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2004/09/25

Lawschool実務家教員の感想について

落合洋司弁護士のブログに、ロースクール教員としての感想が載っていた。
一言でまとめると、日本のLS制度全体は質のよい教員が少なく、LSカリキュラムをこなしていれば司法試験合格に達しうるという状況になく、行き場を見失った船に高額の乗船料を払って乗った学生が浮き足立っている状況とのことである。

落合先生はロースクールに代えて次のように提案されている。

1 ロースクールは、極めて良質のもの(10校程度)を除いて廃止し、新ロースクールは、法曹界の中核を担う特に優秀な人材の養成機関とする。入学者は、司法修習終了後、一定の期間、実務を経た者とする。廃止されたロースクールのうち、可能なものは、従来型の法学部に転換するか、既存の法学部に吸収する。
2 全国の高裁・高検所在地に、司法研修所分室を置き、司法修習生3000名程度を受け入れ可能な態勢を作り、修習期間については2年に戻す。
3 司法修習生については、「弁護士補」といった資格を新設し、有料の法律相談や弁護士と共同による事件処理などを可能にして、一定の収入を確保できるようにした上で、給費制については、給費水準を従来よりも落としつつ維持する。

ロースクールの教員としては、なかなかドキドキする提案である。
もっとも、10校程度になるかどうかは別としても、相当数の法科大学院は5年も保たないであろうと囁かれているし、現状がバブルであることは否定できない事実だ。

前提認識として、現状のロースクール教員の教育能力が高くないことは、その通りだが、司法試験を目指した勉強方法が落合先生のいうような「コツコツとした勉強をそれなりの期間継続し」「法律の解釈論がきちんとできる」ようになっていたのか、という点には異論がある。
現行司法試験の問題形式や、それに効率的に合格しようというだけの目的でなされる勉強の内容は、自ずと限界がある。論証丸覚えになるかどうかは別として、少なくとも試験に出ないことは勉強しないと堂々という受験生は数多い。
法律基本科目に限っても、その背景となる理論的・社会的事実や歴史・沿革も含めて、きっちりと勉強した者が、個別の論点についてもきちんとした解釈論ができるようになるのであろう。

でそれがロースクールである必要があったのか、といえば、それはなかったと思う。
法学部の中に法曹養成コースを設置し、その教育内容に実務教育も大幅に取り入れ、また教育方法も今努力しているような改革を行えば、ロースクール設置の目的は達成できたはずである。
開放性・多様性・公平性の理念に関しても、学士入学を大幅に広げれば、同様に問題はなかった。

しかしまあ、法学部との屋上屋という欠陥はあれども、優秀な学生は3年で学部を卒業し、既修者コースを経ることにより、最短5年で新司法試験受験を迎えることができるし、それほど優秀でない普通の学生は結局のところ卒後2年ないし3年かかるという点で時間的なロスは現行と大差ない。

問題は、学部でやるにせよ法科大学院でやるにせよ、現行の試験対策だけの勉強とは異なる、法曹養成に適した法学教育がなされているかというところに返ってくる。
現状では、悲観的な意見が強いが、そうでないとする意見も、教員・学生それぞれから表明されている。
実務法曹養成のための教育内容を充分詰めることなく、教育方法に至ってはほとんど組織的な改善努力がなされることなく、ロースクールがスタートしてしまったが、少なくとも法学部の一方通行授業で聞くか聞かないかは好きにしろ式のやり方はかなり少なくなった。それなりに工夫された教科書・ケースブックも開発されている。そして何よりも、多数の実務家が大学の中に入ってきて、大学自身の文化も変わり、また教育能力の高い実務家が大量に現れてきた。
法学教育シーンは、昨年までと大きく変わりつつあることは否定できないであろう。

