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2005/02/27

Nikkei法科大学院狂騒曲

日経新聞が回帰的に掲載する大学・大学院特集、本日は法科大学院が「大学院肥大化のツケ」の一つとしてやり玉に挙げられた。
曰く、「学生水増し、かすむ理念」という大見出しである。

そして冒頭には「新司法試験の出題科目以外は授業中、耳栓をして自習しています」という学生の言葉が紹介されている。西日本の国立大での懇談会とある。これに大して教授は「まるで学級崩壊」とため息を吐いたということだ。

このほか合格率の問題や志願者減の問題などが取り上げられているが、全体に貫かれている趣旨は、法科大学院が乱立して多数の学生を入学させたため、予定していた司法試験合格者数3000人を前提にすると合格率が下がり、そのため学生は受験勉強に走り、大学は志願者減に見舞われ、また定員が多すぎて院生の質も低下し、結果として基本理念「大事なのは質の高い法律家を育てること」(by 大宅映子)が霞んでいるということである。

しかし、この記事は皮相的な問題を皮相的に取り上げるにとどまっている。

第一に指摘されている合格者定員の問題だが、この欄でも繰り返し指摘したが、資格試験なのに定員をおくこと自体が矛盾しており、これが基本理念をゆがめる出発点である。
これに対して必ず出てくる反論は、司法研修所や実務修習のキャパシティの限界であり、最近は法曹有資格者の就職先の限界も指摘される。しかし研修所や実務修習のキャパシティと司法試験受験者の法的知識・能力の水準とは無関係である。本来司法試験は法曹になるのに必要な法的知識・能力を備えているかを試す試験なのに、それと無関係の基準により合格水準が決められているから歪むのだ。
法曹有資格者の就職先の限界も、法曹になるのに必要な法的知識・能力を備えているかどうかに全く関係のない数字である。そしてこちらの方はさらに、人材が多すぎれば仕事にあぶれるという当然の現象が起きるだけであって、新規参入を絞る理由としては時代遅れのギルド思考に他ならない。

このことは、現行司法試験の合格者数を無理矢理増加させたことの歪みにも共通していえることだ。
法曹になるのに必要な法的知識・能力を備えている層を越えて多数合格させれば、レベルの低下により修習でも実務でもセレクトせざるを得なくなるし、逆に過小に合格者を絞れば、有能な人材が多年の挑戦を強いられ、結果的に他分野へ人材を奪われることになる。

修習のキャパシティの問題は、合格者数に応じて柔軟に研修体制を組めば済むことである。建物は、これまた少子化にもかかわらず定員増を図って首を絞めている大学の空き施設を使えばよい。教官も要は予算を補正すればよいだけである。
実務修習に現在の3倍の修習生がたむろしていてはじゃまだということもあろうが、それは我慢してもらうしかない。

そして以上は、3000人などという定員枠を設けるべきではないということなので、もちろん500人しか合格出来ない年もあれば、6000人合格してしまう年もあり得ると言うことを前提にしている。単純に質を問わずに合格させろなどていうつもりはさらさらないし、必要なレベルに達する教育ができない法科大学院はつぶれて然るべきだし、必要なレベルに達し得なかった学生は落第して然るべきである。この意味で、合格率は年3%という年があっても仕方あるまい。しかし他方で必要なレベルに達している学生が、合理的根拠のない定員の壁にはばまれて不合格となるのは許し難い。この意味で、合格率は最大で100%となることも(理論的には)あって然るべきだ。

そうなると、問題は「法曹となるのに必要な法的知識・能力」の水準をどう定めるか、そしてその水準に達するための教育はどんなものかという2点になる。
一つは新司法試験の出題内容の問題であり、もう一つは法科大学院の教育内容・教育方法の問題である。
そして本来議論するのに値するのは、この2点なのだ。

一方では新司法試験サンプル問題を出し、それに対する評価をめぐり議論が一部ではなされている。他方では教育方法やカリキュラムの問題も、要件事実論と理論教育の関係や教育方法論のあり方などの議論がなされている。しかしそうした動きは、どうも定員問題とこれに起因する「狂騒曲」にかき消されて見えなくなっているようで、日経の特集も、本来議論すべき中身の部分を全く取り上げずに終わってしまっている。これが「皮相的」と評した理由である。

