jersey歴史と言語
明日からのジャージー島訪問を前に、予習。
ジャージー島が帰属するチャネル・アイランドは、6世紀にブリトン族の逃亡者により入植された。
912年、西フランクの王チャールズ単純王がバイキングのロロとSainte-Clair-sur-Epte 条約を締結し、ロロがノルマンディを譲り受けた。その後、ウイリアム征服王のイングランド支配が始まった。
1204年、ジョン王がノルマンディをフランス王フィリップ・オーガストに奪われたが、チャネル・アイランドの支配は続けた。その後もノルマンディ公の称号を保持していたが、1259年のパリ条約でジョン王の息子ヘンリー3世がノルマンディ公の称号を放棄した。しかしチャネル・アイランドは別であり、イギリス王領にとどまった。イングランド王国とは区別され、独自の行政司法システムを有している。
現在、チャネル・アイランドは王室領とされ、王はジャージーで代理総督Lieutenant Governorにより代表されている。
島の法律、慣習、自由は、ジョン王のいわゆる憲法から1687年のジェームズ2世の章典まで、いくつもの王室憲章により認められてきた。イギリスの法廷からジャージー司法制度の独立性を保障し、イングランドとの関税なき貿易およびイングランド税の免除の特権を与えた。
ジャージーは、UK議会に代表を送っていない。15世紀以来、分離された立法府が王室から発展してきた。議会立法は島に拡張されることがあり得るが、それは協定による。
しかしながら、UK政府は島の国際関係に責任を持つが、島に適用のある条約締結には事前に島の協議を経なければならない。
ジャージーの言語はジャージーフレンチが母国語である。公用語は現在英語だが、1960年代までフランス語が公用語であり、今も法廷と法律職によって用いられている。
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