懸念材料は、不透明な新司法試験のあり方で、不透明なだけに現行対策をやるしかないと考える法科大学院生が多いし、また自分たちで法学教育をする能力が元々なかった法科大学院に限って、予備校メソッドを丸飲みしたり予備校講師を抱え込んだりしている(らしい)。
現行対策の引き写しはともかくとして、定員のある新司法試験である限り、その合格率を上げるための教育をすることは当然である。しかしペーパーテストを突破するだけの勉強では、その効率性を追求すればするほど、実務法曹として役に立つ内容の勉強にはならない。
新司法試験の内容を、日弁連などが提案しているような実務家としての基礎能力を判定する内容に変えていくとともに、定員制を廃して一定の能力があると認められる者は合格できる制度にしていく必要がある。
もちろん一定の能力があると認められる者が多数なければ、合格者人数は500人以下ということもありうるわけだが。

もう一つ落合弁護士がいう法曹のリカレント教育としてのロースクールの位置づけは、展開先端科目に関して、現在の体制のもとでも考える必要がある。
大体3年間のカリキュラムの中で展開先端科目を豊富に取りそろえても、ほとんどとれる見込みがない。
知的財産について充実したメニューを誇る某有力校でも、そのメニューを全科目履修することはあまり考えていないらしい。
弁護士であれば、毎週一コマか二コマ、日中の一定時間を割いて履修することも可能であろうし、そのような方向で有効活用しないと、せっかく無理して集めた陣容がもったいない。そのように活用してこそ、当初の理念通り、高度な専門性を有する法曹養成が実現できるというものである。

参考サイト
日弁連法科大学院センターによる新司法試験検討
ロースクールの教え方シンポに向けた問題提起

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コメント

私は法曹志望で法科大学院もすでに何校か受験しましたが、はっきり言って法科大学院には行く気が失せてきました。
最近までは「国の方針だから」ということで否応なく法科大学院も視野に入れていましたが、もうその気も失せてきました。

今回の先生のご意見に対していくつか質問させていただきます。

「相当数の法科大学院は5年も保たないであろうと囁かれている」

そのような法科大学院に多額の学費を払って通った学生に対してどう責任をとるのか?(南山大学法科大学院もその一つにならないとは限らない)

「現行司法試験の問題形式や、それに効率的に合格しようというだけの目的でなされる勉強の内容は、自ずと限界がある。論証丸覚えになるかどうかは別として、少なくとも試験に出ないことは勉強しないと堂々という受験生は数多い。」

新司法試験になっても、ペーパー試験で、かつ競争試験であるならこの点については変わらないのではないか?

「新司法試験の内容を、日弁連などが提案しているような実務家としての基礎能力を判定する内容に変えていくとともに、定員制を廃して一定の能力があると認められる者は合格できる制度にしていく必要がある。」

なぜ最初からこのような制度にならなかったのか?また将来このような制度になる見込みはあるのか?


とにかく現行司法試験を今後も存続させ、合格者も大幅に減らさないでほしい。現行司法試験に問題があるなら司法試験考査委員なりからもっと具体的に問題点を指摘してほしい。そしたら受験生のほうもそれに応じて勉強できるし、対策も立てられると思う・・・と考えているのは私だけではないはず。
この法科大学院という制度が水面下で多くの受験生を勉強以外の面で苦しめているという現実をこの制度の導入者達には直視してほしいと思う。


投稿: 法曹志望 | 2004/09/27 06:59

法曹志望さん、コメントをありがとう。
まず、法科大学院に行く気が失せてきたというのはなぜだろうか?
落合先生とはニュアンスが違うかもしれないが、私は法科大学院の教育内容や教育能力が一般的に低いと断じたつもりはない。
法科大学院によっては、ダメなところはあるだろうし、予備校の先生頼みになっているところもあるそうだが、法学教育のあり方を再検討して、教育力の増強に向けた努力を続けている法科大学院は数多くある。
もちろん指揮命令系統のない大学のことだから、そのような努力を全体として尽くしている法科大学院であっても落ちこぼれる先生がいるだろうことは想像に難くない。
しかしそういうダメな部分をことさらにかき立てるマスコミも困ったものだが、それがすべてだと思ってしまうのは早計に過ぎる。

この一年半ほどの間に、3回ほどロースクールの教え方と題するシンポジウムに関わってきたが、そこに登場した先生達は、おしなべて法学教育のあり方をよりよいものにする努力を積み重ねてきている。
こうした努力は日々の教育に直接活かされ、関係大学院の第1期生達はその教育を受けて実力を伸ばしている。

