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2004/07/31

難解語at民法

民法が口語化されるそうだ。

この話は二回目なので、前回の成果をとりあえず金庫から取り出して、それをたたき台にすれば二、三週間で原案ができてしまうだろうと思うのだが、それはともかく、口語化が達成されれば、現行法にある難解なコトバが狩られてしまう。
そこで今のうちにこんな変な言葉を使っていたというのを記録しておきたい。

さて問題です。以下のコトバはなんと読み、どういう意味でしょう。

(初級編)
1) 瑕疵
2) 彊界
3) 雇傭
4) 滲漏
5) 法定果実
6) 抛棄

(中級編)
1) 心裡留保
2) 囲繞地
3) 剪除
4) 滌除
5) 地窖
6) 踰越

(上級編)
1) 牆壁
2) 溝渠
3) 椽
4) 堰
5) 注瀉

本当はさらに、「まど」というコトバも出したかったが、失敗した。コメントに記載されている。(2004.8.1修正)

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LiveDoorの就職課題

ちょっとカテゴリーに困るような話だけど、ライブドア就活期にあった話。

ライブドアにエントリーシートを提出したら、
>livedoor Blogでご自身のBlogを作成し、期間内(課題提出後一ヶ月間)にトラックバック50個を目指して下さい。
という課題がついてきたんだって。

これ、面白いと思うよ。変なレポート書かせてオヤジの目で採点するよりも、プログユーザーの目で採点してもらう、トラックバックしてもらうっていう方が、より確実な評価ができそうだ。

ロースクールでもこういうのができるとよいのだけど、、、うーむ。思いつかない。

名古屋大学の松浦教授は学生自身の相互評価システムをオンライン上で実現するシステムを組み立てているけど、ちょっと仕組みが大がかりすぎで手が出ない。
桐蔭横浜の笠原教授は、複数大学の学生やOBを巻き込んだ会議室の議論を評価に反映させるとして成功している。学内では会議室に発言があるけど、それも少し行き詰まり気味。

とりあえずオンライン短答式自己採点システムを組み立てておきたい。

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雅子さまの適応障害

適応障害のページを見る限り、深刻な状態のようだ。

人の家の嫁さんの健康状態を気にするなんておかしい話だ。しかし我々の統合の象徴予定者に関することだし、結婚に至るプロセスも雅子さんには同情したくなるようなものだったし、夫もそれなりに頑張っているし、彼女の一家には幸せになってほしい気がする。

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2004/07/29

法科大学院適性試験の対応表

先日JLFの統一適性試験実施説明会(大学向け)に出席した。
その場で大学関係者に配布された対応表によれば、DNCの得点60.1がJLFの205点に相当するとのこと。


この対応付けの原理と方法は、説明を何度受けてもなかなか飲み込みにくいが、要するに二つのテストでの相対的な位置づけが等しくなるように対応づけるということのようだ。

その正確性を最もよく印象づけるデータが、説明会で出された中では得点分布の対応状況というもので。次のような表が示された。

平均+1標準偏差 221.63(JLF) 66.19(DNC)
平均       186.89(JLF) 52.74(DNC)
平均−1標準偏差 152.15(JLF) 39.29(DNC)

これは実得点の分布と統計データから出したものである。

このデータと対応表から見られるデータとが一致すれば、対応表の正確さがわかる。
実際の対応表を見ると、JLFが221点の人はDNC66.2点に、187点の人は52.8点に、152点の人は39.8点に、それぞれ対応づけられているので、ほぼ正確ということになる。

現物はJLFのウェブページで公表される。

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2004/07/28

銀行統合交渉差止

住友信託の提起した仮処分で、UFJと三菱東京の統合交渉が差し止められることになった。
正確にはUFJ信託の譲渡を住友信託以外と行ってはならないということだろう。その当否は、契約の内容によるが、以下雑感。

 日本の企業も、契約の法的拘束力ということを使うようになった。独占交渉権などあまり重視されていなかった条項だが、今後はこれをいれるかどうか、慎重になるかもしれない。
 大体独占交渉権の実効性は、市場の大きさに左右される。プロ野球のように独占体制で、ルール破りには村八分をもって制裁できるなら実効的だが、結婚のように候補が沢山いる自由市場なら、独占交渉権はせいぜい損害賠償の前提としての意味しかない。
結婚の場合強制に馴染まないように言われるが、他の契約でも同様である。

今回の場合、仮処分は出ても、結局合併交渉を実質的に進める手立てが住友信託の側にない以上、信頼利益の賠償で手を打って終わりだろう。とはいえ、UFJの出来の悪さは際立っている印象だ。交渉能力が疑われる。

三菱東京側からすれば膿を出し切る時間と解して、有効に使えばよいが。


町村泰貴@foma

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IT利活用は遅れているニッポン

CNET Japanの内閣官房・山田安秀氏のインタビュー記事において日本が立ち後れている利活用の例として以下のものが取り上げられていた。

医療レセプトやカルテなどの電子化
コンテンツの流通量
テレワーク

いろいろと対策が続き、将来への期待がもてるような気がするが、他方で日本は情報鎖国政策をとっているのではないか?
コンテンツの利用の代表例としてあげられるべき、 アイチューンズによるミュージックストアが、なぜか日本では利用できない。そりゃ日本のレコード会社が作ったつまらん曲はオンラインで買いたいとも思わないかもしれないのでよいが、なぜアメリカのレコード会社の作った音楽が日本で(オンラインで)買えんのだ?
いや、日本のコンテンツ制作者にとっても大きなビジネスチャンスをみすみす見逃しているのだ。

iTunesをずっと使っている私が、一億曲も売れているという媒体にアクセスできないのは大いに不満だ。
なんか独占禁止法に反するような不公正さを感じる。

日本では音楽の購入額が下がっているという。これは音楽制作者にとって問題がある状況だ。これに対してより手軽な音楽配信媒体があれば、より売れるようになるというのは自明だろう。
但しその場合困るのは既存のCD屋、というかCD製造会社だろうが、技術の進展で古いメディアが新しいメディアに入れ替わるとき、古いメディアの製造者はいつも対応して生き延びてきた。対応能力がないところは退場せざるを得ないが、それはそれで仕方のないことである。

コピーによる海賊版問題は、デジタル情報であればCDでもオンライン音楽配信でも同じである。

このような理不尽な鎖国状態を一方で放置しているのであるから、IT 利活用で世界に後れを取っているのは当たり前だと思うのだ。

追記:コメントくれた小倉さんにトラバ

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2004/07/27

裁判官評価サイト

裁判官評価サイト関西なるところがあると聞いて、行ってみたが、がっかり。

見ることができるのは、なぜこれが重要なのかという長々した文書とルールみたいなのと、評価シートのモデルだけ。
仲間内でしかデータを見ることができないし、概略の紹介すらされていない。なんでも悪い評価だけでなく良い評価もあるという話だが、それを裏付けるものは何も見られない状態になっている。

なんともはや・・・。

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南山宣伝

ではなく、南山宣言
知名度不足を少しでも解消しようという努力で、新幹線各駅にだしてます。

でもこれ、ミナミヤマと読む人が増える気がしないか?

