田中実・カルロ・シゴニオ民事裁
田中実・カルロ・シゴニオ「民事裁判について」覚書--16世紀人文主義者によるローマ民事裁判素描
法政研究70巻4号1205頁
副題にあるように、16世紀の人文主義者によるローマ裁判制度の叙述を紹介する。非法律家が非法律文献を用いて、しかも人文主義に基本的視点をおいたローマ法制度研究という点で、イエーリング等に対する批判的視座が得られるという。
町村泰貴@foma
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田中実・カルロ・シゴニオ「民事裁判について」覚書--16世紀人文主義者によるローマ民事裁判素描
法政研究70巻4号1205頁
副題にあるように、16世紀の人文主義者によるローマ裁判制度の叙述を紹介する。非法律家が非法律文献を用いて、しかも人文主義に基本的視点をおいたローマ法制度研究という点で、イエーリング等に対する批判的視座が得られるという。
町村泰貴@foma
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コメント
◆ 日弁連機関誌・『自由と正義』は 次の投稿の掲載を拒否しました。
最高裁にものおじして・・・自由な発言が出来ない今の日弁連の
驚くべき・なさけない出来事として報告します。
【上告受理は最高裁の全くの自由裁量であるのか?】
弁護士 美和勇夫
はじめに
1 上告が受理される判断基準は何か?
2 国家賠償裁判による問題の提起
3 再審の訴えも受理されず
4 上告受理が覊束裁量とされる場合はないのか?
はじめに
元最高裁判事の滝井繁男弁護士(大阪弁護士会)は自由と正義・平成19年3月号「ひと筆」で次のように言われる。
上告審に持ち込まれる年3500件の民事上告事件は、民訴法改正で上告受理申立理由が制限されていることを理解されずになされているものが大半である。
改正民訴法は、「最高裁としての法令解釈を示す必要があるもの」に限って受理申立を許して判断を示すのだから、〔上告受理申立事由〕が正しく理解されていれば、上告事件は激減するはずである。
上告受理要件を理解しない濫上告が増えることで最高裁は激務となり、「まだ最高裁がある」という上告人の叫びへの最高裁の具体的救済機能の途が閉ざされてしまいかねない。
改正民訴法は上告理由を大幅に制限し、
『最高裁としての法令解釈を示す必要のあるもの』に限って上告の受理を受けてその判断を示すこととした。
法律に則して言えば、民訴法318条の「法令の解釈に関する重要な事項を含むものと認められる事件」が上告受理事件になるということである。
1 上告が受理される判断基準は何か?
それでは最高裁は、「濫上告不受理事件」と「上告受理事件」をいかなる基準で区別
するのであろうか?
法務省民事局参事官編集の「一問一答新民事訴訟法」によれば民訴法318条の受理ケースとして次の3つがあげられている。
① 最高裁の判例がない解釈問題について最高裁の判断を
示すべき場合。
② 最高裁の従前の判例を変更すべき場合
③ 高等裁判所の誤った法令解釈を高等裁判所の判決として
確定させることが適当でない場合。
しかし例えこれらのケースに該当していたとしても、上告受理は最終的には最高裁の全くの自由裁量にまかされているのであろうか?
現在では、すっかり有名になったが、平成16年12月・最高裁第2小法廷から〔火災保険立証責任〕に関するはじめての判決が出されて「火災発生の故意・重過失は保険会社が立証しなければ免責されない」 ことになった。
ところがそれに遡る平成15年1月29日・名地裁が(平成16年・12月最高裁判決の立証責任と同じ法理で)1億5000万円の火災保険金支払いを認めた事件があった。
しかるに平成15年10月28日、名高裁は、平成13年4月の最高裁「生命保険契約に付加された災害割増特約事件」の立証責任論(生命保険の割り増し特約契約部分の保険金請求に関する立証責任を論じたにすぎないもの)を間違ってこの火災保険金請求法理に引用し
『火災保険金請求者側に故意・重過失のなかったことの立証責任がある』として誤った『一審逆転判決』を出した。
(印紙代110万円を払って)数十ページにわたり『名高裁立証責任の誤り』を的確詳細に指摘した上告受理申立をした(最高裁16年12月判決とほとんど同旨)。
当時最高裁の判例はなかったので、当然前記1の①③にあたる場合として「最高裁として火災保険立証責任にかかる初の判断」が示され名高裁に事件を差し戻すものと確信していた。
然るに最高裁第2小法廷はいかなる理由からか(立証責任法理は東京高裁・名古屋高裁で高裁レベル判断が対立していたのにかかわらず)平成16年5月、これを受理しないで不受理事件として一件落着・確定させてしまった。
この最高裁「不受理事件」の不当性に対し愛知県弁護士会・寺本弁護士の[火災保険立証責任]に関する支援投稿論文が判例時報平成16年11月11日号に大きく掲載されて識者の注目をあびることとなった。
