LSと学問
Tedieさんにコメントを付けられて、反省。学問というデリケートな言葉を不用意に使ってしまった。
しかし、学問としての法律学の授業ではないというフレーズで言いたかったことは、学問の自由・教授の自由に守られて内容的には外部のコントロールを受けないという従来の大学の基本的性格は、法科大学院では妥当しないということであり、刑法総論で行為論を延々5コマくらい費やすとか、そういった自由はない、ということである。
もちろん、行為論というカテゴリーの中で責任とか因果関係とかが含まれているとか、そういう場合は全くの別論だ。上土権の概念を教授する中で所有権の実質的内容について理解が深まるのであれば、それはそれでよい授業だが、そういうこととは別論だ。
また理論と実務との関係で理論教育を基本にするという姿勢をとったとしても、それが直ちに上記の学問の自由につながるわけでもない。
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コメント
今や、あらゆる大学、あらゆる学部において、講義内容が完全に自由になる、なにをやってもよいというところはないかと思われます。
しばらくすると、第三者評価がはじまります。すでにその前段階として、FDも盛んにおこなわれているのではないでしょうか。法科大学院がちょっと早めにその洗礼を受けるのと、修了後に資格試験が待っているということで、問題が先鋭化したり、表面化しやすいだけのような気がします。
>刑法総論で行為論を延々5コマくらい費やす
以前の記事ともあわせると、トラウマを感じます(笑)
投稿: tedie | 2005/01/31 00:43
Tedieさん、
やはり大学は何をやってもよい世界であり、講義内容も完全に自由であるべき世界だと思います。
そうであったとしても制度全体としては有意義な存在であり続けるはずですから。というのは優れた研究者が優れた研究内容を教授することが本来のあり方で、資格取得とか職業訓練とかとは直接結びつくことを求められていないはずですから。
ただし、それが外部からの評価にさらされ、価値のないものが淘汰されるようになると、優れた研究者の陰に隠れていたダメダメ教師があぶり出されて来るかもしれません。
法科大学院のような実務家養成課程は、やはり本来の大学とは異質というか、他の領域にはみ出た活動を必要としています。
投稿: 町村 | 2005/01/31 00:54
> 法科大学院のような実務家養成課程は、やはり
> 本来の大学とは異質というか、他の領域にはみ
> 出た活動を必要としています。
だとすると、法曹要請を大学が行うという出発点が間違っていた、ということになりそうですよね。
このうえ、研修所廃止論まで飛び出すのですから、身の丈に合わないことして何がやりたいのかな、と思ったりします>法学部
投稿: 増田尚 | 2005/01/31 22:17
「法曹養成を大学が行うという出発点が間違っていた」
とは必ずしもいえないでしょう。
教育をまともにしようとし始めたわけですから、これまで重視されなかった役割をまともにこなそうとしているだけでもあります。
投稿: 町村 | 2005/01/31 23:48
>教育をまともにしようとし始めたわけですから、これまで重視されなかった役割をまともにこなそうとしているだけでもあります。
そんなにあっさり自分たちの非を認められるのもどうかと思いますが・・・
ある意味では、教育をまともにしようとしていなかった人々が巣食う場所で、人材育成を急ごしらえでしようということ自体に無理があるのでは?
まぁ、それは今後の実績という厳しい物差しで測られ、淘汰が始まるのでしょうが。
投稿: Mr.T | 2005/02/01 01:49
でも大学が教育機関として自己規定してこなかったことは周知のことで、これまでそれを「非」と考えてもいなかったことだって、常識でしょう。
私が大学の先生になったとき、本屋で教育方法の本を探しましたが、翻訳本が2冊ほどしか見つかりませんでした。
もちろん個別的・散発的に教育を真面目に取り組んだ人はいくらでもいるでしょうが、一般化したのはここ十数年のことで、特に法学部では法科大学院構想が具体化して初めて教育を真面目に考え出したというのが正しい認識です。
で、Mr.Tさんの言うように「人材育成を急ごしらえでしようということ」には大いに無理があって、せめて裁判員制度の半分くらいの準備期間が必要ではなかったか、という思いはあります。
まあ時間があっても改善されない人/学校は絶対あるので、そういう部分は結局なんらかの仕組みで淘汰されざるを得ないでしょう。問題は淘汰がまともな教育機関をディスターブする可能性があるところですけど。
投稿: 町村 | 2005/02/01 12:17