町村泰貴@foma20040727121325.jpg

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2004/07/25

ペンキ職人が「無罪」???

フランスの裁判所でペンキ職人が自ら無罪を勝ち取ったという趣旨の記事を、中日新聞で見かけた。

でも記事を読んでみると、ペンキのムラが塗り方の欠陥のせいではなく、カタツムリがペンキのカルシウムを摂取するため塗り立ての壁を這ったせいだということをペンキ職人自らが立証して、一審の損害賠償命令を控訴審で覆したという内容だった。
(分かりにくい文章だ)

要するに、損害賠償請求に対して、俺は悪くない、カタツムリのせいだという主張が成功して、請求棄却判決を勝ち取ったという記事なのだ。

何が言いたいかというと、こういうのに「無罪」という言葉を使うのはやめなよ、ということだ。
それも、ちょうど、とある研究会で「判決文は分かりにくいか。新聞の文章程度に分かりやすい表現ができるようにすべきだ」という話を聞いた日だったので、反応したくなってしまった。

ま、見出しはともかく、記事内では比喩的に「無罪」を使っているということを示すダブルコーテーションマークが付されていたが、そのわかりやすさは誤解を再生産する悪しき分かりやすさである。

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取調べの可視化(続)

更紗姫に反論されちゃったので、さらにコメント。

取り調べ状況が白日の下に晒されることが(録音であれビデオであれ)望ましいということについても、晒され方によっては留保が必要かもしれない。

まず一般に公開されるのは論外だろうし、漏洩の可能性があるのも望ましくない。
少なくとも弁護人側には取り調べ状況が明らかになって、その不当性を訴えたいときには動かぬ証拠として使いたいということなのだが、さりとて調書に代えてビデオ録取書が証拠となるのは認めがたいというのだ。
調書であれば、署名押印する段階でその陳述内容を認めるか認めないかの最終決断ができるのに、ビデオが直ちに証拠となればそういう防御の最終段階がなくなるからという。

その理屈に同意できるかどうかはにわかに断言しにくいが、ビデオをとることを主張する側も、その利用方法をめぐってはなかなか難問が控えていることも事実のようである。
それに、ビデオの取り方、取調室の状況がすべて分かるようなアングル、キセルで誤魔化すことのできない工夫(CG時代はなんでもありかもしれない)、保管責任の所在など、様々な問題が未解決だ。

ただ、それでもビデオにとって可視化を進める方向に行かないと、とにかく身柄拘束して自白調書をとろうと無理を重ねる傾向は、いつまでたってもなくならないと思うよ。

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2004/07/24

取調べの可視化と白骨温泉

 法務省(警察)は取り調べの可視化に強硬に反対し抵抗している。裁判所もこれに物わかりがよいのだが、法務省(警察)の言い分はよく分からない。
 取り調べが録画・録音されると被疑者が真実を語らないとか、膨大な費用と手間がかかるとかいわれているが、費用と手間は技術の問題である。デジタル情報保存技術を活用すれば、少なくとも保存可能期間を除けば、問題はない。
 これに対して取り調べ過程が可視化されると、被疑者が真実を語らなくなるのはどうしてだろうか?
 弁護士側は、暴行脅迫、無理強い、利益誘導などの不当な取り調べがなくなると主張しているが、おそらくはそのような不当な取り調べをしているとは法務省(警察)側は認めないのだろう。
 ただ、優しい顔をしていれば真実を語らないし、ある程度強くでることも必要だということくらいはいうので、何をもって不当というかの認識の違いはあるのかもしれない。
 でも、不当でないと考えているのであれば、可視化されて法廷に顕出されることも拒む理由はないと思うのだが。

 そこで思い出すのは白骨温泉の入浴剤事件である。
 最初に聞いたときは、さもありなんと、よくある話でばれたのは運が悪かったのだろうくらいに思っていたが。
 しかし最初の方のニュースに出てきた人は「反省してる」というくらいで、あまり悪びれてもいなかったから、そんなもんだろと思っていた。
 ところが、やはり大人になりきれていないというか、ばれても隠してしまう人というのはいるのだ。テレビ撮影用に一日だけやりました、なんてばれるに決まっている嘘を、それもばれたときは信用を決定的に落とすと知りつつ、ついてしまう。

 要するに、ばれたらまずい、世間様に公開することはできないという意味で「悪いこと」だとは思っているが、ばれなければオッケー、悪いことをしているわけではないもんねー、という意識があるのだろう。
 まあ、そういう場面はあるだろう。被害者がない違法行為とか、第三京浜を170キロで駆け抜けたとか、仲間内では自慢するけど世間に公開はしないといことはある。
 しかし、取り調べの公開できない部分とか、温泉宿ぐるみでやっている入浴剤での調整などは、その外側に騙されたり、踏みつけにされた被害者が存在する。ばれなければオッケーなのは、自分たちだけである。

 情報を公開するかしないか、組織の中にいるとどうしても公開しない方向がデフォルトになりがちで、しばしば「どう使われるか分からない」とか「誤解を招く」とかいって情報を公開しないことを正当化しようとする。
 しかしその背景には、青天白日の下にさらすことができない後ろめたさが潜んでいることが多い。つっこまれたら困るというのも、対応が大変だというだけでなく、どこか誠実な対応ができなくなる自信のなさが伴っているのだ。

 そのあたりの感覚(眉につばを付けるといってもいい)が、メディアリテラシーの一要素ではないかと思う。

なお、白骨温泉は営業を停止しているようだが、入浴剤を入れないお湯で堂々と営業すればよいと思うのだが。嘘ついて隠そうとしたのは格好悪いにしても、温泉は温泉なのだろうから。