シンポジウム記録は、過去二回分は出版され、この秋のものも出版予定となっているので、法科大学院進学を検討している人でもアクセス可能だ。また人の口に戸を立てられなくなっているネットワーク社会では、悪い噂はすぐ伝わるので、見かけ倒しのところの情報も収集可能だ。

受験生は、そういう情報をよく吟味して、学校選びをしてほしい。
ダメ学校でも新司法試験受験資格さえ得られればよいとかいう発想では、資格商法のようなところにひっかかっても仕方がないのだ。

投稿: 町村 | 2004/09/27 09:46

町村先生、まず本当に返事を頂きありがとうございます。
私が法科大学院に行きたくない理由は私の個人的事情もあって書くのをあえて差し控えさせてもらったのですが、いくつか書きたいと思います。

一番のネックになっているのは学費です。私の家は元々裕福な家庭ではないため、両親に相談したときも、法科大学院の学費を見たとき、「これはかなり厳しい」ということを言われていました。もちろん、奨学金などを活用できればよいのでしょうけど、どこの法科大学院もそこまで奨学金制度を整備し切れてないように思います。(できれば同志社のように希望者全員貸与にして欲しい)なので法科大学院の入試を受けながらも「うかっても行けないかもな・・・」という不安と常に隣り合わせです。
このように思っている受験生は実は少なくないと思います。将来現行司法試験がなくなり法科大学院のみになると、この学費の壁のために法曹を目指すことを躊躇する、または断念するという人多く出てくることが懸念されます。すくなくとも現在のように「形式的には敷居の低い」ものではなくなると思います。

第二に「適性試験」という選抜方法です。この適性試験の点数はどこの大学でも入試の大きなウェートを占めていますが、このような一発勝負で、事前の準備のほとんど効かない(その意味で非常にリスキーな)、しかも法律とは無関係の試験の出来でほとんどその後の入試の帰趨が決してしまうのはどうなのでしょうか?まるで「適性で悪かった奴は法曹の適性がない」といわんばかりです。私は、適性試験の点でほとんどふるいにかけられてしまう(適性を判断してしまう)この法科大学院の入試制度がたまらなく嫌なのです。


で、正直思ったんです。こんな余計な心配して、嫌な思いしてまで「国の方針だから」といって我慢して法科大学院を受験し、通う必要があるのか?と。現行司法試験は(その中身においていろいろ問題点はあるにせよ)選抜方法としてはとても公平だし、対策も立てやすい。学費も法科大学院に行くことを考えれば低く抑えられる。そう考えるとやっぱり法科大学院には行きたくない、現行司法試験の方に合格したいという思いが大きくなっていったのです。
以上が法科大学院に行きたくなくなった理由です。

で、誤解されては困るのですけど私は法科大学院の教育が一概に悪いといっているわけではないのです。先生方の中には(その本分である研究を数年休止してまで)教育の方に専念されている方がおられるのも知っています。
しかしそのような法科大学院に入ること自体が上に述べたことから非常に苦痛なのです・・・。

あと一言付言させてもらうと、先生は「ダメ学校でも新司法試験受験資格さえ得られればよいとかいう発想では、資格商法のようなところにひっかかっても仕方がないのだ」と言われるけれど、法科大学院に入らなければ受験資格すら得られない以上、「とにかくどこでもいいから入りたい」という心理が受験生側に働くのは、ある意味当然ではないでしょうか?しかし、そのような「ダメ学校」に入ってしまった場合、被害を被るのはほかならぬ生徒自身です。そのあたりのことを文科省はどう考えているのか?(考えてないか?)