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コメント

>問題は「法曹となるのに必要な法的知識・能力」の水準をどう定めるか、そしてその水準に達するための教育はどんなものか

プロセスを重視するという前提なら、各プロセスを通過するごとに必要な水準に達しているのかを確認することが必要で、各法科大学院の教育水準・成績評価のほうがより重視されるべきではないでしょうか。
そうすると、新司法試験はプロセスの帰結の確認でしかないということになりそうです。

たしか幅広い視野だったか、教養をもった法曹の養成を理念とするとかいう話しだった気がします。こういったことも、法科大学院の教育課程で重視しないといけないはずです。

以上は、当初の理念からすると、ということですが、この場合、当然新司法試験に定員を設けるのはおかしいことになります。

また、当初の理念からすると、内職したり、耳栓したりする学生には、単位を認定しない等の措置をとるというのが、プロセス重視の教育では当然のことではないでしょうか。

そういったことをしないというのは、大学側も、プロセス重視の教育をしていないということで、当初の理念は放棄されているということになります。

にわとりとたまごの話かもしれませんが。

投稿: tedie | 2005/02/27 16:55

>合格者定員の問題だが、この欄でも繰り返し指摘したが、資格試験なのに定員をおくこと自体が矛盾しており、これが基本理念をゆがめる出発点である。

 「定員をもうけるべきでない」なんて一教員の理想論言われても現実がそうなっていない以上、受験生としてはシラケますね。きっと将来三振者が大量に出て社会問題化しても理想論によって正当化されるんでしょうね・・・。

投稿: 一受験生 | 2005/02/27 17:25

>「新司法試験の出題科目以外は授業中、耳栓をし>て自習しています
これが本当なら落第させてしかるべきです。

私もローの既習者コースに居ますが、プロセス重視という割には成績不良で留年するという話はとんと聞きません。先生の大学はいかがでしょうか?
大学院側も留年も碌にさせないで「俺が教えたのだから大丈夫」というのでは説得力がないと思いますよ?

受験する側からいわせて頂きますと三振制度が一番気に掛かる問題です。「滞留防止」というあまり意味の無い四文字で自分の生死が自動的に決められるのはつらいところですね。

3000人になれば三振制度がなくてもそこそこ優秀であれば大した滞留もないと思いますが先生はどう考えられるのでしょうか?

投稿: たれぞう | 2005/02/27 23:28

某ロースクールでは、期末の問題が前バラシされ
また、あるローでは出席せずに必修科目の単位が
取れる。

全国法科大学院進級試験をおこなってみてはどうでしょうか?

投稿: 通りすがり | 2005/02/28 00:45

司法試験という資格試験に定員を設けることの不合理さは、先生のおっしゃる通りだと思います。
そのうえで、法曹養成のための教育について考えるに、プロセス重視というコンセプトは、確かに一発試験より理想的なものといえるでしょう。
しかし、現在の法科大学院にはそれに応えるだけの力量があるとは思えないのです(私は現在某法科大学院に在学中で、そこで1年間過ごした感想です)。学者の先生で、これまでの学部教育の中でプロセス重視・インタラクティブな教育をされてきた方は、決して多数派ではないと思われます。実務家の先生もしかりです。つまり、ノウハウ不足のまま開校し手探り状態にあるということです。
いずれ、ノウハウ不足は解消され、法科大学院は期待された成果を発揮してくれると思います。しかし、それがいつになるかわからないし、またそれ以前にも法曹を世に送り出さなければなりません。
とすると、プロセスとしての法科大学院が機能するまでの当面の間は、出口すなわち新司法試験においての選抜の色を強く出さざるを得ないと思います。(現役の法科大学院生としては、歓迎せざる結論ですが…)

投稿: 名古屋東京間の移動に飛行機を使う男 | 2005/02/28 05:04

時折拝読いたしております。理念的には御説のとおりかと私も思います。
ところで、先生は、新司法試験実施後においても、司法修習が存続することを、どのようにお考えでしょうか。それこそまさに、先生方の実践なさる法科大学院教育に対する、最高裁・法務省の不信の表れだと思うのですが…。「屋上屋を重ねる」の感は、どうしても否めません。特に、先生がおっしゃられるように、法科大学院が「法曹となるのに必要な法的知識・能力」を涵養することを目的とする教育を実践し、新司法試験がその知識・能力を試す目的で行われるものであるとするならば、司法修習など、本来いらないはずなのではないかと思われます(私は、現行試験でも、本来的には司法修習などいらないと思います)。司法修習を実施する、というのは、少なくとも法科大学院の教育では不十分(あえて極論すれば、信頼に足りない)と考えている証左なのではないでしょうか。
定員問題が、先生の評される通り、「皮相」な話かどうかは、そのこともかかわってくるようにも思われます。司法修習を存続させる限りは、そのキャパシティの問題が、不可避的に生ずるはずです。失礼ですが、先生がおっしゃられるような、柔軟に修習の体制を組めば済む、という話は、いささか非現実的だと思います。
長々と、無礼なコメントお許しください。
ぜひ、先生のご意見を賜りたく存じます。