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2004/07/22

法科大学院授業(2)

授業はなかなか所期の効果を上げているとは言い難い。

原因はいくつか考えられる。
もちろん授業をする私の能力の問題もあるが、それは度外視すると、まず予備問題に時間が取られすぎた。
基本的な質問を6から8並べているが、基本的というのは簡単ということを必ずしも意味しない。また、基本的であるということは、そこから派生する問題が出てきやすいので、ついつい深入りしてしまう。

設例と判例により理解を深めるのも、部分的になりがちで、まとまりのある学習にするには自学自習に委ねざるを得ないが、教える側としては不安が残る。

また、レポートを毎回出すのも、他の授業の課題と調整しようと思うと、毎回というわけには行かなくなっている。
レポート評価もクラスサイズ10名だから可能だが、50名となれば、毎回レポートを添削して返すことは困難だろう。

教材の作り方にも関係するが、実務との架橋とか、実体法の論点と関連づけは、それほど難しいわけではない。民訴理論など実務を離れては存立し得ない(実務がすべて正しいという意味ではもちろんない)し、もともと実体法理論を前提に論じられている部分が多く、そうでなくとも例はすべて実体私法なのだから。

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法科大学院授業(1)--河合塾KALS 池袋のLS相談会

19日、海の日の、それも猛暑の東京で、法科大学院説明会が開かれた。他の予備校の模試などと重ならなかったらしく、それなりの人出であった。

主な質問は、入試スケジュールや適性スコアからの合格可能性、足切り可能性が多かったが、なかには南山法科大学院の授業の様子を聞いてくる受験生もいた。
先生によるとしかいいようがないが、一応自分の授業(民訴既修10人クラス)を例に、教材(ケースと問題集)を見せて説明した。
まずいくつかの基本設例で裁判所の取るべき措置やその当否を論じることを授業の到達目標として提示。参考とすべき判決とそれに関する質問が用意されているので、それにそって学生にランダムに質問していく。
ときには発展させながら、設例を考える道筋をつけて行き、授業後にレポートとして提出させる。

それだけでは足りないので、指定基本書を読んで答えられるような予備問題を事前に提示し、授業冒頭はそれを質問していく。

これがうまく運べば、ポイントを押さえた予習と判例の発展的理解が可能となり、しかも重要論点はじっくり考えて自分なりの理解が得られるはずである。

しかし現実はどうであろうか。

町村泰貴@foma

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2004/07/21

ADR法のための諸方策

ADR(裁判外紛争処理手続)の拡充活性化を図るための諸方策(案)というの文書が、ADR検討会第35回配付資料として、PDFファイルで公開されている。

ADR検討会は本来の予定である今年の通常国会への法案提出ができなかったが、一応の方向性のとりまとめをもって現在中断している。表だってはパブリック・オピニオンを求めているわけではないが、諸方策に対する幅広い意見を事務局が聴取しているところのようで、その意見を踏まえて、次の会合の予定を立てるということのようだ。

6月14 日段階の諸方策の骨格は、ADRに認証制度を創設し、認証を受けた事業者の手続には時効中断の特例や訴訟手続中止、一部の調停前置の適用除外が設けられる。執行力付与は先送りのようである。

認証を受けた場合も受けない場合も、弁護士法72条との関係はあまりハッキリせず、手続実施者のうち少なくとも一名は弁護士であるか、または手続の重要段階で弁護士の助言が受けられること等の体制が必要とされている。

このような案について、とにかく意見がある方は、ご意見募集にアクセスしよう。

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訴訟救助付与決定に相手方当事者が抗告

最二決平成16年7月13日(平成16年(行フ)第4号)は、訴訟救助を付与する決定に対して、その相手方当事者が即時抗告をする権利を認める判断を下した。

法文上は利害関係人とあるので、相手方当事者はその典型に見えるが、上訴の利益が果たしてあるのかどうかという点で、学説の多くは相手方の即時抗告の利益がないと解していた。
しかし判例は大決昭和11年12月15日民集15巻2207頁や下級審で即時抗告の利益を認めていた。

本決定は、次のように述べて、従来の判例を踏襲した。
「民訴法86条は,同条に基づく即時抗告の対象となるべき決定から,同法82条1項に基づいてされた訴訟上の救助の決定を文言上除外していない。また,訴訟上の救助の決定を受けた者が同項本文に規定する要件を欠くことが判明し,又はこれを欠くに至った場合における救助の決定の取消しについて,同法84条は,利害関係人が裁判所に対してその取消しを申し立てることができる旨を規定している。訴訟上の救助の決定は,訴え提起の手数料その他の裁判費用等についてその支払の猶予等の効力を有し(同法83条1項1号等),それゆえに訴えの適法性にかかわるものであるほか(同法137条1項後段,2項,141条1項参照),訴訟の追行を可能にするものであるから,訴訟の相手方当事者は,訴訟上の救助の決定が適法にされたかどうかについて利害関係を有するものというべきである。以上の点に照らすと,訴訟上の救助の決定に対しては,訴訟の相手方当事者は,即時抗告をすることができるものと解するのが相当である(大審院昭和11年(ク)第575号同年12月15日決定・民集15巻24号2207頁参照)。」

ただし、これには滝井判事の反対意見がある。反対意見は、要するに訴訟費用の担保を求めることができる場合を除き、相手方には即時抗告の利益がないというものである。

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冷凍精子から生まれた子の認知請求

高松高判平成16年7月16日(平成15年(ネ)497号)は、新聞報道などで有名になったように、夫の生前に採取した冷凍精子によって、夫の死後に懐胎した母から生まれた子の、亡父に対する認知請求を認めた。

高松高裁の論理は、まず一般論として次のように述べる。
「認知請求が認められるための要件は,自然懐胎による場合には,子と事実上の父との間に自然血縁的な親子関係が存することのみで足りると解される。しかしながら,人工受精の方法による懐胎の場合において,認知請求が認められるためには,認知を認めることを不相当とする特段の事情が存しない限り,子と事実上の父との間に自然血縁的な親子関係が存在することに加えて,事実上の父の当該懐胎についての同意が存することという要件を充足することが必要であり,かつ,それで十分であると解するのが相当である。」

その上で、以下のように判示した。
生殖補助医療を想定していない認知制度の下でも人工授精等により出生した子を排除するものではない。
懐胎時に父が生存していることは認知の要件でない。
ただし自然懐胎には父の意思が介在するのに、死後の保存精子による懐胎は父の意思に反することもあるので、父の同意を要件とすべきである。
3年の死後認知期間との関係でも不平等とはいえない。

