賠償が棄却しているように判決文が読めてしまうのです。
病名ありきで「予見可能性」「結果回避可能性」を論じた判断にならないようにするためにも、「確定している病名」と「変化している病状より仮診断しかできない病名」の区別をはっきりさせるような判決文の書き方をした方がいいと考えます。

病名を確定して上で、その病名の「予見可能性」とか「結果回避可能性」を論じられるというのは、医療の不確実性を法曹は誤解していると自分には思われます。

真実を明らかにし再発防止につながる事が「レベルの高い解決」となるのなら、正しい判断をくだす必要がある。人間の思考は言語に規制されるのだから、判断を誤らせるような判決文の書き方の問題を改善しないといけない。
だから判決文の書き方の問題ととらえた訳です。

投稿: オダ | 2007/01/20 15:26

岡山の内科医さんへ

>ドイツやスウェーデンといった欧州の多くの国では、医師会が主体となって医事紛争を解決する仕組みが整えられています。

「鑑定委員会」「調停所」(http://www.hi-ho.ne.jp/okajimamic/m412/m421/m421.htm)のことを仰っているのでしょうか。
「鑑定委員会」の場合、「委員長には裁判官資格を有する者がなり、若干名の医師の委員が加わる(苦情の対象となった専門領域の医師を必ず含む)」ものの、「裁判官資格を有する者が委員会の中で、中心的役割を果たす」とされており、かつ、「裁判所の判決と異なり、鑑定委員会と調停所の決定には拘束力がな」く、「当事者の一方が承知しないと、裁判に進む可能性がある」とのことです。「鑑定委員会が医師会の中に作られたとき、医師に有利な判定がなされるのではないかと心配されたが、委員たちが中立の立場を守り、公平な判断を下してきたので、現在は患者も医師も鑑定委員会を信頼し満足している」とのことで、中立性に対する信頼は、まず実績作りをすることから始める必要があります(日本医師会も調査委員会を設置し、裁判外紛争解決を図る仕組みを設けているようですが(http://210.128.252.171/jp/data/publication/issue/0433.pdf)、あまり利用されているという感じはしません(ADRのことは、町村先生のご専門ですね。)。

あるいは「医師職業裁判所」のことをいっているのだとすれば、これは弁護士会の懲戒委員会のようなものであって、医療過誤訴訟の代替となるものではなさそうです(なお、刑事裁判の代替にもなっていないようで、ドイツでは、「 医療過誤に関連する刑事告訴は、毎年2,500件近くなされている。そのうち90%は公訴保留となるが、1%は立件され公訴されている。」とのことです(http://www.sj-ri.co.jp/issue/quarterly/q21_2.html)。

投稿: 小倉秀夫 | 2007/01/20 18:56

小倉秀夫さん へ

 ドイツについては、各州医師会の鑑定委員会を念頭においての書き込みでした。
 鑑定委員会に持ち込まれた医療過誤の訴えのうち、10.5%が裁判所に訴えられていますね。その訴訟において、判決の90%が鑑定委員会の判定に沿った結論となっている、つまり、鑑定委員会の判定と違う結論になったのは、大ざっぱに言って、0.1×0.1=1%ということですね。
 
>鑑定委員会が医師会の中に作られたとき、医師に有利な判定がなされるのではないかと心配されたが、委員たちが中立の立場を守り、公平な判断を下してきたので、現在は患者も医師も鑑定委員会を信頼し満足している
 裁判外紛争解決でも裁判でも、この信頼性の確立が是非とも必要であることには大いに賛同します。医学的に非常識な患者側敗訴や医療者側敗訴の判例が多く認められる現状の医療裁判において、裁判所は多くの医師の信頼を失っていると思います。信頼崩壊の結果、医療供給側に惹起されてきたのは医療崩壊であり、現在急速に進行してきています。

 「欧州」とひとくくりにして、スウェーデンの制度をドイツと同じように紹介しましたことをお詫び申し上げます。スウェーデンでは国の機関である、社会保険庁が医療事故を処理しています。
http://www.reference.co.jp/imori/info/info6_8.html

 スウェーデン医療の実情は、福祉国家と言われる割にpoorと認識しています。
http://sword.txt-nifty.com/library/2006/05/_2__8e4c.html
医療レベルの出発点が上記の状態であるとしたら、医療事故として報告に上がるのは、日本で考えられない位低レベルなものだと思います。