以上長文失礼しました。現行存続を切に祈りつつ・・・。

投稿: 法曹志望 | 2004/09/27 16:33

私は法曹志望さんとすこし違った意味で法科大学院制度にギモンをもっています。

まず第一に適性試験ですが、これは対策・準備次第だと思います。多くの予備校は数万円からときには十数万円の「適性試験講座」なるコースを設け、予想問題や解法を指導しています。お金・時間をかけて「適性」を手に入れ、それが法科大学院入学にあたって大きなウェイトを占めるのはいかがなものなのでしょう。

次に小論文やパーソナルステイトメントについても、予備校がそのための講座、パーソナルステイトメントに至っては書き方だけではなく添削さえ行い、合格者の中には十数回、予備校講師の手によって添削を重ねられたパーソナルステイトメントのおかげで合格を手にしたというヒトさえいます。

最後に各大学による面接試験です。たった15分くらいの面接で「法曹にふさわしい資質」がどうやってはかれるというのでしょう。その、法曹にふさわしくなるために法科大学院に進み、学ぶのではないでしょうか。

自助努力をせずに法科大学院の教授陣にすべて頼って新司法試験を突破したいと思っているのでは決してありません。ただ、開放性・多様性・公平性を謳って設立されたはずの法科大学院なのに、法曹を目指す人間を、司法試験を受ける前の段階でふるいにかけ、試験を受けるチャンスを狭めているような気がしてならないのです。もしかしたら、これは日本の受験という制度そのものに問題があるのかもしれませんが。

法科大学院制度が存続するなら、せめてアメリカのロースクールのようにLSAT(日弁連の論文を含んだもの)と学部時代の成績提出のみとし、大学ごとに種類の違う小論文を課したり面接をするのは廃止していただきたいと思います。可能性ややる気を持つ法曹志望者を入学の時点で排除するのではなく、言い換えれば法科大学院の勉強に耐えうる「であろう」学生を受け入れて勉強させるではなく、入学後の進級のハードルを高くし本当に勉強に「耐えられる」学生のみを残すようなものになって欲しいと思います。

投稿: 同じく法曹志望 | 2004/09/27 17:20

お二人の法曹志望さんに同時に答えようとすると、適性試験の位置づけ一つとっても問題になりますね。
適性試験は法曹にとっての適性ではなく、法科大学院で勉強する上での論理・分析・読解・表現能力を見るものです。ただこの試験が果たして成績と結びついているかは、追跡調査がまだ行われていないので、誰も分かりません。各大学内では独自に前期試験成績とつき合わせてみたりしていますが、最大でも300人規模では不正確な分析しかできないので、是非法科大学院ごとではない全体的な調査が、少なくとも2〜3年は必要です。
適性試験の適性はその後で評価されるべきです。

学費の問題は確かに重要かつ問題が多いところです。
しかし例えば南山の場合、希望者全員に日本学生支援機構または大学独自の貸与奨学金が与えられますし、それとは別に成績優秀な上位20%の方々には年度末に50万円、40%までの方々には年度末に30万円、給付奨学金があります。
これなら年間授業料も、現在の国立大学学部よりも安くなるのではありませんか?

そもそも授業料を取るような法科大学院修了を受験資格にするのが怪しからんということであれば、プロセスとしての法曹養成全面否定ですから、それには賛同しかねます。
入学は緩く、卒業は厳しく、というのがよいというご趣旨には全面的に賛成。単位認定も卒業資格認定もザルな法科大学院は、第三者評価で鉄槌を、と思います。現実にはなかなか難しいところですけどね。

投稿: 町村 | 2004/09/28 00:54

 ところで、法科大学院での前期試験は、法学部の前期試験よりも質的に改善されたのでしょうか。
 従前、法学部の前期・後期試験といえば、誰かがとった講義ノートや、それをもとに誰かが作った模範解答を試験の直前に手に入れて短期記憶し、1時間前後の試験時間において覚えた知識をぱっとはき出すだけで単位が取れた(むしろ、下手に自分で考えて書いたりなんかして担当教員の学説を批判したりすると、単位を落とさないまでも低い評価しか受けられない場合が少なくなかった)わけですが、試験時間を「じっくり考えて論述を進める」のに十分なだけとったり、担当教員の学説を採らなかった学生に不利益を課さないように教員間で相互監視のシステムをとったりするなど、学内試験改革は行われたのでしょうか?

投稿: 小倉秀夫 | 2004/09/30 22:31

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