Judge は語らない?
どろっぴーさんのブログにはこんなことが書かれていた。
「裁判官は判決以外では語らず、検察官は、冒頭陳述や論告求刑でのみ語る、というのが今までの慣習」
しかしなぁ、裁判官って、自分が抱えていた事件について判決以外でも結構語ることが多い。端的な例が、判例タイムズ・判例時報の判例コメントだし、最高裁調査官解説はJudge ではないにしても担当事件の話だ。
後者はもちろん個人的に執筆したものではないが、個人的な執筆活動でも文献の形を取るものは枚挙にいとまがない。
確かにそれらの裁判官の著作は、慎重で、公式見解に近いものが大多数なのだが、中にはかなりユニークな個人的見解吐露する方もいる。井上薫判事がその代表格だろうか。
まあもっとも井上薫判事のようになりたいと思うかどうかは別として、ユニークでありかつ人間的魅力に溢れた判事というのも沢山いる。
古くは倉田卓次判事が思い出される。古くといってもご本人はなお活躍中だが。
そうそうNコートの西口元判事(モトではない)も、その代表格かもしれない。その他、名前を挙げていけばきりがないが、直接知己を得た裁判官のかなり多数が、人間的魅力に溢れた、気さくな方で、研究会にも参加して議論をするというタイプである。
それでいて、口は災いの元とならないのが、この人たちの人間のスケールというものだろう。
確かに自分の属する組織について外部に意見を言うのは難しい。自分の担当事件とか担当授業とかならまだしも、同僚の悪口は言いたくないものだ。
もちろん性格にもよるけど、普通は遠慮がちになる。
にもかかわらず、いうべきことは言わねば。
風通しという意味でも、コンプライアンスの維持向上という意味でも。
ちなみにこの世の中、人の口に戸を立てられるものではない。さりとて実名で内部告発するのはまっぴらご免である。悪事をもみ消そうとしているのなら、匿名掲示板に人のパソコンから書き込みすることも、悪いこととは思わない。そういう人は増えているのではないか。
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