以上の論理について、今更ながら、法的親子関係は血縁による親子関係と概念として異なるということを強く感じる。本件は冷凍保存された精子を介して血縁関係がある父子に認知が認められたわけだが、高松高裁の論理によっても、冷凍保存精子が死後に使われることに父が生前同意を与えていなければ、血縁関係があるにもかかわらず父子関係は認められないと言うことになる。
本件事案では、父は、冷凍保存する際の同意書に、父が死亡したら冷凍精子は廃棄するとの条項があったにもかかわらず、妻にも両親にも、自分が死んだら保存精子で子供を作ってくれと頼んでおり、これが本判決の言う同意と評価された。
微妙な事案ではあるが、少なくとも私の常識には合致する判断である。

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破産法改正関連文献

破産法が全面改正されたが、その紹介解説がなされている文献は、現時点でまだ多くはない。
目についたものとしては、以下のものがある。

別冊NBL破産法新旧条文
三省堂破産法新条文
四宮章夫ほか『一問一答破産法大改正の実務』
NBL連載「新破産法の解説」
同「集中連載・新破産法の実務展望」

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2004/07/20

謝罪広告は憲法19条にも21条にも違反しない

最高裁平成16年7月15日は、謝罪広告が憲法違反だという上告に対して、次のように述べた。

「所論は,憲法19条,21条違反をいうが,謝罪広告を掲載することを命ずる判決は,その広告の内容が単に事態の真相を告白し陳謝の意を表明するにとどまる程度のものである場合には,憲法19条に違反しないことは当裁判所の判例とするところであり(最高裁昭和28年(オ)第1241号同31年7月4日大法廷判決・民集10巻7号785頁),また,上記の程度の謝罪広告を命ずる判決が憲法21条に違反しないことは,上記大法廷判決の趣旨に徴して明らかである(最高裁昭和39年(テ)第35号同41年4月21日第一小法廷判決・裁判集民事83号269頁参照)。
 原判決が掲載を命じた謝罪広告は,単に事態の真相を告白し陳謝の意を表明するにとどまる程度のものであることが明らかである。論旨は採用することができない。」

憲法19条とは、思想信条の自由であり、これは判決文でも引用されているように先例がある。
今回の判決は、憲法21条の表現の自由に謝罪広告を命じることが侵害となるかどうかが問題となった。

上記の判決文では、ほとんど理由らしい理由が書かれていない。従って、その実質的な根拠や、「単に事態の真相を告白し陳謝の意を表明するにとどまる程度のもの」を越えて思想信条の自由や表現の自由の侵害となるような謝罪広告があるのかどうか、あるとしてどういう場合がそうなるのかは、この判決から明らかにならない。
憲法学者の仕事である。

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2004/07/19

Winnyの記事−NBL

NBL=New Business Lawという雑誌789号の惜字炉という欄に、Winny開発者の逮捕起訴に関するコラムがある。

その趣旨は不鮮明だが、全体としてはどうやら、現在の刑法理論の下で、開発者の幇助行為と正犯の侵害行為との間に相当な因果関係が認められるとはいえないとしつつ、それではよくないので新たな共犯理論が求められているということらしい。
しかしながら、新手の著作権侵害行為といっても、送信可能化権侵害を刑事処罰した時点で、ネットによる著作権侵害行為にはほぼ網を広げ尽くしたのではなかろうか?
Winnyの開発それ自体は著作権侵害行為ではないが、それをも共犯として検挙できるような解釈をしたら、インターネット関連のコミュニケーションツールの開発など危なくてできなくなってしまうというのが問題なのだが、共犯理論自体も新しくして正犯との因果関係がはっきりしなくてもとにかく役立てば幇助とするのがよいというのだとすれば、随分乱暴である。

ネット時代における、著作権保護のための新たな課題という表題からは、デジタルネットワークを前提に「複製権」中心の著作権のあり方を見直す方向が予想されるのだが、そうした識見は感じられない。
NBLのこれまでの記事にも、そうしたニュアンスの記事は多く掲載されていたので、惜字炉作者もNBLのバックナンバーを読んで勉強してもらいたいものである。

その一方で、「素人目には、この開発者がなぜ著作権侵害の教唆ではなく著作権侵害の幇助で罪が問われているかに疑問が集中しているように見える」とも指摘している。
この一文も最初と最後とがうまくかみ合っていないような気がするが、ともあれ幇助事案より教唆になじむ事案ではないかという指摘であろう。

私もこの欄で新聞報道を前提に無責任なことを書いたりするが、上記の教唆ではないかというコメントの前提には「新聞報道によれば、この開発者は、自らが開発したファイル交換ソフトを利用して著作権侵害を行うように、ネット上で第三者に対して広く発言を繰り返していた」という認識がある。

え゛、新聞ではそんなことまで書かれていたのか、と驚いてしまうのだ。

新聞でも、ネットでも、47氏が著作権の考え方を覆すという趣旨の発言をしたとか、著作権侵害を蔓延させるという趣旨の発言をしたとか言われている。
しかしWinnyを開発して、「さあみなさん、著作権侵害のファイル交換も捕まる心配なくできますよ」といったとは伝えられていない。かえって著作権侵害をしないようにとの注意がお約束で付けられていたということだ。
またそもそもどこまでが47氏の発言なのかは必ずしも明らかでないので、著作権侵害を蔓延させるといった趣旨の発言も真相は不明である。

ともかく、「自らが開発したファイル交換ソフトを利用して著作権侵害を行うように、ネット上で第三者に対して広く発言を繰り返していた」という新聞報道は見たことがないと思うのだがどうだろうか?