投稿: 岡山の内科医 | 2007/01/20 23:01

 小倉秀夫さんへ

 お考えの根本に於いては、証拠の偏在は証明責任の転換のために常に充分な理由となるか否かという点が問題となるかと思います。

 法理上、あるいは実務上、普段からどのようにお考えになっていらっしゃるのか、是非ともお答えを頂戴したいと思います。

投稿: rijin | 2007/01/20 23:38

 小倉秀夫さんへ

 また、裁判制度が原告側のニーズに対して十二分に応えているのか否かについても如何お考えなのか、こちらについても是非ともお答えを頂戴したいと思います。

 最近の例では、医療訴訟関係者の間で悲しみを持って語られることが多い事例として、勝訴にこそ至らないものの、術後合併症に対して2000万円の和解を裁判所から提示された患者ご自身である原告が、被告側病院の玄関前で焼身自殺されたというようなことも起こり始めています。

 年間新訴1000件の中でのたかだか一件とお考えなのかも知れません。また、被告たる医療機関側のコミュニケーションに於いて問題があったからこそ、裁判に至った点もおそらく間違いないことと思います。

 しかし、いわば原告は、医療と訴訟という国家の二つの制度のいずれからも期待を裏切られて、死を選ばざるを得なかったということではないでしょうか。

 このような事例を放置することは、ゆっくりとではあっても確実に直接に司法に対する国民の信認を毀損していくものであり、その立場を問わず、法曹たる者、お考えの所があるかと思います。

 是非、お答えを頂戴したいと思います。

 お願い申し上げます。

投稿: rijin | 2007/01/20 23:50

 もともとドイツが鑑定委員会を設けた趣旨が、職業裁判官の判断が医師たちのお眼鏡に適わないからではなく、医療過誤訴訟の事件数が多すぎて裁判所が事件数圧力に晒されていたからと言う点にあるので、鑑定委員会の判断と裁判所の判断との間に大きな差がないのはある意味当然のことだと言えます。逆にいうと、鑑定委員会で「医師に責任無し」とされた事件の多くが司法の場では「医師に責任あり」とされたりしたら、一般には、裁判所の医療過誤訴訟処理能力ではなく、鑑定委員会の中立性が疑われることになると思います。
 また、ドイツの鑑定委員会における認容率と、日本の医療過誤訴訟における認容率に大きな差がないということも注目されます。もちろん、日独の医療技術の差や患者側の責任追及意欲に差がある可能性があるので一概には言えませんが、日本の医療過誤訴訟が医師に不当に厳しいものではないということを伺わせるものではあります。

投稿: 小倉秀夫 | 2007/01/21 00:05

>日本の医療過誤訴訟が医師に不当に厳しいものではないということ
>を伺わせるものではあります。

小倉秀夫さん,
我々が問題視しているのは「医師に不当に厳しい」ということではなく,「その判断理由が第3者的にみて不適切である」ということです.
結果的に「これは勝って当然のものが負けたり」反対に「これは負けるだろうというもが勝ったり」という状態であることです.このような状況では裁判の結果はサイコロの目と変わらないわけで,医師がまっとうに仕事をしていてもどのように判断されるか皆目検討がつかないことになっているのです.そして「藤山裁判」のように「どうしてこのような判断ができるのだろうか?」というような,ほとんどの医師に理解不能の論理がまかり通ったりしているところに恐怖を感じているのです.

我々の仕事量は年々増えるばかりです.「労働基準法を遵守したら救急医療は成り立たない」と厚労省の大臣は解っているのに目を瞑っています.このような状況下で,裁判に時間を取られればまともに仕事がこなせるわけもありません.さらに,「非がなくても賠償しろ」というような判決が出されうる裁判にはうんざりです.こうして病院の勤務医はどんどんいなくなっています.産科だけの問題ではありません.特に指導者的立場のベテラン医師がどんどん開業して,残されたのは引退間近の医師と若手です.
もちろん「不当な裁判」だけが医療崩壊の原因ではありません.昨年4月のマイナス査定のために多くの公立病院では赤字が膨れています.医師の逃散によりさらに利益が目減りし,また残された医師の仕事量もさらに膨れています.これらの負の連鎖により,ひとつの引き金で一気に崩壊するでしょう.
少なくとも現在の医療裁判が「医療崩壊」の大きな原因になり,一般人に大きな不利益をもたらそうとしていることは動かし難い事実であることを認識して頂きたいと思います.

