news:テストの基準作り
日本テスト学会には、日弁連法務研究財団の法科大学院統一適性試験の関係でもつながりが若干あるところだ。
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コメント
第三者評価「対策」(笑)にも使えそうですね。
投稿: h | 2006/06/18 14:06
高校の社会人講師でしゃべってますが、「社会は不公平だよ」
「自分が幾ら勉強しても、もっと出来るヤツが来れば抜かれる」
なんて話をしてます。
テストの公平というのが、今の面白くない、余裕のない、若者を作りだした。
と感じています。
真剣に「公平な設問にする必要はない」
という観点から独自の試験を実施する方法を模索するべきだと思うのです。
投稿: 酔うぞ | 2006/06/18 16:53
それはとても哲学的な問題提起なので、考えてみたいところです。
しかし、
「自分が幾ら勉強しても、もっと出来るヤツが来れば抜かれる」
というのは公平な証拠では?
投稿: 町村 | 2006/06/18 17:23
いや~実は、複数(わたしだけでも20校以上)の高校を見ていると、仕組みが見えてましてね。
白浜では毎回哲太郎先生が座長の文教BOFに出席しているので、そこで聞いてみたら「常識です」みたいに言われたのが、「成績の良い学校の先生は仕事をしない」だったのです。
それで「じゃあ成績とは何か?」というと「短時間に繰り返してトレーニングした生徒の成績がよい」で結局は成績はトレーニングの反映だと。
そうなると「公平な試験」とはトレーニングの程度を見ることにより一層寄ることになるでしょう。
今日本では「創造性が必要」とか言っているわけですよ。
トレーニングを減らしてでもユニーク仲居とを評価するといった方向に誘導するべき時期だと思うのですね。
実際問題として「現在の中央省庁には本当の意味で優秀な人がいる」ことは良く承知していますが、それが今のまま続くのか?となると大いに疑問という気がします。
今医学部に入学する生徒が理科の生物をやっていない、化学に入学する生徒は数3をやっていない。
なんてことが問題になっています。
確かに受験生としては勉強する範囲を減らしたいというの分かりますが、例えば大学がそれに媚びたらいかんでしょう。
わたしは「試験の公平」が受験生に媚びる、という方向になるのは今までの経緯からも、少子化で受験生が減少することからも非常に強い圧力として「公平」の意味がひん曲がるだろう、と思うのです。
投稿: 酔うぞ | 2006/06/18 21:09