NBLの権威を傷つけるコラムと言うべきである。

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裁判員模擬裁判

7月17日と18日に、南山法科大学院では裁判員制度を用いた模擬裁判を実施した。

17日はオープンキャンパスの一環として、高校生が中心となって80人くらい集まり、18日は愛知サマーセミナーの一環として、一般の方々、家族連れなどで40人くらい集まった。ほとんど宣伝活動をしなかった(できなかった)割には、それなりに人が集まったといえよう。

裁判員は参加者の中から抽選で選ばれる。誰が選ばれるか分からないので、最後まで参加できるかどうかも確かめるなど、裁判員選定手続が実質的に機能した。
その裁判員に選ばれた高校の先生が、こういった制度について高校ではまったく情報が入ってこないと、問題点を指摘されていた。弁護士会も裁判所も、それなりに啓蒙活動に力を入れているところだが、まだまだ努力が不十分であり、模擬裁判のような形で裁判員体験を積み重ねていかなければならない。
パンフの配布でお茶を濁すのではまったく足りないというべきであろう。

とはいえ、啓発活動はこれからだろう。法廷の構造や裁判員の法廷での着席位置などが決まらなければ模擬裁判もできないので、それらが決まってから裁判所を使った模擬裁判が盛んに行われることを期待したい。

最高裁の裁判員制度サイト
日弁連の裁判員制度サイト
法務省の裁判員制度サイト

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2004/07/16

ゴー宣名誉毀損事件最高裁判決

かねて話題のゴーマニズム宣言関連で、「ドロボー」という表現を含む記述を、最高裁は法的な見解であって意見論評に属するものだと認めた。
最判平成16年7月15日

見解ないし論評だということになると、名誉毀損の免責要件は以下のような一般論で判断される。
「その行為が公共の利害に関する事実に係り,かつ,その目的が専ら公益を図ることにあった場合に,上記意見ないし論評の前提としている事実が重要な部分について真実であることの証明があったときには,人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱したものでない限り,上記行為は違法性を欠くものというべきであり,仮に上記証明がないときにも,行為者において上記事実の重要な部分を真実と信ずるについて相当な理由があれば,その故意又は過失は否定される」

このように意見の前提となる事実の真実性は問われるが、意見自体の真実性は問われないし、正当性とか合理性も問われない。
「意見ないし論評については,その内容の正当性や合理性を特に問うことなく,人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱したものでない限り,名誉毀損の不法行為が成立しないものとされているのは,意見ないし論評を表明する自由が民主主義社会に不可欠な表現の自由の根幹を構成するものであることを考慮し,これを手厚く保障する趣旨によるものである。そして,裁判所が判決等により判断を示すことができる事項であるかどうかは,上記の判別に関係しないから,裁判所が具体的な紛争の解決のために当該法的な見解の正当性について公権的判断を示すことがあるからといって,そのことを理由に,法的な見解の表明が事実の摘示ないしそれに類するものに当たると解することはできない。」

問題のドロボー発言を含む小林よしのり氏の表現だが、ポイントは二つである。一つはこれが法的な意見ないし論評に属するということ、もう一つはこれが「人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱したもの」かどうかということだ。
第一の点は、漫画のカットを多数転載した事実を前提に、これは著作権侵害だから法的手段をとると表明しているので、意見に属するといってよいであろう。
問題は後者で、人をドロボー呼ばわりするのはどう考えても人身攻撃そのものである。最高裁がこの点を逸脱していないと判断したのは、次の指摘が重要だ。

「被上告人は,上告人小林を被上告人著作中で厳しく批判しており,その中には,上告人小林をひぼうし,やゆするような表現が多数見られることなどの諸点に照らすと,上告人小林がした本件各表現は,被上告人著作中の被上告人の意見に対する反論等として,意見ないし論評の域を逸脱したものということはできない。」

結局、人を攻撃して誹謗し、揶揄する表現を使えば、その反論もある程度は攻撃的な表現が許されるということである。
もちろん程度問題があるが、名誉毀損の評価が、問題の発言だけを孤立してとらえて評価したのでは正しい評価ができないということを示した点で、重要な意義がある。

トラックバックのほか、関連するブログ
ぶろぐるまりもくん
ふくすけのひとりごと

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キャンパスに神社のある国立大学

大学キャンパス内に神社があるというのは、一部のそっち系大学で時々見られる。しかし国立大学にも神社をキャンパス内に抱えているところがあるとは知らなかった。

信州大学といえば、法学部はなくとも法科大学院はやろうと申請しているチャレンジングな大学だし、それ以外でも大学改革で目立っている大学だ。

その信州大学のキャンパスには神社があるそうな。
そしてなぜか帝京大学の先生が、信教の自由を害されたといって損害賠償を求めるとともに、その移転を求めたらしい。らしいというのは新聞記事を頼りにしているので、不正確かもしれないからだ。

さてこの訴えは認められただろうか?

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2004/07/14

パリ祭ouかとおず・じゅいえ

今日は一応フランス革命記念日だ。

フランス革命のことは大仏次郎の著作が秀逸イチオシだが、今でも売っているんだろうか?
なにしろ四半世紀以上前に読んだ切りだから。


町村泰貴@foma

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燃え尽き症候群

ブロガーに蔓延する「燃え尽き症候群」と題するホットワイアードの記事だが、一種の自然淘汰なんだろうなぁ。

ニフティのフォーラムでもMLでも、数知れず目撃してきた現象だ。
ま、私にはどう転んでも無縁の話だけど。

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2004/07/13

のだめコミュニティ

のだめ、知っている人は多いのかもしれない。
Kissで連載されている二ノ宮知子さんの「のだめカンタービレ」のことだ。

最近単行本ではまった私だが、仕事からの逃避行動でふとグーグル窓に「のだめ」と入れてみた。すると、あるわあるわ、のだめのサイトがたくさん。

☆ のだめカンタービレ同盟
 ここではBBSを楽しませて頂いた。千秋のバナーがキュートである。

Capriccioso Cantabile
前田葉月さんのこのサイトでは、MIDI によりのだめに出てくる音楽が試聴できたり、好きなキャラ、話、曲に投票してコメントを見たりできる。完成度が高いサイトだ。

のだカン
このサイトは何があってものだめの味方をするのだそうだ。イラストは別の漫画家さんの絵をイメージしてしまうが、吉田まりんさんの絵なのだろうか?