投稿: Level3 | 2007/01/21 00:47

>日本の医療過誤訴訟における認容率に大きな差がないということも注目されます。

個別具体的な中身を見ないで、統計処理をするのは如何なものでしょう

藤山判決のように、高裁でひっくり返されることが続けば、法的安定性が保てないでしょう

個別具体的な判決で、納得いくものであれば、認容率の問題ではなくなるはずです。
医療訴訟の認容率約4割というのを逆にいうと、訴訟に持ち込まれた約6割が言い掛かりに近い訴訟だということです
低い認容率が時に問題になっていますが、和解を入れたら、とんでもなく医療側が譲歩させられている印象が強くあります。

藤山判決でも、請求却下がたくさんあることも知っていますが、”もうっちょっと積極的に請求すれば慰謝料を容認するところであるが・・・”などの蛇足+”交通事故より期待を裏切った責任は重い”などと判決理由を付けられたら、バカじゃないかと、司法の信頼を損ねても当然でしょう

和解が多いのも、気になるところですが、藤山に巻き込まれる位なら、現実的に手を打たないとと思うことは、元検さんの意見と同一ですが、感情は別です。
不当提訴の弁護士費用を賄うための和解など、心情的には許せるものではないというのが、日常、患者のために献身的に働いている医師の本音でしょう

投稿: Med_Law | 2007/01/21 00:49

小倉秀夫さん へ
>ドイツの鑑定委員会における認容率と、日本の医療過誤訴訟における認容率に大きな差がないということも注目されます。

 とありますが、これは、ドイツの鑑定委員会での判定が、日本と同様に、不適当な患者側勝利例と不適当な医療側勝利例を含んでいるからと解釈すべきでしょうか。それとも、不適当な判定例がなく、結果として日本と同じ比率であったと考えるべきでしょうか。ドイツの現状を理想的なものと仮定したら、後者ですが・・・

投稿: 岡山の内科医 | 2007/01/21 00:52

 「何をすべきであったのか」というのがあくまで規範的な判断である以上、原告の主張が結果的に受け入れられなかったからと言って、「言いがかり」とはいえないでしょう。

投稿: 小倉秀夫 | 2007/01/21 02:52

>「何をすべきであったのか」というのがあくまで規範的な判断であ
>る以上、原告の主張が結果的に受け入れられなかったからと言って、
>「言いがかり」とはいえないでしょう。

これは多分に,「自分の親族の死が受け入れられない」ところから,その理由を医師側に求め,結果として「実際には医学的に考えられないような論理を組み立てて,医療側に非を求めようとする態度」の結果であると思われます.下記の例をご覧下さい.

>千葉県の鋸南町国民健康保険鋸南病院で2005年1月、肺炎で入院して
>いた同町の男性患者=当時(87)=に輸血をした際、血液型を取り
>違えるミスがあったことが16日、分かった。患者は約半月後に死亡
>し、遺族が昨年12月、町に約2600万円の損害賠償を求め千葉地裁木更
>津支部に提訴した。

確かに異型輸血ですが,情報ではB型の患者さんにO型の血液が輸血されたとなっています.この輸血は医学的になんら問題が生じません.ましてや死因となることはないのです.一般的に高齢者の肺炎はそれ自体が致死的です.おそらくはこの患者さんのnatural courseであると思われます.このような提訴は「言いがかり的」と言われても仕方がないと思われますし,そもそも「肺炎の高齢者」に対する損害賠償が約2600万円という高額になる理由も不明です.

投稿: Level3 | 2007/01/21 09:46

 大昔ならばともかく、最近の日本の医療過誤訴訟では、訴え提起前に医師に意見を求めるのが通常です。医師の目から見ても当該医師の措置には問題があるとされる可能性があり得るからこそ提訴がなされたということです。中には弁護士を付けずに訴えるとか、弁護士が事前に医師に相談しなかった(相談に応じてもらえなかった)という例があるかもしれませんが、それが全体の約3分の2を占めると言うことはありません。

投稿: 小倉秀夫 | 2007/01/21 10:17

この手の医療訴訟で、提訴だけでマスコミ報道が煽動的になされるのはどうにかならないものだろうか?