この立証責任論文は16年5月上告不受理事件の上告理由を基礎にして敷衍された同一の論旨であった。
その1ヶ月後の平成16年12月、同じ最高裁第2小法廷は(今ではすっかり有名事件となったが)「大阪高裁火災保険上告事件」を受理して、免責の立証責任は保険会社側にあることを確認するに至り、最近では自動車物損事故の故意・重過失さえ立証責任は保険会社側にあるという判決が出されるに至っていることは周知の事実である。
しかし世上有名となった平成16年12月の最高裁判決は「大阪高裁立証責任」判断で敗訴した保険会社からの、平成13年4月最高裁判決法理を引用した上告事件を
最高裁がわざわざ受理して大阪高裁の判断が正当であることを追認したものであるが、もともと大阪高裁の立証責任論は正しかったのであるから上記1の③にあたるものでもなく、わざわざ最高裁第2小法廷が受理しなくともよかった事件であり、先行した6ヶ月前の上告こそ受理すべき事件であったことは明白である。
尚、6ヶ月前不受理の名古屋高裁事件・6ヶ月後受理の大阪高裁両事件を対比すると「火災発生並びに保険金請求に至る具体的事案」は殆ど似通っており、両事件の最高裁第2小法廷の担当調査官は同一であった。
名古屋高裁事件を不受理とし、大阪高裁事件を受理するという差別理由は全く見当たらず半年前の名古屋高裁上告事件は単に最高裁第2小法廷の調査官が誤った調査判断(最高裁13年4月・生命保険契約に付加された災害割増特約事件判決法理の引用是認)に5名の最高裁裁判官全員が漫然と従っただけではあるまいか。
2 国家賠償裁判による問題の提起
私は「火災保険金支払いに関する立証責任」に関し最高裁第2小法廷が、最高裁13年4月生命保険契約に付加された災害割増特約判決の引用是認からか、
法令(立証責任)の解釈判断を誤って民訴法318条の上告を受理しなかった責任を追及して、「最高裁第2小法廷裁判官の手落ち」(過失)事件として国家賠償裁判を提起した。
(尚平成16年暮れになって遅れて刊行された平成13年度最高裁判所判例解説には、平成13年生命保険契約の付加割り増し特約判決の射程は、約款上保険事故に偶然性が取り込まれていない火災保険等に及ぶものではないことは明らかであると説明されている。
この判例解説がもう1年早く平成15年暮れに刊行されていれば間違いなく最高裁第2小法廷は上告を受理したであろう)
にもかかわらず、私が提訴した国賠事件においては、「最高裁の不受理」を下級裁判所である1審も2審もなんら不受理判断に手落ちがあったかかどうかの実質審理をすることもなく最高裁の責任を認めなかった。
「最高裁第2小法廷は総合判断をして(16年12月判決の半年前の)あなたの事件の場合は受理しなかっただけである」
という全く説得力に欠ける具体的理由説明のない、簡裁判決によくみられるものと同じたぐいのものであった。
およそ総合判断というからには、何と何を総合して判断をしたのかという総合判断をする「前提事実」があるはずである。
大阪の火災保険事件を代理人弁護士に協力願って入手し、名古屋・大阪の1・2審判決は全部書証として提出した。
(そういう事実はないが)最高裁が総合判断をしたと言うからには、例えば名古屋高裁事件は大阪高裁事件に比べ「きわめて放火くさく立証責任を論ずるまでもない」とか「保険金の一部が未払いであった」・・・とか不受理の総合判断に至ったなんらかの前提事実というものがあるはずなのに下級審はその事実をさぐろうともしなかった。
さぐることを避けたのである。
平成16年5月の上告不受理事件では、当時、東京高裁や名古屋一審勝訴判決が「故意過失のあったことの立証責任は保険会社にある」としていたものを、名高裁が13年最高裁判決を間違って引用して逆の立証責任判断を出したのだから、終審裁判所たる最高裁は1の①③にあたる場合として当然上告を受理してとりあげ、
【最高裁としてなんらかの初の判断】を示すべき場合であった。
年間3500件という民事上告事件の激務故からか上告受理判断につき調査官の過失・全裁判官の見落としがあったとしか言いようがない。
具体的事実をどう仔細に対比しても名古屋高裁事件を不受理とし、大阪高裁事件を受理するという差別理由は全くなく名古屋高裁事件は単に最高裁第2小法廷の調査官の誤った調査判断(最高13年4月生命保険判決法理の引用是認)に5名の最高裁裁判官全員が漫然と従ったとしかいいようがない。
1・2審国家賠償裁判で、調査官の上記2件の「調査報告書」が開示・対比されれば、不受理の理由(総合判断の前提事実)は一目瞭然となるのに国は開示を拒否し、国賠事件担当の下級裁判所はおそれおおいのか最高裁の不受理理由を前向きに審理する姿勢を見せず「最高裁への調査報告書・嘱託の取寄申請」を採用しなかった。
最高裁第2小法廷担当調査官の証人申請も採用されなかった。
なぜ不受理に至る事実を究明しないのであろうか?