ほかにも色々サイトがあるし、二ノ宮さんのオフィシャルサイトにある制作ノートも楽しめ過ぎて、気がついたら朝、となりそうで怖い。

もう仕事に戻らないと、明日がつらいのでここまで。
のだめコミュニティ発見報告終わり。

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受動喫煙で雇い主に賠償命令

読売新聞朝日新聞によれば、江戸川区の職員が受動喫煙で健康被害を受けたとして30万円の賠償を求める訴えを提起し、裁判所が5万円の賠償を認める判決を下したそうだ。

区が、原告の席を喫煙場所から遠ざけるとか、自席での喫煙禁止を徹底するなど速やかに必要な措置を執るべきだったにもかかわらず放置したと認定されたのだ。
5万円というのは慰謝料である。

これは極めて画期的な判決であり、いわゆる健康増進法の禁煙・分煙促進と相まって、タバコの煙に悩まされない環境が期待できるようになるだろう。

今のところ、タバコの臭いにおいでイヤだなと思う場所は、路上(タバコ吸いながら人の前を歩くな!)、コーヒー屋(分煙してくれー)、新幹線の喫煙車両に近い禁煙車両座席(喫煙車両の換気を良くすればいいんで、窓に数カ所穴でもあけてはどうか)ぐらいに限られてきた。
しかし職場で分煙が進んでいないところでは、この判決をプリントアウトして雇い主の見えるところにベタベタはっておくことをお奨めする。

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通信事業者への八つ当たり(続)

NetWindさんにトラックバックされたので、トラバ返ししよう。

昨日は通信事業者への八つ当たりと題してヤミ金の脅迫的な電報を受け取った被害者が電報事業者を訴えて敗訴した話を紹介し、検閲しなかったといって責任追及するのはあきれ果てると書いた。

これに対してNetWindさんは、「あえて」として、さらに一歩考察を進めてくれている。正確には当該ページを見てほしいが、私の理解した限りでは、弁護士が当事者の代理人となって訴えることが当事者の意思に基づいてる限り、弁護士がフィルターをかけるべきじゃない、間違った訴えなら裁判所が最終的に判断するのだし、裁判所が誤った判断を下せば世間の批判にさらされる、そうやってトータルに自律的な正しさを維持していくべきものではないか、という主張である。

ほぼ賛成で、少し脊髄反射的なエントリだったかなと反省しないでもない。
ただ、二点ほど指摘しておきたい。

一つは、NetWindさんの主張の中には、裁判所が判断者として振る舞いつつ、世間からの掣肘を受ける仕組みになっている。私は、弁護士も同様に判断者として振る舞う存在だと思うのだ。確かに当事者の代理人だが、他方で社会正義とか基本的人権を尊重する存在としても期待されており、その判断には自ら責任を負わなければならない。
この点は弁護士倫理の基本問題である。答えは出ていない。正義に悖ると思われる訴訟を依頼されたとき、弁護士はどうすべきか?
私の考えでは、信念や趣味に反するとして断るのも一つの答えだし、受任しつつ正当な主張になるように努めるのも一つの答えだ。商売と割り切って何でも受けるのも、違法行為にわたらない限り許される(弁護士倫理の枠はある)。個々の弁護士はそのいずれの行動も選ぶことが出来るし、かつ、その選択で少なくとも事件を受任する場合はインフォームド・コンセントを尽くさなければならない。そしてその判断には、他からの批判にさらされるという形で責任を負うのだ。

もう一つ、今回の場合は当事者本人の判断というより弁護士の判断だと思うが、弁護士の判断によって訴えを提起することは、それ自体として人を傷つけたり、萎縮させたりといったリアクションを引き起こす。もちろんそうした副作用はあっても、主張すべきことを公開の討議の場に持ちだして裁判所の判断を求める自由は最大限に尊重されるべきだ。しかし、ものには限度があって、どこかで濫訴と評価される領域がある。
今回の訴えは、通信事業者に対して、検閲をしなかったといって責任追及するものだ。弁護士が当事者の主張したいことにフィルターをかけるべきでないと主張する人は、より強く、通信事業者(それもコモンキャリア)が通信当事者の通信に「勝手に」フィルターをかけるべきではないと、いいそうなものだと思う。

ちなみに、ヤミ金なり架空請求なりの対策として、それらの業者からの電報・手紙は取り次がないというのも一つの解決方法であり、被害者からの申し出に基づいて名簿を郵便局に備え付け、その被害者に対しては一定の業者からの通信を遮断するというのも有りかもしれない。
迷惑メール対策でメールサーバ事業者がやっているのと同じであり、また通信の自由といっても相手方に受領させる権限まで含むわけではないだろうから、法的にも問題はなさそうだ。郵便局版フィルタリングサービスというわけだ。

しかしそうなると、ヤミ金とかに限らず、イヤなやつからの手紙や電報、電話を取り次いでくれるな、という形で利用されるかもしれない。職場からの連絡はお断りとか、編集者からの連絡はお断りとか、引きこもり気味の大学の先生なんかだと受講者からの連絡はお断りとか・・・。
実際スパムを野放しにしたせいでメールの信頼性がすっかり落ちたように、ヤミ金や架空請求の横行が郵便や電話などのネットワークの信頼性・有用性を台無しにする日も近いような気がしてきた。

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2004/07/12

通信事業者への八つ当たり

世の中めちゃくちゃな話があるものだが、これはもはや電波系の域に入っているのではないかと思っていたら、まあ無事請求棄却となったらしい。

何の話かというと、ヤミ金の脅迫的な取り立て電報を受け取った被害者が、電報配達業者のNTTを訴えたという件で、7月7日に大阪地裁で判決があり、「電報に脅迫的内容が含まれていると分かった場合は受け付けや配達を拒否するべきだ」との主張は退けられた。

ここまであからさまに検閲を要求し、検閲義務を怠ったといって責任追及する人々にはあきれ果てると思っていたが、こうした主張は決して少数意見ではないらしい。

先日の消費者行政関連の集まりで聞いた話では、不当請求はがきについても、郵便局で配達しないように差し止められないかという意見が「まじめに」出ていたし、郵便局に申し入れて断られた人までいた。

電子メールでも、受信側メールボックス管理者は大量スパムやウイルスメールでメールボックスの維持管理に支障を来しつつあるが、そうなると送信側メールサーバーの管理者にフィルターをかけろと圧力をかけたくなる。機械的に大量送信などのメルクマールでフィルターするのであればまだしも、スパムかどうかを実質的に判断していこうとすれば、限りなく検閲に近づくことになる。

えーと、先のヤミ金電報事件も原告側弁護士さんに知り合いがいたりすると、気まずいことになるが、なんでも試してみればよいという調子で実行しては、消費者の権利にフレンドリーな層の信用を貶めることにもなりかねない。
現にヤミ金電報事件の提訴では、消費者法に熱心な法律家全体の評判が落ちたことを明らかにしておこう。