あるある大事典の捏造も含めて、マスコミのレベルの低さは、全く目に余る

原告の訴えが事実かどうかは、検証して初めて分かること
知識も検証もなく、原告の訴状を事実と誤認している節がある。

投稿: Med_Law | 2007/01/21 10:34

Med_Law さん。

マスコミに不満がある点は同意します。
しかし、マスコミの中でレベルの低い記事が目立つことも同感ですが、全部まとめてレベルが低いというのはどうかと自分は考えます。

自分がマスコミで問題だと思う事のひとつに、記者クラブで発表された情報を裏も取らずに流す記者が多い事です。
福島の大野病院の事件報道も、当初は検察の情報を鵜呑みにして検証しないままの垂れ流しでした。
社会の木鐸を自称するのなら、権力のチェックのためにも情報の検証をきちんとするべきです。
それでも、医療側の門反発を受けておかしい事に気づいて、事件の背景に踏み込んでの記事を書くように記者には100点ではないにしても、われわれ医療者もそれなりの評価をしてもいいのではと思います。
そんな「医療過誤とは言えないのではなかったのでは」という流れになっても、最後まで事件を「医療ミス」と報道をつづけていた所は、レベルが低すぎると非難されても仕方がないと思いますよ。

投稿: オダ | 2007/01/21 15:48

すいません、上記コメントの誤字の訂正。
門反発→猛反発

投稿: オダ | 2007/01/21 15:50

 小倉秀夫さん、こんにちは。

…自分からの二つのギモンについてもお答えいただければ幸いです。

 さて、

>  大昔ならばともかく、最近の日本の医療過誤訴訟では、訴え提起前に医師に意見を求めるのが通常です。医師の目から見ても当該医師の措置には問題があるとされる可能性があり得るからこそ提訴がなされたということです。中には弁護士を付けずに訴えるとか、弁護士が事前に医師に相談しなかった(相談に応じてもらえなかった)という例があるかもしれませんが、それが全体の約3分の2を占めると言うことはありません。

ということですが、なかなかいい着眼でいらっしゃるように思います。

 警察や検察は、捜査の途中でやはり医師の意見を聞きます。以前はたまたま警察に意見を聞かれた医師がエキセントリックな考え方をなさる方だということで、看護師や医師に対して言いがかりとしか思えないような論を持ち込むものかと思っておりましたが、最近、情報の収集が進むにつれ、必ずしもそうではないということに気づかされました。

 非常に問題のある公訴例としてあげられることの多い事例のいくつかで、少なくとも10人近い医師や研究者に問い合わせが為され、ほとんど全員が筋悪であると評価される中で、唯一、警察・検察の主張に沿った意見書があったことを根拠に、他の否定的な意見書の存在を隠して公訴に至っている例があるのです。

 これは検察側の心証に沿わない証拠が裁判所に提出されないというありふれた話に過ぎないわけです。

 さて、民事の場合、原告側は受任弁護士の選定に非常に苦労され、また、弁護団は私的鑑定に当たる医師を捜し出すことに多大なエネルギーを費やすことを強いられます。

 以前であればそもそも医療訴訟を扱う弁護士が少なかったことと、医療専門職の庇い合いの二つが原因であるといわれていました。

 しかし、医療訴訟の新訴が年間1000例ともなれば、既に多くの法律事務所が医療訴訟を扱った経験を持つようになっています。前者は理由にならないでしょう。弁護士も様々な経験と能力を持ちますから、ある弁護士が筋悪と考えても、他の弁護士は必ずしもそうではありません。選択の幅が増えれば、本来、受任に苦労するということが生じること自体おかしな話です。

 まして、多くの弁護士が「現行の民事実体法の規定に反して、医療機関側のミスに目をつぶり、遺族の請求を退けることが「法曹や法理の存在意義」であるとは私は思っておりませんし」とお考えであるとすれば、速やか且つ円滑に受任が為されることでしょう。

 また、後者の問題ですが、警察・検察の例を裏返せば、単なる庇い合いで片付けるのではなく、もう少し深い分析が必要なのではないでしょうか。

 一般的に言って、専門家が原告側から鑑定を求められたとき、通常、鑑定を引き受けておいて原告側に不利な鑑定書を書くということはありません。そもそも鑑定を引き受けないでしょう。万一そういう鑑定書が出された場合、原告側代理人が裁判所に証拠採用を求めるということはおそらくありません。

 医療訴訟においても、原告の主張に有利な鑑定書を書いてくれる鑑定人を探すことが難しいのです。

 これを医療専門職の非倫理的な庇い合いであると断定して良いものでしょうか。

 事案の勝訴見込みについての弁護士の判断がいろいろであるのと同じように、医療専門職の医療行為に対する評価も人によって大きな幅が生じます。原告の主張を支持する医師による私的鑑定書があるにも拘わらず、認容率がなかなか上がらない原因として、むしろこういうメカニズムが考えられないでしょうか。

投稿: rijin | 2007/01/21 16:42

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