blog:無邪気なジャーナリズム
酔うぞの遠めがねで紹介されていたが、荒川静香の日の丸ウィニングランシーンを放映しなかったことに関して、ブログ界が大騒ぎとなったことをとらえ、理不尽な未成熟さと指摘する記事がある。
花岡信昭氏「これでいいのか? ブログ世界の理不尽な未成熟さ---ブログ社会の熱気を身をもって体験した筆者」
その元となった花岡氏のブログ(当該記事)も参照。
詳しくは上記記事を参照すればよいが、この方の結論はいささか無邪気というべきではなかろうか?
「(利用者が数千万人にのぼるブログ)の実態たるや、きわめて陰湿、低次元でお粗末きわまりない。匿名で罵詈雑言、誹謗中傷を浴びせあう世界となっているのである。」
ふむふむ、なるほど。しかしその罵詈雑言の中に、質の高い議論が展開されていることは、この方に見えていないはずはないと思うのだが。
雑音を消して質の高い議論ばかりが展開される「メディア」となれば「成熟した」と認めてもらえて、ブログジャーナリズムが成立したと言われるのかもしれない。しかし、そこに至る道は果たしてあるのか?
リアル社会のジャーナリズムは、それではそんなに立派なものか? 記憶に新しいところでは、わざわざニセメールを作って幼い国会議員を陥れた「ジャーナリスト」は、ブロガーだったか?(ブロガーならもう少しましなニセメールを作ったろうにと思うが、それは余計な感想) メディアスクラムと呼ばれる現象は、解消したか? 異常な環境にあえて挑んだ結果、精神を病んでしまったあるお嫁さんについて、心ない報道をし放題しているのはブログか?
もちろんリアル社会のジャーナリズムが駄目駄目な例をいくら挙げたところで、「匿名で罵詈雑言、誹謗中傷を浴びせあう世界」が正当化されるものではない。しかし、「ブログ界」なるものが花岡氏の言うような特殊未成熟な存在だという認識は全くの間違いで、リアル社会と同じレベルの人間が構成しているという当たり前の事実を思い出してもらいたいのである。
おそらくは、リアル社会に対してより率直で、より遠慮のない言論が飛び交うということはいえるだろう。それには良い作用も悪い作用もある。良くも悪くも増幅することは確かだ。
悪しき未成熟さを淘汰するのにはどうすればよいか? リテラシーを高める教育の必要はある。犯罪行為は取り締まる必要がある。トレーサビリティを高めるとか、民事責任追及を容易にすることも一定程度必要だ。
しかし結局最後は、社会全体のレベルに依るのである。
ただし、罵詈雑言・誹謗中傷の浴びせあいを認めるつもりはさらさらない。これを書いておかないと、たちどころに揚げ足取りにやってくる人もいるのがネットであるから、くどいし窮屈だがやむを得ない。
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コメント
トラックバックありがとうございます。
いただいたコメントも取りようによっては手厳しいものでした(^_^;)
無邪気といっても影響力あると思っているからやり合ったのでしょうね、一般的には暴走という範疇ですな。
なんと言っても「世界観が分からない」が一番の問題じゃないかな?
投稿: 酔うぞ | 2006/04/05 20:08
というか、こういった状況を呼ぶ原因は実は本人が明らかにしていると思うのですがわからないものなんですかね。
>「(利用者が数千万人にのぼるブログ)の実態たるや、きわめて陰湿、低次元でお粗末きわまりない。匿名で罵詈雑言、誹謗中傷を浴びせあう世界となっているのである。」
雑音の、その発生比率は同じでも母集団が多ければ、大量の雑音となるという。
そして人間の処理能力には限度があるわけで、一定レベル以上の数があれば最早すべては把握できない。
結果印象深いほう、あるいは声が大きいほうが残るという。
町村さんおっしゃるところのこの部分。
>おそらくは、リアル社会に対してより率直で、より遠慮のない言論が飛び交うということはいえるだろう。それには良い作用も悪い作用もある。良くも悪くも増幅することは確かだ。
ここで荒らしはスルールべきであるという最早お馴染みの慣習は、そもそもアクションがあったら普通は反応を返すだろうという当たり前の行動を基にしているわけですが、気に入らないからといって煽り返していてはそりゃ燃え上がるんでしょうね(笑)
ウェブ上で展開している議論に影響を与えるには、それこそくだらない反論が出来ないようなきちんとしたものを提示してしまえばそれでよい、というかそれが重要なのだと思います。
それでも理不尽に他所様で騒ぐような人間まで排除しようとする方もお見えのようですが(笑)、裏でくだらない陰口叩いてるところまでグダグダ文句言ってもしょうもない。
話がずれましたが、木を見て森を見ないでの感想も十分にお粗末ではないのかな、といったところですか。
無視すべき相手と汲み取る相手の選別が必要というか、そら悪い例取り上げて全体否定されたらみんな怒りますわ(苦笑)
投稿: サスケット | 2006/04/06 00:15