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珍宝奇法

アメリカの連邦議会上院で、同性愛カップルの結婚を禁止する憲法修正案が審議入りしたそうだ。

なんというか、色々な意味で面白い話である。

1)憲法で禁止しないと、同性愛の「結婚」が法的にも出来てしまうらしい>サンフランシスコやニューヨーク州の一部町村
2)同性愛を禁止するのは宗教的理由であろうと思うが、アメリカ流の政教分離には反しないのか?
3)連邦レベルで統一しなければならない問題なのか?
4)日本の改憲論議では同性婚禁止など出てこないと思うが、よく日本国憲法を見てみると、解釈によっては既に禁止されているともいえる。>24条。もちろん単に想定されていないだけなのだが。

追記(2004.7.19) 先日の報道によればこの珍法律案、さすがに審議されなかったそうだ。
ブッシュは未練あるようだが。

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氏名不詳人の裁判

全国を渡り歩いている氏名不詳人が三度目の裁判にかけられている。

一度は古川簡裁で2001年に餅菓子の窃盗、2001年には山口地裁でチョコレートなどの窃盗、そして今度は横浜地裁でキャラメルなどの窃盗で、山口では実刑判決を受けたらしい。

そしてその三度とも、氏名住所を明かさず、氏名不詳人のままでいるとのこと。
生体認証(というか要するに指紋)で同一性が特定されているのだろうが、名前に変わる識別符号はどうなっているのか、興味深いところである。

匿名性というとインターネット、インターネットで匿名のまま情報受発信をしている場合、メールアドレスやIPアドレスなどが識別符号とされることがある。IPアドレスは簡略化していうとコンピュータの識別符号なので、利用者の手がかりとなるにすぎないが、メールアドレスはメールサーバ運用者との契約に基づいて付与されるので、一応観念的には利用者本人の識別符号となる。もちろんofficeとかinfoとかadminとかは多数人が共通して使用するボックスあるいはアドレスだが、これは個人名ではなく事務所名に相当する。個人アドレスでも複数人が共同使用していたりすることはあるが、リアルな名前でも藤子不二雄のような場合があるから、まあおかしなことではない。

メールアドレスは一人でいくつもあったり、何時失効しているかわからないなど、うつろいやすい存在であるが、送達の効力のあり方を考えると、使えない存在ではないような気がしてくる。

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2004/07/11

二大レクィエム

名古屋のしらかわホールで、フォーレとモーツァルトのそれぞれのレクィエムを聞くコンサートがあった。
フォーレは室内楽編成で、一つの楽器の音が個性豊かに伝わり過ぎていたが、ケンブリッジクレアカレッジ合唱団のハーモニーは見事だった。
ソプラノのジュリエット・フレーザーの宗教色あふれるソロも楽しめた。

モーツァルトのは趣がまるで異なるので、戸惑ったかもしれないが、合唱団の迫力は十分発揮されていた。
ヴェルディのレクィエムを買かって帰かえろう。

町村泰貴@foma

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選挙の悩み

選挙である。
結果が気になるところだが、自分の投票でも悩ましい決断だった。

というのも、法律家として一目置くべき人が立候補しており、普通なら文句なく投票するのだが、その人はある組織のリーダーとなっており、その組織自体は衰退の一途をたどっている。今のリーダーはやむを得ずリーダーの役を引き受けて果たしているが、どう見ても生き残るのは無理そうであり、しかもそのリーダーが政治家となる前の主義主張と今のその組織の主義主張とは必ずしも一致しているわけではない。
ここでそのリーダーが落選すれば、その組織にとっても致命的なのだが、それはともかく、本来は合わないリーダー役を遠慮なく降りることができる。そうなればその人は法律家としてカムバックできるだろう。
その方がその人のためであり、また世の中のためでもあるような気がする。

それにもかかわらず、投票すべきだろうか?

当選してしまえば、また6年間、衰退する組織の中でリーダーとしての苦しみを味あわなければならないのだ。
うーむ。

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PBを外付けHDに

妻のノートパソコン(PB G4)が立ち上がらなくなった。
OSXのインジケータは通過してデスクトップとドックが表示されるところまでは行くのだが、そこからループしてしまう。

あわててマックセンターに駆け込んだのだが、そこで知った新事実!
tのキーを押しながら起動すると、ディスクモードとして立ち上がりファイアワイヤー(iリンク)で他のパソコンの外付けハードディスクとして利用できるではないか!
むかし、パワーブック2400を使っていたときはSCSIでつないで他のパソコンのハードディスクにできるのがすこぶる便利だったが、G3になってからはすっかり忘れていた。

これでノートが立ち上がらずともデータは吸い出せるので安心、安心。

もう一つ、オプションキーを押しながら起動すると起動ディスクをHDとCDと選択する画面になる。これも便利そうだ。
ただし、妻のPBはなぜかCDから起動できないのだが。

いずれにしても、こんな簡単なこと、しかも以前は当たり前のように使って重宝していた機能を、今もできることを知らずにいたのは衝撃的だった。
なぜ取説にかいておかないかな〜>apple

冷静に考えれば、iPodを外付けとして職場と自宅を移動することにした私としては、またノートでの仕事が苦にならなくなった現在、トラブル時以外にPBを外付けハードディスクにすることはなさそうではあるのだが・・・。

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2004/07/07

共同相続人の間で相続人の地位不存在確認

表記の訴訟は相続人の全員による固有必要的共同訴訟であるとの最高裁判決が出た。

最高裁ホームページより最判平成16年7月6日

 1 記録によれば,本件の概要は,次のとおりである。
 (1) A(以下「A」という。)は,平成9年3月14日死亡した。その法定相続人は,妻であるB並びに子である上告人,被上告人,C及びDである。
(2) 上告人は,被上告人がAの遺言書を隠匿し,又は破棄したものであり,被上告人がした上記行為は民法891条5号所定の相続欠格事由に当たると主張し,被上告人のみを被告として,被上告人がAの遺産につき相続人の地位を有しないことの確認を求める本件訴訟を提起した。
 2 被相続人の遺産につき特定の共同相続人が相続人の地位を有するか否かの点は,遺産分割をすべき当事者の範囲,相続分及び遺留分の算定等の相続関係の処理における基本的な事項の前提となる事柄である。そして,共同相続人が,他の共同相続人に対し,その者が被相続人の遺産につき相続人の地位を有しないことの確認を求める訴えは,当該他の共同相続人に相続欠格事由があるか否か等を審理判断し,遺産分割前の共有関係にある当該遺産につきその者が相続人の地位を有するか否かを既判力をもって確定することにより,遺産分割審判の手続等における上記の点に関する紛議の発生を防止し,共同相続人間の紛争解決に資することを目的とするものである。このような上記訴えの趣旨,目的にかんがみると,上記訴えは,共同相続人全員が当事者として関与し,その間で合一にのみ確定することを要するものというべきであり,いわゆる固有必要的共同訴訟と解するのが相当である。

