胎児の当事者能力?
法科大学院の授業で持ち上がった問題を一つ紹介する。
胎児には、実体法上権利能力が認められる場合があるので、その限りで当事者能力があるというのが一般的な説明である。
ところが、伊藤眞教授の教科書(第三版第一刷)には、「実際の訴訟行為は、出生後に法定代理人となるべき者によって行われる」とあり、胎児の間に訴えを提起することは認められないように読める(p.91)。民法の内田貴教授の教科書(民法I第二版補訂版p.91)では、もっとはっきりと「胎児の間に母親を代理人として損害賠償請求ができるかは争われており、判例はできないとの立場をとった(大判昭和7年10月6日民集11-2023「阪神電鉄事件」).したがって、生まれてから母親(法定代理人)が代理して損害賠償請求することになる」とされている
しかし、大判昭和7年10月6日民集11巻2023頁は、訴え提起を不適法としたのではなく、胎児の間に戸主が締結した和解契約が胎児に及ばないとしたものであった。しかもこの事案では未認知の子であって戸主に代理権があるとは言い難い事案と理解でる。
仮に法定代理人が胎児のために訴え提起などの訴訟行為をしたとすれば、それが認められるかどうかはこの判決の射程外であろう。
また、民事訴訟法の他の教科書・コンメンタールでは、例えば上田徹一郎教授の教科書では胎児に当事者能力があるとして、胎児が当事者として訴えを提起した後死産であった場合の処理につき記述があり(p.93)、注釈民事訴訟法(1)p.415(高見進)では、当事者能力があって証拠保全や仮差押え仮処分などで実益があり、出生のときに法定代理人となるべきものが法定代理人として訴訟行為をすると書かれている。その引用元である菊井=村松・全訂民事訴訟法Ip.226では、解除条件説の下で「損害賠償、相続、遺贈に関連する事項という特定分野において当事者能力を有するという特殊な訴訟法上の地位にある」とされている。
同様の記述はその後継書にあたる『コンメンタール民事訴訟法I』(日本評論社)p.270でも維持されており、この本の共同執筆者には伊藤眞教授も含まれている。新堂幸司教授の教科書p.120も同旨である。
伊藤教授の教科書も、改めて読み直してみると、91頁には 「実際の訴訟行為は、出生後に法定代理人となるべき者によって行われる」とある。「出生後に」というのが「行われる」にかかると読んで、停止条件説と合わせて胎児の段階では訴え提起ができないと理解したが、もう一つの読み方もできる。「出生後に」が「法定代理人となるべき者」にかかるとするものである。こうすると、より正確には、「出生前の訴訟行為は、出生後に法定代理人となるべき者によって、行われる」ということになる。そして注19は明らかに出生前の訴え提起があり得ることを前提としているので、「出生後に」が「法定代理人となるべき者」にかかると読むのが正しいのだろう。
こうしてみると、少なくとも民訴法上は、胎児が当事者能力を有し、法定代理人によって訴訟行為をすることができるとする説が通説である。
民法上の通説はどうかというと、周知のように解除条件説と停止条件説とが対立しているが、新版注釈民法(1)では谷口知平博士が解除条件説を支持され、星野英一教授の民法概論Iでもかつては停止条件説が有力であったが近時は解除条件説が有力とされている(p.92)。
このように見ると、権利能力については生まれたものと見なし、死産の場合はさかのぼって効力を覆す取り扱いが、実体法上も通説的地位を占めていると思われる。
本題に戻って、胎児による訴え提起が許されるかどうかはどのように考えるべきか。
まず、実体法が胎児に一定の場合に限った権利能力を認めている以上、訴訟上もそのような制限的当事者能力を認めるのが筋である。そして当事者能力があるにもかかわらず、その者を当事者として訴えを提起することができないと解する根拠は、特に見あたらない。かえってそのように解するのは、当事者能力という言葉の定義上、矛盾がある。
大審院の前掲判例は処分権を認めた趣旨とは解し得ないといい、その為の機関もまた用意されていないという理由で、和解による処分ができないとしているが、訴訟行為をする機関としては法定代理人が観念できる。またこの判決は胎児の間になされた和解による権利喪失を否定するという点に主眼があったもので、胎児の権利を保全するための権能を否定する論拠にはストレートに結びつかないというべきである。
訴訟当事者として訴え提起その他の訴訟行為を認めることのメリットデメリットを考えてみても、文献が指摘しているように民事保全や証拠保全、そして最近では訴え提起前の証拠収集処分などを行うことが考えられ、その前提として訴え提起を含む訴訟行為をなす能力、すなわち当事者能力があると認めることのメリットがある。デメリットとしては、胎児の間に提訴してなされた訴訟の結果が、死産の場合は無効となってしまう手続的不安定が考えられるし、相手方の応訴の負担もある。しかしこの不安定さは、胎児の間手続を止めておかなければならないこととバーターの関係にあり、少なくとも急いで行うべき手続がある以上は、その不安定さや応訴の負担は甘受すべきである。
以上の次第で、胎児には制限的な当事者能力が認められ、従って胎児のまま法定代理人による訴え提起等の訴訟行為ができると解するのが相当である。
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コメント
いつもいつも参考にさせて頂いております。
行書の勉強しかしていない私かたすると民法上の3つの例外しか覚えていませんでした。
(民721、886、965条)
行書と言えば東海テレビ(ローカルな話題で)がカバチタレの再放送の第9回の放送を自粛した模様。
(劇中にカッターによる脅しのシーンが入っている為)
某事件を考慮してTV局の措置だと思うのですが、近い将来、テレビにもコンテンツフィルターが搭載されてしまうのでしょうか?
投稿: ぴょん | 2004/06/11 23:47
カッターによる脅しのシーンがあると、自粛ですか。
うーん、なんだかな〜。
チリングエフェクトの典型例という奴でしょうが。
他方で「女性が元気になってきたって証拠だな」とか「放火は女性の犯罪」とか訳の分からないコメントをいって、恥じる様子もないセンセイ方もいますが、どっちがより困ったちゃんか考えると、判断に迷うところです。
投稿: 町村泰貴 | 2004/06/12 13:36