投稿: 一「業界」人 | 2005/02/28 14:05

現状で法科大学院の教育水準に信頼がおけない、だから新司法試験では厳しい選抜をすべきだということには賛成です。ただし、新司法試験の内容が法科大学院で求められている実務基礎科目や展開先端科目もしっかり学ぶことが必要なものとなっているべきですが。
そして、厳しい選抜と定員ありきとは区別しましょう。合格定員を取り払っても、一定の水準に達しているかどうかの判別は可能ですから。というより資格試験というのは大抵そうなわけです。

また、一部(か多くかは知りませんが)法科大学院が厳格な成績評価ということをないがしろにしている現実はあるようです。これを制するのは第三者評価ということになってますが、まだ動いていないので、全国共通の進級試験をやったらどうかという話には私も共感を覚えます。

司法修習が存続していくことは、確かに不信の表れですが、実務修習は良い制度ですから、その存続は望みたいところです。それも廃止するなら、法科大学院の今のエクスターンシップやクリニックをよほど充実させて必修化しないとならないですね。そのようなコストのかかる教育を司法試験前に実施するよりは司法試験後に実施した方が合理的だと思いますが。
でもって柔軟な修習体制を組むというのが非現実的だとおっしゃいますが、それは出発点をどちらにおくかの問題でもあります。資格試験という出発点からすれば、合格者数をあらかじめ定めることなどあり得ないことになってしまいます。その上で、実現可能な修習体制を考えていくしかないのではありませんか?

投稿: 町村 | 2005/02/28 18:02

《問題は「法曹となるのに必要な法的知識・能力」の水準をどう定めるか、そしてその水準に達するための教育はどんなものかという2点になる。
一つは新司法試験の出題内容の問題であり、もう一つは法科大学院の教育内容・教育方法の問題》
《一方では新司法試験サンプル問題を出し、それに対する評価をめぐり議論が一部ではなされている。他方では教育方法やカリキュラムの問題も、要件事実論と理論教育の関係や教育方法論のあり方などの議論がなされている。しかしそうした動きは、どうも定員問題とこれに起因する「狂騒曲」にかき消されて見えなくなっているようで、日経の特集も、本来議論すべき中身の部分を全く取り上げずに終わってしまっている。これが「皮相的」と評した理由である。》

この見解も、少し「皮相的」な感がします(単に見解を省略しているだけで、深く考えているとは存じますが)。今回の司法改革自体「皮相的」な理念に囚われているとしか言いようのないものですが・・・・

法曹となるのに必要な能力がいかなるものかは、絶対的に決定されるものではないでしょう。「その国の司法制度がどのようなものか」に規定されます。陪審制と判例法で動く社会において要請される法曹の資質と、キャリア裁判官と成文法の下で動いている社会において要請される資質は、自ずと異なるはずで、それを前提事項として論議せずに、法科大学院におけるプロセス教育の理念などを論議することは、法制史も法思想史も捨象しているのではないかと思います。
アメリカのロースクールは、徒弟制度の中から生まれ、大学におけるリベラルアーツの発展を受けて、単なる技能訓練校から脱出し、法を道具として社会を構成しようとするエリートを排出する学校に発展してきました。
法科大学院は、リベラルアーツを学ぶためにあるはずの大学の改革・教育改革の議論を素通りしたうえで、雨後の竹の子のように作られ、1500人か2000人程度しかできないだろうとの予想に反し、6000人近い定員を抱えました。

羊頭(理念)を掲げて狗肉を売る(予備校化)ことになるのは、現実を踏まえなければならない以上避けられないことでしょう。
資格試験が当然で、定員制をとるのはおかしいことだという理念は、司法制度の全体像を構想したうえで、実現するための現実的なプロセスを踏んでいく必要があります。理念に囚われすぎると、理念の被害者を生み出すことになりかねません。

投稿: 一言固持 | 2005/03/02 00:12

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