今忙しいのでコメントはまた後日

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2004/07/05

消費者団体訴権、損害賠償の必要性

消費者団体訴権の制定に向けて、内閣府の小委員会が活動している。
消費者の窓というサイトで逐次資料などが発表されるが、ニュースによれば、今回は消費者団体などにヒアリングがなされ、日弁連は次のように述べたそうだ。

「消費者基金」を設立し、不当な利益を得た事業者に損害賠償金を支払わせる制度をつくるよう提案。さらに、基金に集まった資金は消費者団体の訴訟費用などに充当すべきだとした上で、企業と消費者が結んだ約款の不当条項や、不当な勧誘を差し止める必要性も訴えた。(2004- 7- 2共同)

ところでその同じ日には、次のようなニュースがでている。
イデアル製薬という会社が、昨年11月から12月にかけて、健康食品「エス・スタイル」(1セット1万2800円)を紹介するチラシ2020万枚を配布し、その中ではスチュワーデスと称する女性らの「自分に甘い私にも簡単にダイエットできた」「満足度100パーセントのダイエットに成功」などと体験談を載せて、昨年12月から今年3月にかけ約1億7700万円を売り上げたという。
公正取引委員会の報道発表に詳細がある。

問題は、このような詐欺まがいの商法によりかき集めた利得は、全額プラス取り立てのための弁護士費用プラス慰謝料とともに、購入した消費者に返させるべきであるにもかかわらず、そのための実効的な手続がないということだ。
アメリカであれば、クラスアクションにより、被害を受けた消費者が除外を申し出ない限り、クラス代表者が全消費者のために賠償請求訴訟を提起し、返還を求められる。その上に懲罰賠償ということにもなるのだが、それはさておいて、イデアル製薬のような会社に対して、不当な広告で得た「売り上げ」(利益ではない)を全額返還請求できるクラスアクションのような制度があることが、正義に適うことには異論がないだろう。

そこで日本では、クラスアクションにアレルギーが強いので、大陸法型ともいうべき団体訴権を導入するべく作業が進んでいる。そして差し止め訴訟は導入しそうな感じがあるのだが、消費者の受けた損害を団体が訴訟で賠償請求するために制度は、どうも二の足を踏んでいるようである。
これでは結局、イデアル製薬のような会社は野放しとなる。

もちろん公正取引委員会は課徴金を取り立てることになるだろうが、誇大広告で詐欺まがいの利益を上げている起業がすべて公正取引委員会で制裁され、利益を剥奪されているわけではない。要するに公取だけでは不十分なのだ。
従ってこのような場合には、消費者団体が、少なくともその構成員のために、団体訴権として損害賠償を請求できる制度の導入が必要である。

ネックとなっているのは、団体が請求した損害賠償請求権を、その本来の権利者である消費者にどう分配するかで、加えてクラスアクションのような制度にしてしまうとどうしても判決効や手続保障の面でネックが生じる。
日弁連の案では消費者基金を創設することにして分配の手間は省いているのだが、それでも消費者個人の有する損害賠償請求権を団体が行使するのであれば、判決効・手続保障が問題とならざるを得ない。

これを克服するには、賠償請求の主体となる消費者を、少なくとも口頭弁論終結時までには確定する必要があり、そうすると団体訴権を認めるメリットは大幅にそがれるとされる。
しかし、それでも団体がイニシアティブを取ってイデアル製薬のような企業から利益をはき出させる途があるということは大きなメリットである。

是非とも、損害賠償請求の可能な団体訴権制度の実現を望むものである。

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2004/07/03

Winnyシンポ-本質からはずれた感想

Winnyシンポでは色々な話が聞けて、楽しかったが、本来のWinnyに関する議論でないところで気にかかったところがある。
九州大学のネットワーク管理者の先生が発表されていた、管理者の側から見たP2Pへの対処についてである。

記憶の限りでは、次のような内容が語られていた。
P2Pソフトによるファイル交換で著作権団体からのクレームがあり、対応を迫られている、それも大学執行部の方からの対応要求が厳しく、情報処理センター(に相当する管理担当機関)だけの判断では済まない状況になっている。
それに対してP2Pソフトによるファイル交換はどのようなファイルが交換されているか実際に見てみないと分からないが、P2Pソフト利用自体は検出可能である。リスク管理という点からも、P2Pソフトの利用を制限または禁止する方向での検討がなされていた。
トラブル対応という点でも、大学のネットワーク管理者の先生は研究者であり、ネットワーク管理の仕事に専念しているわけではないのだから、その仕事量をなるべく増やさない方向での対処が必要だ。

以上に対して疑問が一つ。大学のネットワーク管理は研究者が片手間でできる仕事か? 片手間であることを前提に管理のあり方を決めるのは考える筋道がおかしい。
本来であれば、保守管理といった側面も、情報倫理の面も、専門部署があってしかるべきであり、とりわけネットワーク利用者の送受信する情報の中身に関わる部分を扱うのは極めてデリケートであって片手間に済ませることは困難である。
片手間に済ませようと考えるから、問題の多いソフトは使わせないようにしようと、投網をかけるような規制を安易に取りがちである。その結果は盥の水と一緒に赤子を流すことになる。

確かにいつも新しい管理部署に予算をつけることは困難で、専門家が従来管理を引き受けてきた以上は、そこにプロボノをお願いすることになりがちだが、例えば個人情報管理体制については新しく予算を回さざるを得なくなっている。大学のインターネット資源も、元々の学術的実験ネットワークから営利利用もできる実用ネットワークになったのである。新しい仕事を始めているのであるから、新しいコストがかかるのは当然である。

#大学のインターネットが営利利用されることを、SIネット関係者は認めたがらないが、大学自身が受験生集めの道具としてフル活用している現在、学術ネットワークの非営利性というのは全くの虚構にすぎない。

##つい力が入ってしまうのは、やはりご多分に漏れず、研究室からP2Pソフトの利用をデフォルトで排除しようという安易な姿勢が身近なところでも発生しているからだ。全く困ったものである。

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