最高裁は神聖にしておかすべからずということであろうか。
有名なハインリッヒの法則によると、
「重傷」以上の災害が1件発生したら、その背後には、29件の「軽傷」を伴う災害が起こり、300件ものヒヤリハットした(危うく大惨事になる)傷害のない災害が起きているという。
最高裁には民事・刑事も含め正義にかないながら不幸にして取り上げられる事の無かった事件が他にも多々あるのではないか。
最高裁はそのような調査はしないのであるから【自由と正義】を標榜するわが日弁連をおいて他に実体解明を期待出来る機関はない。
3 再審の訴えも受理されず
大阪高裁上告事件において「最高裁平成13年生命保険契約に付加された災害割増特約事件」の判決法理を火災保険金請求事件に引用することは誤っていることを平成16年12月の最高裁判決がその理由の中で認めたのであるから、
民訴法338条の1項8号の【再審事由】
『判決の基礎となった(名高裁)民事判決が・・のちの〈最高裁〉
裁判により変更された場合』
にあたるとして、
名高裁に16年12月の最高裁の立証責任論に基づきこの事件の 「再審」をしてくれるように求めたのであるが、
13年生命保険最高裁判決の引用判断を誤った当の名高裁は、
名古屋と大阪では事件が異なり、
大阪事件火災保険金請求事件において13年最高裁判決の引用が誤っ ているという判断が示されたとしても、
民訴法338条1項8号の再審事由にあたるものではないとして
『火災保険金請求の再審請求』を受理しなかった。
(しかし名高裁が平成13年最高裁生命保険判決法理を最大の基礎として一審逆転判決を出したことは間違いなく、のちの16年12月最高裁判決がその法理引用の誤りを指摘(変更)したことも間違いない)
最高裁は〔再審請求の上告〕も拒んだ。
かくして、再審も拒否され最高裁不受理の真相はうやむやとなった。
火災保険立証責任・正当法理による事実認定で1億5000万円の一審勝訴を得ながら高裁判断の誤り、最高裁の不受理、高裁再審の拒絶により、110万円という高額の印紙代を取られたあげく、一銭の火災保険金も受けられないという不条理が公正であるはずの法治国家近代日本国の司法の場でまかり通ったことになった。
高裁・最高裁・国・法務省・該国賠事件の解説を執筆する最高裁調査官が関係する判例時報(平成17年4月1日号)までが、
半年前の上告事件は総合判断によって受理しなかっただけだという納得しがたい説明をしている。
これでは「総合判断により死刑に処す」「総合判断により不受理である」という判決理由と同じで、こんな理由を国民の誰が判決理由として納得しようか。
『当、不当の問題はあっても、およそ最高裁が上告事件を受理するもしないも最高裁の全くの自由裁量である』というのが名古屋高裁の判決であった。
4 上告受理が覊束裁量とされる場合はないのか?
最高裁には年間3500件もの民事上告事件があるのだから最高裁には『切り捨てご免の裁量権』もあるというのだろうか。
これでは一体最高裁とは何の為の「終審裁判所」であろうか?
当然上告した。
民訴法318条の【上告受理申し立て】は、
全ての事件について全くの「自由裁量」であるはずはなく、
法務省民事局参事官編集の解説にある上記1の①②③の場合は
「覊束裁量」として受理すべきではないかという最高裁の重要判断を求 めるものであった。
ところが最高裁は、まさに『民訴318条が全くの自由裁量であるかどうかの判断』『318条が新設された際の法務省民事局解説が妥当であるかどうかの判断』を示すべき重要な場合であると思われるのに、
またもこの上告を318条によって『不受理事件』として切り捨てご免と受理しなかったのである。
『318条は自由裁量か覊束裁量の場合もあるのか』が一般の民事事件に絡んでの上告申立であったならば、おそらく最高裁は1の①の事案として受理し初の判断を示したことであろう。
平成17年9月の「最高裁判所裁判官国民審査公報」で、ある裁判官は国民審査に向けて次の如く神妙に述べておられる。
「最高裁は最終審としての判断を示すところであり、その職責の重大性を考えますと、身の引き締まる思いがします。
最高裁に申立をする当事者は、それぞれ特別の思いを持って臨んでいると思いますので、その思いを受け止め、一つ一つの事件を大切に慎重に扱いたいと思います」
はたしてそういう身の引き締まる思いで不受理判断がなされたのであろうか?
最高裁の手落ち・過失を下級裁判所や当の最高裁が裁くこと自体もおかしい。
社長の過失を課長や部長・当の社長が公正に裁けるはずがなかろう。
この上告不受理事件については上告受理事由にかかる民訴法改正を論じておられる学会の大御所等の学者諸氏(ジュリスト増刊1999・11)にも以上の問題点を提示したが、事が最高裁に関わることからなのかわからないがいずれも寂として声がない。
あえて全国の心ある法曹諸氏に民訴法318条上告受理の問題点について一石を投ずる次第である。
投稿: 美和勇夫 | 2007/04/27 22:49